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身近だからこそ、とても大切。食卓から生まれるウェルビーイング考【前編】

2024.03.09

「インスタを見ているだけで癒し」と人気の料理家・麻生要一郎さん。4万3000人以上いる麻生さんのInstagramを見ると、麻生さんの食卓に集う仲間たちが、料理を食べながら、実家のようにくつろいでいる様子が垣間見える。麻生さんがいる空間そのものが、そこいる人のウエルビーイングになるのだろう。料理は大量の唐揚げのときもあれば、刺身の隣にシチューがあるなど決まりがないことが伝わってくる。新刊『365 僕のたべもの日記』(光文社)にも、その型にはまらない緩やかな空気は流れており、発売直後に重版決定。今、最も注目される料理家・麻生さんへのインタビューを行った。

麻生要一郎(あそう・よういちろう) 1977年茨城県生まれ。建築会社勤務を経て、東京都新島(伊豆七島の一つ)の民宿『カフェ+宿 saro』主人として料理を担当。現在は家庭料理や食卓から、ライフスタイルを提案している。著書に『僕の献立:本日もお疲れ様でした』『僕のいたわり飯』(光文社)がある。

『365 僕のたべもの記』麻生要一郎著 光文社 2200円
1年間、毎日たべものにまつわることを、写真と共に紹介している。「集中力に欠けているから美味しくできなかった。そんな日もある、それも家庭の味だ」(3月15日)、「冷蔵庫の中の、早く食べねばと気がかりなものが消化されると、気持ちもすっきりする。何事もため込むのはよくない、という教え」(11月5日)など、読むと心にじわりとくる。

相手に何も求めないことは、癒しでもある

DIME WELLBEING(以下・D)麻生さんはコロナ禍以降、多くの人に知られるようになりました。作家・よしもとばななさん、アーティスト・坂本美雨さんやヤマダアオイさんなどのSNSに登場したことも、人気を後押ししています。これまで出した2冊の著書も重版を重ねていると聞いています。多くの人に支持される理由はなんと考えていますか?

麻生要一郎さん(以下・麻生) それがよくわからないんですよ(笑)。僕自身は、今、この瞬間を生きているだけなんですよね。積極的に何か発信するタイプでもないですし、自分の意見も声高に言うこともしませんし。今、目の前にいる人が、ありのままにいればいいと……もちろん、「ありのままでいてほしい」と期待したり強制する気持はありません。

D 禅の「今、ここ」という教えに近いと感じました。この言葉は、自分がいるこの場所は、そこにいる人々と自然が共にあり、生かされていることに気づくという意味も含んでいます。あらがわず、今を生きるというか……。

麻生 言われてみると、それは僕自身の生き方と重なるかもしれない。流れに任せて生きてきましたから。

麻生さんのリビングでの食事風景。

強いて言うなら、「取り繕わないこと」は意識しています。新刊『365 僕のたべもの日記』は、2022年の1年間に食べたものと感じたことをまとめています。日記をつけるように書いていたのですが、養母の介護が大変だった時期と重なっているんです。書籍化するときに、原稿を読み直したのですが、そのときに抱えていた不満をそのまま表現している箇所がありました。

もちろん、修正することもできたんですが、生々しい感情をきれいにすると、味気がないようにも感じ、残したんです。それもまた、僕自身ですから。

D その「取り繕わない」姿勢が、癒しになるのかもしれません。仕事の人間関係はもちろん、友人や家族の前でさえ私たちは取り繕って生活しています。麻生さんは実の両親も、養母もいらっしゃるんですよね。どういう人生を過ごしてきたのですか?

会社と自分自身が一体化していた時期も

麻生 もともと僕は関東地方の建築会社の跡取り息子でした。父はリベラルな人で、僕が大学浪人している時も「若い頃は好きなことをやり、経験を積んで戻ってこい」と言ってくれていたんですが、あるとき、倒れてしまったんです。

父は当時、祖父が創業した会社を譲り受けたばかりでした。従業員とその家族の生活を守るという重責、連日の会食や飲み会で体が悲鳴をあげていたのかもしれません。外出先でクモ膜下出血を起こし、そのまま45歳で帰らぬ人になりました。

父に祖父から会社を譲られたのは、祖父が甲状腺がんを患っていたからなのです。跡取り息子を亡くした祖父は、病をおして経営のトップに返り咲く。この祖父というのが、戦争を経験した叩き上げの人で、迫力も胆力もありました。そんな祖父の命令は絶対です。僕は浪人生活を切り上げ、建築の専門学校へ入学。文系で数学も物理もわからないのに、建築を勉強したんですよ。

僕が専門学校を卒業するまで、当時の専務が社長になり、全く会社に関わっていなかった母が、副社長に就任。僕自身も、祖父の養子になり、会社経営に参画することになったのです。

祖父も闘病しながら経営のトップに立ち続け、父の7回忌のときに、大勢の参列者の前で「要一郎が私の後継者だ」と言ったのです。この時、祖父は酸素吸入器をつけていたんですよ。最後の力を振り絞って私に会社を託したのです。

D  まるで任侠映画のようなワンシーンです。麻生さんは当時、20代前半で経験も浅い。それなのに、海千山千の同業者、役所の人々、銀行の融資担当者を相手にし、加えて50人以上の社員や関係者を統率していくのは、かなりハードなことです。

僕がいなくても会社は回ると、離れる決断をする

麻生 最初は会社を知るために、社長室のような部署にいたのですが、やがて経営に参画するようになりました。あの頃は24時間365日が会社と共にあった。会社と僕は一体化し、全く自分の時間がなく、会社を最優先させて生きていく……そんな人生でいいのかと思い、20代後半のとき、会社を去ることに決めた。もちろん、それは祖父と父が命懸けで守っていたものを、受け継いだにもかかわらず、手放してしまうことと同義です。

