ゲイである私にとっての“本当のALLY”とは?
個人の意見になるが、私にとってのALLYとは、 LGBTQ+を「LGBTQ+の人」ではなく、「人」として見ている存在である。
あなたの大切な人はなぜ大切なのかを想像してもらえばわかりやすいだろう。
あなたは、なぜ恋人のことが好きなのか?きっと恋人の性別を理由に挙げる人はいない。あなたは、なぜ友人のことが大切なのか?もちろん、友人の性別を理由に挙げる人はいないはずだ。それは、相手を「人」として尊重し向き合っているからではないだろうか。
同じことだ。わざわざ「私ALLYだよ」と発言したり、レインボーグッズを買いに行ってそばに置いたりしなくていい(コカ・コーラさん怒らないで!)。ただ私のことを「私」として向き合って、周りの人と同じように接してくれればそれでいい。
差別的に受け取られる可能性がある表現の例(「LGBTQ+アライのためのハンドブック」より)
一方で、誰かが不適切な言動をした時は、その人を排除したり蔑んだりするのではなく、ぜひ積極的に反論してほしい(私ももちろん反論する)。いなすのではなく、きっかけを与えてほしいのだ。
時間はかかるかもしれないが、今は普通でないことが普通になる時が必ず来る。究極にはLGBTQ+とかALLYという言葉自体が死語になることが理想だ。
ここで私の周りにいるALLYについて、二つの事例を紹介したい。
■初めてできたALLYの存在
ひとつは私が初めてカミングアウトした相手である友達について。大学生の時、同じアルバイト先で働いていたその人は、大学で正しい性の知識を啓蒙するなどのボランティア活動を積極的に行っていた。彼女の周りにはLGBTQ+の人が多く、私のこともなんの抵抗もなく受け入れてくれた。
初めてのカミングアウトで不安や緊張に押しつぶされそうになっていたが、彼女の反応はあっさりしていて、泣き崩れる私をただそっと抱きしめてくれた。そして、「ありがとう、これからもよろしくね」と一言くれた。心の安心感がそこにはあった。
■職場で出会ったALLYたち
もうひとつのエピソードは会社でのこと。転職を経験している私は現在二社目だが、どちらの会社にもALLYはいた。
一社目では面接の段階から安心感があった。面接官に、「うちの会社は積極的にLGBTQ+をサポートして働きやすい環境を整える活動をしている。あなたはその人たちを受け入れることはできる?」と聞かれたのだ。
当事者であった私はこの会社であれば安心して自分をさらけ出せると確信した。実際、入社してからも会社の同僚や先輩と一緒に恋愛相談をしたり、遊びに行ったりした。
二社目(現在の会社)でも環境は変わらず、「ゲイである私」ではなく、「新しい仲間」として受け入れてくれた。今は会社の先輩に紹介してもらったパートナーと付き合っている。
私が在籍した/している会社はどちらもLGBTQ+フレンドリーであるが、これは全くの偶然でわざわざそのような会社を選んだのではない。今でもニュースや記事で生きづらさを感じている当事者の話を目にする。そのような人たちが、どの会社を選んでも窮屈な思いをすることがない環境ができたらいいと願っている。
LGBTQ+当事者にとって「ALLYになりたい」は正義なのか
最近、「ALLYになるには」や「ALLYになりたい」と検索する人も増えているそうだ。多くの人が関心を持っていることは素直に嬉しい。
しかし、先にも述べたように、「なろう!」と思ってわざわざXやインスタグラムで発言したり、レインボーグッズを買いに行ったりすることを、私自身は望んでいない。ましてや「ALLY になるべき」と、べき論者になって周りに強要することはただのエゴに感じてしまう。
それよりも、あなたの大切な人に接するのと同じようにLGBTQ+の人たちに接すること、不愉快な言動をしている人に対して反論し続けること、この2つをお願いしたい。
そうして一歩ずつ、でも着実に、みんなが住みやすい世界を一緒に作り上げていこう。
参考:日本のコカ・コーラシステム全6社にて 「LGBTQ+アライのためのハンドブック」導入、無償公開 ~多様な人材が、ともに働きやすい環境の整備を目指す~
文/コウジミヤモト
1992年生まれ。会社員兼ライター。小学生の時に自分の恋愛対象に対して違和感を持ち、高校生の時に自分が男として男性が好きであると認識。大学生で初めてのカミングアウトを経験する。現在は会社の同僚に紹介してもらったパートナーと交際中。