【勝手にブック・コンシェルジュ 第6回】小島英雄元町長に『青春のジョーカー』を
呆れた。笑った。岐阜市に隣接する岐南町の元町長・小島英雄氏の一件です。
2020年10月、4回目の町長選に挑み4票差で初当選を果たすや、翌月の就任直後から女性職員の頭をなでたり、手を握ったり、お尻を触ったり、「俺の足めっちゃキレイやで、見てみ」と素足を見せたり、抱きついたりと、セクハラは日常茶飯事。昨年5月に週刊誌でそうしたセクハラ疑惑が報じられ、弁護士からなる第三者委員会が、退職者を含む職員161人へのアンケートをもとに少なくとも99件の不適切な言動があったと認定。今年2月27日に調査結果を公表しました。
最初のうちは「調査は中立性に欠け、偏見がある」と反論していましたが、町議会で提出された不信任決議案に可決の可能性があると知り、「心が折れた」とやっと辞職願を出した一連の流れを見て、多くの人が「また、昭和のオヤジの不適切案件か」と溜息をついたわけですが、わたしはこの人、「昭和のオヤジ」というより「昭和の幼児」だと思うんです。
怒ったり、同情を誘ってみたり、兄に叱られたと泣き出したり、「もういい。話さないっ」と記者にプンとむくれてみせたり、情緒不安定な幼児性を発露する74歳。こういう人って、子供の頃からこれまでずっと異性という他者と真っ直ぐ向き合うことなく、ドリームとしての女性像だけを胸に抱き続け、「自分はそうしたドリームとしての女性に甘やかされて当然。だって、ボク、男の子なんだもん」と信じ続けてきたんじゃないでしょうか。
そんな幼児のまま老人になった小島さんには、思春期における性教育をやり直していただくという意味で、奥田亜希子の『青春のジョーカー』(集英社文庫)をおすすめしようと思います。というのも、この作品、男性の性欲がさまざまな形で暴力になり得ることを描いてリアルな物語になっているからです。
74歳の幼児は自身の性欲を思いわずらったことがあるか
主人公は、スクールカースト最底辺グループに属している中学3年生男子の基哉。180cmと高身長ながら顔立ちは中の下で、自分同様イケてない友人の尚介&弦とゲームで遊んだり、家で飼っている犬と猫を可愛がったりするくらいしか楽しみがありません。そんな彼らをいじり、笑いものにするのはクラスを仕切っている啓太。基哉は女子のスクールカースト最上位グループにいる咲のことが中学1年生の時から好きだけれど、所詮は高嶺の花と諦めています。
給食の時にシモネタで盛り上がる啓太グループに眉をしかめながらも、そういう下品な発言が許されるのは人気のある男子だけだという真実を噛みしめる基哉。彼は知っているからです、自分のような人間が、もしその手のことを口にすれば「キモイ」と言われてしまうことを。
この小説はたしかに、そんなイケてない少年が味わうことになる思春期という〝地獄〟を描いてはいます。でも、それだけじゃありません。
基哉は自宅で咲を想像しながら自慰をするのですが、その後は必ずゲームで捕まえて仲間にした大事なモンスターを1匹逃がします。それはなぜか。
〈こんなことをしても彼女を汚した罪は消えない。分かっている。だが、なにかで償わなければ、咲の顔もまともに見られなくなる。そして、自分のような人間が差し出せるものといえば、これしかなかった〉
基哉は、自分が咲に対して抱く性欲が彼女にとってはキモイものであり、無意識の暴力になり得るものだとわかっているからです。
さて、基哉には仲のよい兄・達己がいます。弟以上に容貌に難があり、ある悲惨な出来事から高校時代に引きこもりになった達己は、自分をバカにした連中を見返してやりたいという一心で一流大学に受かり、イベントサークル「ストレイト」に入って童貞を捨てることに成功。コンプレックスとルサンチマンの塊だった達己は、ただそれだけのことで非モテの弟をバカにするようになるんです。
その兄に無理矢理連れていかれたバーベキューイベントで、基哉は吉沢二葉という女性と出会います。周囲からどんな陰口をたたかれようが、ブランドものの鞄を買うためにAVに出演した自分のことを〈別に汚くも可哀相でもない〉と言い切る二葉。彼女との出会いをきっかけに、基哉は苦しいことばかりの思春期における〝ジョーカー〟が何であるかを知り、スクールカースト最底辺から脱するきっかけをつかむことになるんです。
でも――。
両親が旅行中に兄が自宅に招いたサークル連中が交わす、女性蔑視としか言いようのない下品なシモネタに耐えきれず二葉の家に避難するような基哉が、〈僕〉ではなく〈俺〉と称するようになり、兄たちが体現する弱肉強食という考え方を肯定するようになっていくという展開がつらい。
基哉は基哉のままでいいのに、君は心優しい思慮深い少年なのに。小説世界の中に入っていって、そう言ってやりたくなるほど、作者は基哉の内面を丁寧に丁寧に描いていくことで、生身の人間のように親しい存在にしているんです。
〈アダルト動画や想像で解消できるのは、あくまで欲望の表面でしかない。その根幹では常に、女をめちゃくちゃにしたいという衝動が息をしている。怪物が目を光らせている〉
この小説は、性欲に振り回される男子の成長を描く中、〈怪物〉によって引き起こされる男性による女性への性的暴力をも視野に置くことで、これまで量産されてきた思春期小説には見当たらなかった、男性にとっての性欲がもたらす生々しいまでの切実さと、それが女性にとっていかに脅威となりうるのかという問題意識を付与することに成功しています。
元町長の小島さん、思うにあなたは、基哉とはちがってご自分の性欲について思いわずらったことがないのではないでしょうか。性欲の対象にも人格があり、性的な言動に嫌悪感を抱いたり、あなたのような人間から軽く見積もられる理不尽に怒りを覚えたりする〝人間〟だということや、何でも許してくれて甘えさせてくれる母親のような存在ではないということを学ばないまま74歳になってしまったんじゃないでしょうか。
一度はダークサイドに落ちかかった基哉が、どうやって女性蔑視につながるような自分の性欲と自意識に立ち向かっていくのか。この小説を読んで思春期からやり直し、99のセクハラ案件に対して真っ直ぐ向かい合ってみてください。
文/豊崎由美(書評家)