パリ五輪選手インタビューvol.1「クライミングの魅力は自分と向き合えるスポーツ」
2023年8月にスイス・ベルンで開催されたクライミング世界選手権。およそ60か国、800人ものクライマーたちが出場した本大会の上位入賞者にはパリ五輪の代表内定が与えられた。
そして、複合種目(ボルダー&リード)で3位に入賞したのが森秋彩(もり・あい)選手だ。これにより彼女は国内選手の誰よりも早くパリ五輪への代表権を掴み取った。
「競技が終わった瞬間はまだ自分の順位が分かりませんでした。コーチがガッツポーズして嬉しそうにしているのが見えて、『ああ……決まったんだ』って思いました」
森選手は当時をそう振り返る。パリ五輪スポーツクライミング代表内定日本人第1号の森秋彩選手にパリ五輪の抱負、そしてスポーツクライミングの魅力についてインタビューをした。
森秋彩(もり・あい)さん
2003年9月17日生まれ。茨城県山岳連盟所属。
12歳の時にはリードジャパンカップで史上最年少優勝。2019年の世界選手権では日本人女子史上最年少となる15歳で銅メダルを獲得するなど、スポーツクライミング界の数々の記録を塗り替える。2023年8月にスイスで行なわれた世界選手権ボルダー&リードで銅メダル獲得。パリ五輪内定を決めた。現在、筑波大学に在学中。
森選手の原点は「楽しく登る」こと
2003年生まれ、今年で21歳になる森選手だが、クライミング歴は15年にも及ぶ。彼女が国内の公式大会にはじめて出場したのは2014年、11歳の時だった。そしてその翌年、12歳でリードジャパンカップ史上最年少優勝を果たす。まずは彼女のクライミング歴を振り返ってもらった。
「茨城の天才少女」森秋彩さん
森:ボルダリングを始めたのは、小学校1年生の時、家の近くにショッピングモールができてお父さんとお出かけをしたところ、クライミングジムを見つけたことがきっかけです。
もともとジャングルジムだったり木登りだったり「登る」ことが大好きな子どもだったので、ボルダリングもすごく楽しくて、お父さんと2人でハマっちゃったんです。
――当時のボルダリングジムってどのような雰囲気でしたか
森:昔のボルダリングジムは「岩場に行くためのトレーニング」施設という感じです。
同年代の子でボルダリングをやっている子もいなくて、お父さんや常連さんおじさんたちと登っていました。
今のボルダリングジムのように見栄えのいい課題も少なくて、ホールドも今以上に小さいものが多かった。いわゆる「保持力」(※ホールドを持ち続ける力)が求められる課題です。
そのおかげで、私は今でも「保持系」の課題は同年代のクライマーに比べても経験値があって得意です。一方で、ランジやコーディネーションといった「動き系」は苦手意識があります。
保持力に自信のある森秋彩さんの手のひら
――ボルダリングだけでなく森さんの得意なリード種目も早い時期に始めたのですか
森:はい。大人たちが大会で高いリード壁を登っている姿を見てやってみようかなと。登る力が付いてきた小学校3年生くらいの頃です。
――大人たちに交じってLJC(リードジャパンカップ)に初出場したのが小学校4年生、2年後には優勝をされています。当時はどのような目標があったのでしょう
森:当時は常に自分より強いクライマーが周りにたくさんいたので、その環境下で戦ってもっと強くなりたいというモチベーションで競技と向き合っていました。
LJCにはじめて出場した時も親に「出てみる?」って勧めてもらって、会場が長崎だったから半分旅行気分で参加したんです。でも、大人たちの中、小学生は自分だけ。ユース大会とは違った雰囲気がすごく楽しかったし、刺激になったのを覚えています。
――森さんは度々、優勝インタビューなどで「順位は気にしていなかった」とおっしゃっていますが、昔からそうだったのですか?
森:いえ、いろいろな大会に出場して結果も順調に残していく内に、やっぱり周りの目を気にして「結果を出さないと」って思い詰めてしまった時期もありました。
そしたらそれがプレッシャーになってのびのびと登れなくなっちゃったんです。結果も全然出なくなった。
そこから3年ぐらい国際大会を休んで「自分がクライミングやっている意味って何だろう」とゆっくり考え直しました。自分と向き合い直して、たくさん考えた結果、私は「楽しむために登ってきた」って自分の原点に気が付いたんです。私を見てくれる人も、私がガチガチに緊張している姿じゃなく、楽しんで登っている姿を求めているはずだって。
自分の中で、その答えが編み出せたから今はその気持ちを忘れず、順位よりも楽しむためにクライミングができています。