18歳のW杯出場・3度のW杯・3度の欧州挑戦。前人未到の領域を経験
12月3日の浦和レッズ戦で現役生活に終止符を打った小野伸二(写真提供=河治良幸)
サッカーにそれほど興味のない人でも「小野伸二」という名前は知っているはずだ。
清水商業(現清水桜が丘)高校を卒業して浦和レッズ入りした直後の98年6月、日本代表が初参戦したフランスワールドカップ(W杯)に出場。21歳で赴いたオランダの名門・フェイエノールトでUEFAカップ(現UEFAヨーロッパリーグ)の頂点に立った日本人選手というのは彼しかいない。
W杯は98年を手始めに、2002年日韓・2006年ドイツと3回経験し、海外に関してもオランダ、ドイツ、オ―ストラリアと異なる大陸に3度も赴いている。そのうえで、44歳までプロキャリアを続けるというのは、そうそうできることではない。
2023年Jリーグを見渡すと、日本代表歴のある李忠成(アルビレックス新潟シンガポール)や太田宏介(町田)、柏木陽介や田中順也(ともに岐阜)といった複数の大物選手が今季限りでの現役引退を発表している。が、小野ほどインパクトの大きな人物は存在しない。現役ラストマッチとなった12月3日のコンサドーレ札幌対浦和レッズ戦をNHK総合テレビで生放送されたのを見ても分かる通り、偉大な男がキャリアに終止符を打つことは、日本サッカー界、スポーツ界全体にとって非常に大きな出来事だったのだ。
10人兄弟で育った気配りと目配りのできる男
そもそも小野の人生を紐解くと、79年9月に静岡県沼津市で10人兄弟の6番目として生まれた。母子家庭だったがゆえに生活が豊かだったとは言えなかったが、地元・今沢小学校の監督が費用全額免許という特別対応を取ってくれたことで少年団に通うことができ、そこから才能を開花させていった。12歳の時点では頭抜けたセンスが全国に知れ渡ったほどの天才少年だった。
今沢中学校時代にはサッカーどころ・清水に定期的に通って練習する機会にも恵まれたが、清商の下宿生が住む旅館・日本閣の西川昭策氏(故人)が食事や旅費のサポートをしていたという。小野は自分を助けてくれる多くの人々に感謝しながら優しく真っ直ぐに育ったのだ。
「清商に来てからの伸二は20人近くいる下宿生のまとめ役。明るく何でも自分で考えられる子で、伸二に任せていれば大丈夫という感じでした。ある時、伸二に電話がかかってきて、本人が急いで駆け込んできたんですが、普通の子ならそのまま戸を締めるのに、私が入るのを確認してから戸を閉めた。『三尺下がって師の影を踏まず』と言いますけど、平成の時代のそんな気配りのできる子を見たことがなかったですね」とかつて西川氏は小野の人間性に一目置いていたことを明かしていた。
フェイエノールトでプレーしていた2003年の小野伸二(筆者撮影)