慶應義塾大学医学部漢方医学センター 呉 雪峰(ゴ セッポウ)研究員(研究当時:慶應義塾大学大学院医学研究科博士課程)、吉野 鉄大特任講師、三村 將名誉教授、株式会社ツムラ西 明紀、株式会社DeNAライフサイエンス石田 幸子氏らの研究チームは、MYCODE Researchのもとで本研究の参加に同意した日本の成人女性約1200人を対象に、冷えの自覚症状に関する初の網羅的なゲノム解析を実施。冷え症と関連するゲノム領域を発見したと発表した。
本研究成果は国際科学雑誌Scientific Reportsに掲載され、今回の研究成果をもとに冷え性判定方法、及び冷え症タイプ判定方法についての特許出願も行なわれた。
研究の背景と概要
冷えは器質的な異常がないにもかかわらず、全身または身体の一部に寒冷感を自覚する症状で、冷えにより日常生活に苦痛を感じ支障をきたす場合には冷え症とされ、漢方外来を受診する患者の中でも最も多い症状だという。
冷え症を有する患者は苦痛を伴う寒冷感を自覚するのみならず、不眠や疲労感、浮腫、痛みなどの随伴症状をともない、患者の生活の質を低下させるとともに他疾患発症の引き金になるとすら考えられ、冷えおよび冷え症の実態把握と治療法の確立は重要な課題となっている。
これまでに冷えおよび冷え症が発症する生理学的メカニズムとして、自律神経機能失調 による血管運動神経障害、エストロゲン低下による女性ホルモンのバランス異常、筋肉量の減少による体温調節機能の低下などが示唆されてきた。
その一方、冷えを有する女性の母親はその60%以上が冷えを有することが報告されており、また思春期以降の外来患者にお ける冷えおよび冷え症の頻度が年齢によって大きな変動を認めないことから、冷えおよび冷え症が遺伝的背景に起因することが示唆されていた。
しかしながら、冷えに関連する網 羅的な遺伝子解析研究報告はなく、冷えに対する遺伝的要因の影響に関しては定かでなかった。
本研究は、MYCODE Researchのもとで本研究の参加に同意した成人女性(20歳以上60歳未満)を対象に、アンケートにより冷えの自覚部位および負担感を調査。ゲノム上にあ る500万箇所以上の一塩基多型(Single Nucleotide Polymorphism:SNPs)(注3)との 関連を、統計的に検討した。
(注 3)一塩基多型(Single Nucleotide Polymorphism:SNPs):遺伝子多型と言われる DNA 配列の個人差の一つ。ヒトが保有する約 30 億の塩基対の配列には人種や個人 間で異なる部分があり、1 つの塩基だけが別の塩基に置き換わっているものを SNP という。集団の中て 1%以上に存在するものを指す。
また、今回の研究成果をもとに「冷え性判定方法、及び冷え症タイプ判定方法」として 特許出願(出願番号:特願 2023-130837)も行なわれた。
研究の成果と意義・今後の展開
本研究の参加に同意して解析対象となった 1111名のうち、512名は冷えを自覚しておらず、599名が冷えを自覚していた。
冷えを自覚している群は体重が低く、運動習慣がな い・閉経前・のぼせを自覚している・漢方薬を使用している方の割合が高いことがわかった。
身体症状による負担感を評価する自記式質問票の身体症状スケール(SSS-8 スコア)は、 冷えを有する群が冷えを有さない群よりも有意に高く、冷えの程度が重度になるとスコアも 高くなることが判明(図 1)。
また、冷えの部位によらず、冷えのない群よりもス コアが高いこともわかった。したがって、冷えを有する方は痛みをはじめとするさまざまな身体症状による負担感を自覚していることが明らかになった。
図 1:身体症状スケール(SSS-8 スコア)と冷えの程度および冷えの部位の関連性
ゲノムワイド関連解析(Genome Wide Association Study:GWAS) (注4)で、 P<0.00001 を示唆的有意水準としたところ、11のゲノム領域を同定した(図 2、青線が 示唆的有意水準を示す)。
(注 4)ゲノムワイド関連解析(Genome Wide Association Study:GWAS):ヒトゲノ ム配列上に存在する数十〜数百万か所の SNP 等の遺伝子多型と疾患や形質との関 連を、全ゲノム領域で網羅的に検出する遺伝統計解析手法。数千人~百万人を対象 に大規模に実施されることで、これまでにさまざまな疾患や体質に関連するがゲノ ム領域が同定されている。
これらの領域の SNPs は全てアミノ酸置換を伴わない変異であったため、これらを発現量的形質遺伝子座(Expression-Quantitative Trait Locus:eQTL) (注5)のデータベースである The Genotype-Tissue Expression(GTEx)で検索。
(注 5)発現量的形質遺伝子座(Expression-Quantitative Trait Locus:eQTL):遺伝子 の発現量の個人差と関連する SNP 等のゲノム領域。
周辺の遺伝子の発現量への影響を確認したところ、温度感受性チャンネルである KCNK2やTRPM2 の発現量に影響があることが確認できた。
図 2:冷えの有無に関するゲノムワイド関連解析結果のマンハッタンプロット
KCNK2とTRPM2はいずれも陽イオンチャネルで、チャネルの活性が温度によって変 化することが示されている。
KCNK2の活性はヒトの体温では細胞膜電位を低下させる、つまり神経活動を阻害するよ うに働いている。そのため今回本研究で同定した SNPがある場合に KCNK2が減少すると、神経の低温に対する感度が高まることが予想される。KCNK2はショウガの成分など により活性が高まることも報告されている。
TRPM2は深部体温の維持に関与していると報告されており、今回我々が同定したSNPがある場合に脳内の組織で発現が低下すると、深部体温を維持しようとする働きが強まり熱 の放散を防ぐために手足の血管が収縮して冷えが発生することが予想される。
TRPM2もさまざまな生薬により活性化されることが報告されている。
本研究により、冷えおよび冷え症が一様な疾患・状態ではないことが示唆され、原因となる可能性のある遺伝子が発見された。
今後、本研究の成果をさらに大規模に検証することで、冷えおよび冷え症の遺伝的基盤の解明につながると考えられる。
さらに、生薬により活性化されるイオンチャネルが本研究で発見した冷え症の関連遺伝子として挙げられることから、本研究の成果は漢方薬が冷え症に有効であるメカニズムの解明にも重要な意義を持っていると考えられる。
構成/清水眞希