山ごもり生活は、彼に反省や贖罪をうながすのか
時は日露戦争前夜の明治時代、所は北海道東部、白糠の山中です。主人公は、アイヌの集落で育った男に拾われ、〈鹿の殺し方も、熊の仕留め方も、手当も芋のゆで方も、教わった〉という熊爪です。その育ての親もある日小屋を出ていったきり帰らず、自分の正確な歳を知らなくて〈三十回ほど冬を耐えた記憶がある〉熊爪は猟に連れていく犬だけを相手に独りで生活を送っています。でも、熊爪は寂しいと思ったことがありません。
〈熊爪にとって、生き物とは山と森に生きるものが全てだ。その外側にいる奴は、動物であっても人間であっても、どうにも分かりきれるものではなかった〉からです。
そんなある日、熊爪は血まみれの男を発見します。阿寒湖のほとりから、冬眠をせず集落を襲い続けている凶暴な穴持たずの熊を追って山を越えてきたものの、その熊に待ち伏せされたと話す男の名は太一。助けてくれたら自分の鉄砲をやると泣きつかれた熊爪は、いやいや太一に手当をしてやり、やがて、普段自分が獲物や山菜と引き換えに必需品を仕入れている白糠の町へと連れていきます。そこで世話になっている町一番の大店「門矢商店」の店主・井之上良輔から、穴持たずの熊を仕留めてほしいと頼まれて以降、物語は大きく動いていくんです。
穴持たずの熊と、山の主ともいうべき赤毛の熊の死闘。そこに巻き込まれて腰に重傷を負ったものの、赤毛と対決することが生涯最後にして最大の仕事と思い定めるようになる熊爪は――。
1979年に北海道の別海町に生まれ、長じては羊飼いになった河﨑秋子さんは、デビュー作の『颶風の王』(角川文庫)以来、自然描写の素晴らしさと、厳しい風土の中に生きる人々の姿を描く骨太な筆致に定評がある小説家ですが、『ともぐい』でもその才は遺憾なく発揮されています。獣を仕留める際の息が詰まるような空気感。熊爪が感じる山の気配。鹿を解体し、ほの温かい肝臓を食らえば〈さくりと心地よい音がしそうなほどに張りがある〉と記述するリアリティ。山ごもり生活を送っている東出さんならきっと詠嘆の声をもらすことでしょう。
さて、門矢商店には良輔が気の毒だからと引き取った目が開かない少女・陽子がいて、物語の終盤で重要な役割を担うことになります。が、しかし、そのことには触れずにおきましょう。熊爪は赤毛とどのように対決し闘うのか。熊爪の生活に関わるようになる陽子が、この物語の中でどんな役割を与えられ、どんな結末(衝撃的であることだけは記しておきます)を導くのか。それは、この小説をこれから読む東出さんが自分で楽しんだり驚いたりするところだからです。
しかし、不思議です。東出さんは新たな友人たちと楽しい山ごもりライフを満喫し、俳優としての仕事も増えてきているのに、不倫騒動のお相手、唐田えりかさんは順調とはほど遠いキャリアに甘んじていますよね。最近は韓国での芸能活動にも力を入れているようですが。未婚で“恋愛”をした唐田さんのほうが、妻子持ちで9歳下の女性と不倫をした東出さんよりも、社会から重い制裁をくらっているように感じるのは、わたしだけでしょうか。
原作を読んだ方ならわかっていただけると思いますが、唐田さんが『寝ても覚めても』で演じたヒロイン朝子は、作者の柴崎さんが物語に仕込んだ大仕掛けゆえに表現が難しい役です。まだ俳優としての歴が浅い唐田さんが、それをとても巧みに演じたことに感心したわたしは、その後の彼女の仕事を楽しみにしていただけに、唐田さんにより重くのしかかった罪と罰が残念でならないんです。
熊爪は最後、それまでの生き方や死生観を裏切らない、潔い覚悟を陽子と読者に見せてくれます。東出さん、あの騒動のさなか、あなたは唐田さんに覚悟を見せてあげられましたか? 山ごもり生活は、あなたに反省や贖罪をうながすものになっていますか? 今後のご活躍と人となりをファンとして見守っております。
文/豊崎由美(書評家)