ビールは麦から。日本酒は米から。ワインはブドウから。ウイスキーは大麦、ライ麦、トウモロコシなどからつくられる。
木からできる酒は古今東西、存在しなかった。そんな「木の酒」が今、日本で開発され、製品化に向けて動き出している。
森林総合研究所で蒸留された「木の酒」。写真提供:(国研)森林機構 森林総合研究所
いまだかつて「木材」が酒の主原料になったことはない
酒の主原料に共通しているのは糖を含むこと。酵母という微生物が糖を食べることでアルコールと二酸化炭素が生成される。これが「発酵」だ。
大麦、小麦、米、トウモロコシなどの穀物、ブドウ、リンゴなど果物も多くの糖を含む。しかし木は?現在、日本でスギやシラカバなどの樹木の幹を原料にした酒の開発が進んでいる。
これまでも木は酒造りに欠かせないものだった。ウイスキーやブランデーはオーク(楢)の木樽に貯蔵され、樽から溶け出す成分がウイスキーに独特の風味を与えてきた。また、樹の枝や葉から抽出した油分(オイル)を香りづけに使う酒もある。
しかし、木そのものを原料にした酒はない。使わなかったのではなく、使えなかったのである。
木材を1000分の1ミリまで超微粉砕することで酒づくりが可能に
木に糖が含まれていないわけではない。木は主にセルロース、ヘミセルロース、リグニンの3つの成分から成り、そのうちセルロースとヘミセルロースは糖である。しかし、これらの糖はリグニンのとても固い物質に包まれている。木が家や橋の建材になるほど硬いのは、このリグニンの堅固さゆえである。
だから人類は薬剤などを使わずして、木から糖を取り出すことができずにいた。
それを取り出す新しい木材の処理技術が誕生した。開発したのは、国立研究開発法人森林研究・整備機構の森林総合研究所(茨城県つくば市)だ。その名の通り、森林、林業、木材産業および林木の育種を研究する国内唯一の研究所である。
細かくした木材に水とビーズを混ぜ、ビーズミルという特殊な粉砕機で1000分の1ミリ(=1マイクロメートル)まで粉砕する。すると、木の硬い細胞壁に埋め込まれていたセルロースが露出する。「湿式ミリング処理」という新技術だ。これに食品用のセルロース分解酵素を加えて、セルロースをブドウ糖に分解。こうして木から糖を取り出すことに成功した。
ブドウ糖さえ手に入れば、発酵は可能だ。森林総合研究所では、醸造用の酵母を加えて発酵させ、世界初の木の酒を完成させた。発酵液のアルコール度数は1.5~2%。これを蒸留してアルコール度数30%以上の蒸留酒が生まれた。
原料にした木はスギ、シラカバ、サクラなどだ。それぞれの木の香りが心地良く感じられる、世界初の「木の酒」が出来上がった。
2018年に発表されたレポートによれば、スギの蒸留液には木の香り成分が多く含まれ、 シラカバにはフルーティなー香り、サクラにはフルーティな香りに加え華やかな香りも含まれるそうだ。
硬い木片を1000分の1ミリまで粉砕しセルロースが露出している状態(右から2番目)。酵素を加えて分解したブドウ糖に酵母を加えて発酵させ、さらに蒸留する(右)。
早ければ年内、世界初の「木の酒」が飲める
「木の酒」にいち早く着目したのが、エシカル・スピリッツ(東京都台東区)というベンチャー企業だ。持続可能な循環社会をめざし、これまでに日本酒の製造プロセスで廃棄される酒粕や残ったビールなど、未活用素材を生かしたクラフトジンを製品化してきた。
2019年6月、「木の酒」を製品化するWoodSpiritsプロジェクトが始動した。WoodSpiritsとはまさに「木の酒」である。
プロジェクトリーダーの辰巳和也さんは「木の酒」の魅力をこう語る。
エシカル・スピリッツのWoodSpiritsプロジェクトリーダー辰巳和也さん。
「森林総合研究所で試飲した時、香りの豊かさに感激しました。これまではウイスキーやブランデーなど木樽から移った香りや、木の枝葉の油分くらいしか、木を楽しむことはできませんでした。私たちが造る『木の酒』は幹を含めた木のすべてを使った、木そのものの香りをいただけるお酒です。
私たちは未活用素材を利用したお酒づくりで、おいしく飲めて気がついたらエシカルだったと思ってもらえるものづくりをめざしています。
木は森林を守り、森林は海を守り、海から蒸発した水は空に戻りと、自然循環の一環にあります。『木の酒』は間伐材など木材の有効活用に貢献できると思いますし、そうした木と自然のストーリーを味わえるお酒だと思います」
また、人類の酒の歴史に目を転じれば、「木の酒」はさらに感動を増す。
「お酒の起源については諸説ありますが、少なくとも紀元前4000年から3000年にはワインやビールが登場しています。原料の種類でいえば、ほとんどがメソポタミア文明の時代に出そろっているのでないでしょうか。木の酒は、数千年ぶりに人類が新たに手にした酒の原料ということになります」
「木の酒」は木の種類はもちろん、産地によって香りの特性が異なる。
現在、量産化に向けて必要な技術を森林総合研究所と共同で開発中。同時に、新しい蒸留所の建設を、つくば市の旧作岡小学校の体育館を利活用して進めている。早ければ今年の夏に竣工、「木の酒」は年末から年明けに製品化される予定だ。まずは、埼玉県ときがわ町産のスギの木から始めるとのこと。
ちなみにこの産地は、WoodSpiritsプロジェクトのメンバーの一人である、Bar BenFiddichのバーテンダー鹿山博康さんの故郷である。鹿山さんはnoteに「木の酒」の魅力を記しているが、その一部を要約するとこんなことを述べている。
――木の酒には産地の風土が反映される。ワイン界でいわれるテロワールだ。屋久島の杉、木曽の木曽五木、新宮、白神山地など、木の産地で酒を選ぶことができる日が来るかもしれない。さらに樹齢100年の木ならば100年ものの、200年なら200年ものの酒が楽しめるのだ、と。
人類が初めて手にする「木の酒」。その楽しみ方について辰巳さんは、「他のスピリッツと同じように、ストレートでもロックでもソーダ割りでも、お好みで楽しめると思います。森の中で飲めば、より森林に浸るような体験ができるのではないでしょうか。逆に街中で飲めば、まるで森の中に来たような、穏やかな気分を味わえるのではないかと思います」
生命と自然を育み続けてきた木。ずっと人と共にありながら食すことはなかった。木材を1000分の1ミリまで砕く最先端の技術が、その硬い壁を破った。
「木の酒」は木と人と酒の、新しい歴史の始まりを告げるプロダクトになるかもしれない。
取材・文/佐藤恵菜