罪悪感と喪失感は計り知れないものがありましたが、それと同時に「僕がいなくても、世の中は回っていく」という感じもアリ、経営から抜けたのです。その後、会社はどうなったかというと、今も続いているんですよ。この時に学んだのは、渦中に入りすぎると視野が狭くなるということ。辛い時こそ、一歩引いて考えてみると、自分の思い込みとはまた別の世界が広がる。

D「~すべきだ」「~しなくてはならない」という思考は、人を苦しめる元凶かもしれません。

麻生 それに捕らわれていると「命がけやらねば」などと思ってしまいますが、意外となんとかなっちゃうもんなんですよ。会社を出ることについては、母も賛成してくれました。

D 麻生さんの実のお母様を、Instagramで拝見しました。凛とした美しさがある女性です。お母様は40代後半でステージ3の乳がんが見つかり、手術に成功。麻生さんが20代後半で会社を去り、新島(伊豆七島のひとつ)での民宿経営やレストラン立ち上げなどさまざまな仕事をしている間、お母様は実家で猫のチョビと生活します。

麻生 父が亡くなってしばらくしてから、母は素晴らしい男性と出会い、穏やかな生活をしていました。しかし、あるときその男性が病気で亡くなってしまった。父同様、突然倒れてそのまま旅立ってしまったそうです。

D 「今までありがとう」とか「いい人生だった」など、言葉を残して亡くなるのと、突然、亡くなってしまうのとでは、残された人の受け止め方も変わります。

麻生 愛する男性が2人とも、母に言葉を残さずに亡くなった。その悲しみの深さが伝わってきて、母に「地元を離れて一緒に暮らそう」と提案したのです。すると、「あなたのお荷物にはなりたくないのよ」と。それから母は、地元のお寺の手伝いの仕事を始めました。僕はこの時、新島で仕事をしていたのですが、母が充実して生活していることはわかりました。

そして、その男性の死から1年半後、ち「入院するからチョビ(猫)を預かって欲しい」と連絡が入ります。母のがんが再発したのです。当時、僕は新島の民宿のオフシーズンで栃木県の黒磯で友人のお店の立ち上げを手伝っており、すぐに実家に戻りました。

母の呼吸は荒く、胸水も溜まって苦しいと言う。医師の診察を受けると、リンパにも肝臓にもがんが転移し、余命3ヶ月を言われました。62歳の母は死を意識しており「チョビをよろしく。そしてあなたは、普通に生活をしてね」と。

そんなことはできることもなく、仕事の切りもいいところだったので、母を看取る覚悟を決めます。母の病の回復の見込みは薄く、「最後に苦しいのは嫌だ」と言う母の希望を聞き、胸水も抜きました。これにより、抗がん剤の治療の選択肢が消えた。それでも、呼吸が楽になったので自宅療養に切り替え、僕と母の最後の生活が始まったのです。

麻生さんが亡き母から託された猫のチョビ。

料理を始めたきっかけは、母だった

D お母様は食べ物の好みがはっきりとしており、麻生さんが作ったものを食べていたとか。

麻生 最後は、ほんの二口程度でしたけれど、料理家の辰巳芳子さんの「いのちのスープ」のレシピを参考に作ったスープを食べてくれました。

そもそも、僕が料理を作るきっかけは、10代後半に父が亡くなり、母が会社に行くようになったことなんです。母が仕事を終えた後、夕飯を作るのが大変だろうと、料理本を参考に、見よう見まねで料理を作り始めました。

母は「息子が作ったから」と手放しに食べる人ではなく、口に合わないと「今日はお腹がいっぱいなのよ」と箸を置いてしまうんです。そんな母に食べてもらおうと、試行錯誤したことが、僕の料理の原点です。

D お母様に初めてのがんがわかった時の入院時、食の好みを熟知している麻生さんが、病院に食事を届け、お母様は回復した。そして、がんが再発したときは、食事もほとんど摂れなくなり、好きなコーヒーさえも飲めなくなっていた。

麻生 あれはショックでした。「また僕が食事を届ければ治るだろう」と思っていたのに、その可能性がないわけですから。でも、何か母のためになりたくて、少しでも栄養になるものをと、スープを作り続けたのです。

親子ということもありますが、人とずっと一緒にいると、以心伝心というか母がどういう状態であるかがわかってくるんです。だから、母の調子がいい日はドライブに行くこともできました。

母の生命の火力のようなものも伝わってくるんです。だから、亡くなる前の日、僕は母に「あなたの息子で生まれて幸せだよ」と伝えることができました。そして、「また生まれ変わっても親子でいてね。次は僕が親で、あなたが子供の立場でいいから、たくさんわがままを言ってね」と言ったのです。

夜に、母は目をぱっと開き、僕とチョビをしっかり見て、「私はもう大丈夫だから休みなさい」振り絞るように言って目を閉じ、そのまま目を覚ましませんでした。

麻生さんと向き合っていると「この人は、今、この瞬間を大切に生きているのだ」と感じることがしばしばあった。それは、10代で父を、30代で母を亡くしている経験なども影響しているのかもしれない。

母が亡くなった後、一人っ子の麻生さんの家族は猫のチョビだけになった。麻生さんの料理家としての今につながっているのは、実家の片付けをしている最中、食事の大切さを痛感した経験だという。次回は麻生さんの料理と、その考え方について紹介していく。

取材・文/前川亜紀

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