コロナ禍を機に、一気に加速した「DX」だが、行きつく先にはどんな未来が待っているのか。2020年の都知事選にも立候補した小説家、沢しおんが2040年のTOKYOを舞台にIT技術の行く末と、テクノロジーによる社会・政治の変容を描く。
※本連載は雑誌「DIME」で掲載しているDX小説です。
【これまでのあらすじ】
二十年のうちにデジタル化が浸透した二〇四〇年の東京。都庁で近々役割を終える「デジタル推進課」の葦原(あしはら)は、消えた住民データの調査を進めていたが、現場から外され選挙管理委員会への応援を命じられる。以前手に入れたドキュメントを確認した葦原と淡路(あわじ)は、不穏な記載を訝しむ──。
不審な立候補者
「……信じられなくて当然です。かいつまんだだけですし、自分はもうちょっと読み込んでから判断したいと思います」
「判断するようなことあるか? 何度も言うけどさ。こじつけだって、こんなの」
「おかしなことに夢中になりかけているのは自覚しています」
「なりかけどころか、すでに沼に両足突っ込んでるよ。何もかもをこじつけるのは危険だ。葦原はもう少しこの作家について調べてからかかったほうがいい」
「これをくれた老人のAIアバターも未来を語っていいのはSF小説家と政治家だけと言ってました」
「それさ、未来を語るというより、ウソをつく、って話だよな。そういうことだよきっと……また明日」
そう言うと淡路は葦原の部屋からログアウトしていった。
***
樹花(じゅか)の部屋で櫛田(くしだ)は目を覚ました。薄ぼんやりとした視界の中で、素肌に部屋着のパーカーを羽織った樹花がキッチンで朝食の支度をしていた。
「ごめん、結局朝までいることになって。眠くなる前にタクシーで帰ればよかった」
「泊まっていって欲しいって言ったの、こっちだし」
そう言いながら、オレンジジュースをグラスに注いで櫛田に手渡した。
「ありがとう。朝ごはん、ちゃんと食べてるんだ?」
「兄も両親も、もともと何かしてくれてたわけじゃないんで。トースト、焼きますけど食べます?」
壁に掛かった時計に目をやって「一度家に帰らないといけないから」と櫛田は首を振った。
身支度をしてドアから出ていこうとする櫛田の背に樹花は縋った。
「……また、来て欲しい」
「彼女さんと別れたのが悲しかったってあれだけ泣いていたのに。年上のお姉さんの相手なんかしてたら、また泣くことになるよ」
「同じこと繰り返してもいい。誰かと離れたり別れたりするのは、そういう運命なんだし」
「そう。でも樹花ちゃんのせいじゃないんだったら尚更。運命にただ従うの、私は怖いことだって思う」
「怖いって?」
「決められている通りになるのが当たり前になるの、よくないから。樹花ちゃんはそんなことに慣れないで。ちゃんと抗っていい」
「もう慣れ過ぎて、わかんないって」
「きっと、わかるよ……。週末かな、次に来られるの」
樹花は「よかった、ありがとう」と小声で櫛田を見送った。
***
翌朝、登庁した葦原はPA端末にエンジニアの谷津(やづ)からのメッセージが届いていることに気づいた。昨日中に返信すればよかったと思いながら「良いタイミングで内線ください」と送っておいた。
淡路はすでにデスクで、昨晩のうちに送られてきた問い合わせなどがないか確認作業をしていた。
「こっち、ちょっと」と手招きするので、葦原は淡路のモニターを覗き込んだ。
「夜のうちにオンラインで書類を受け取った人がいる。須佐野(すさの)っていうのか。覚えてる限りだと初めての人だね、これ」
「ほかにもいますねオンラインで受け取った人。前の都知事選に出てた人もちらほら。告示日はこの人たち全員窓口に来るんですよね?」
「リアルで渡すものが多いから仕方ない。これでも相当減ったみたいだけどね。こっちとしては粛々とやるだけなんだけどさ」
谷津から音声で着信があり、葦原は端末に耳を当てた。
「周りに誰かいる?」
「います。廊下に出ます」
葦原は淡路に「ちょっとデジタル推進課から連絡があって」と伝えて部屋を出た。
*
「ちょっと知りたいんだけどさ、データ消失の件、どんな人か詳しかったりする?」
「本人についてそんなに詳しくは知りません。行方不明の件で妹さんが話してる内容を横で聞いていたくらいです」
「確かその人ってそれなりに若かったよね?」
「大学生かそれくらいの年齢のはずですが、何歳かまでは聞いてみないことには」
「少なくとも四十過ぎの中年ってことはないでしょ」
「ないはずです」
「データ消失だけでも十分おかしなことなのに、データの復旧はできたんだが、別人になっているように見えるから、それで」
「他人の情報が紐づいてしまったんじゃないですか? もしそんなことになっていたんなら消失以上におおごとですよ」
「念のためAIに検証させたんだが、それだけはない。どこかの故人のデータが蘇ったってことでもなさそう」
「それ以上は確認しようがないですよね」
「当然。都で扱えるデータの範囲外の、市町村や民間で紐づけられたデータは本人じゃないと引っ張りだせない」
本人という言葉を聞いて、葦原は思い当たることがあった。
「……あ、逆に本人だったら確認できるってことですね。後でまた連絡します」
葦原が初めて橘樹花に会った時に、窓口で失踪した兄のマイナンバーカードを使って照会しようとしていたことを思い出した。その時は今どきカードを使っているのかと思っていたが、こういう時には役に立つ。
葦原はすぐ、樹花へ連絡した。
「担当から外れたんじゃなかったの」
「すみません、今の担当から頼まれまして。お兄さんのことで、あまりこういうの聞き出すべきじゃないんですが、マイナンバーカードを使ってスマホかパソコンかで登録情報を確認して欲しいんです」
「前にそっちでやった時、何も出なかったじゃん」
「そうなんですが、データが復旧されたかどうか、そちらからでも確認できるかどうかということで」
「あー、そういうこと。ちょっと待って。暗証番号って何だったっけ? 前にやった時にはメモ見て覚えてたのに、忘れちゃった」
「私に聞かれても……。風邪でもひきました? 鼻声ですね」
「え、あ。なんかそうかも。とにかく待って。こっちからかけ直す」
葦原は「お大事に」と言って、樹花からの着信を待った。
「……出たけど、誰これ……。スサノって、この読み方合ってるのかな。知らない人の苗字なんですけど」
「今、なんて言いました?」
「スサノ。スサノタケシ。そう書いてある。違う名前が出てきた」
さっき見たばかりの名前が樹花から語られ、葦原は驚いた。
「……っと、ありがとうございます。ちょっと復旧が完全じゃないみたいで、担当に確認します」
葦原は淡路のところへと駆け戻った。
(続く)
※この物語およびこの解説はフィクションです。
【用語・設定解説】
熊と人間のアバター:この物語の近未来では、VR対応端末の高機能化や市販のディスプレイモニターの超高精細化、そしてアイトラッキング、フェイストラッキングなどのセンサー技術の向上によって、メタバースのアバターはユーザーの表情を自然に再現できるようになったほか、モーション表現を補完するAIの併用によって感情の機微を相手にわかりやすく伝えるまでになった。
告示日:2040年までの間に選挙事務でもアナログ規制の撤廃が進んだが、立候補者の多様性を確保するために残された対面窓口のほか、告示日における立候補者届け出はまるまるアナログ手法が残り、旧来手渡されていた各種書面が一部デジタルに移行するに留まった。
沢しおん(Sion Sawa)
本名:澤 紫臣 作家、IT関連企業役員。現在は自治体でDX戦略の顧問も務めている。2020年東京都知事選にて9位(2万738票)で落選。
※本記事は、雑誌「DIME」で連載中の小説「TOKYO 2040」を転載したものです。
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