27歳で結婚するも会社が2度の倒産。それでも…
大阪で仕事をしていた美智子さんだったが、すぐ上のお姉さんが結婚し、実家は妹と父の2人暮らしに。早くにお母様を亡くされたため、家族の面倒をみようと故郷に帰ったという。
「ある日、街で同級生と久しぶりに会ったんです。話を聞いたら事務機の会社で働いているらしく『うちの会社で電話番を探しているから来てみない?』と誘われて。私もちょうど仕事を探していたので働かせていただくことになったんです」
その会社で美智子さんはご主人と出会い、後に結婚。9歳年上のご主人はとても真面目で勉強家だったという。しかし、、、
「しばらくして、手を広げ過ぎたのかその会社が倒産してしまったんです。その後は福岡に移り、主人は新たな会社で働き始めたんですが、そこもすぐに倒産。当時は大変でしたが、私自身、不安な気持ちは全然なかったんですよね。主人なら大丈夫!と信じてました」
それから、ご主人の兄を頼りに家族で横浜へ。
「運悪く働いていた会社が2回も倒産し貯金もゼロ。でも、まったく心配しなかったんです。主人は仕事ができる人だし、いつも前向きで努力家。横浜での仕事は全く経験のない職種だったんですが、毎日夜遅くまで勉強して仕事に励んでました」
「それに、結婚するとき主人に言われたんです。『君たちにひもじい思いはさせない。どんな時も必ず食べさせる』と。それを信じてましたね。長い人生ですからリズムが悪くて大変な時もありますが、そのうち良い方に向いていくんです。だからあんまりくよくよしたことはないんです」
私は縁の下の力持ち。家族の幸せが私の幸せ
仕事に一生懸命なご主人を支えようと子育てに専念していた美智子さん。その時間がとても楽しかったと振り返る。
「母が早くに亡くなったこともあり、私は高校生の頃から台所に立っていましたので、昔から料理が好きでしたね。子供が小さい頃はケーキ教室に通ったりしながら、おやつは全部手作り。家族みんなが笑顔になってくれることが嬉しくて、料理をすることがもっと好きになったんです」
そんな美智子さんを労い、ご主人は月に数回子供たちを預かり、家事を担当してくれたという。
「あんなに優しい人はいないんじゃないかと思えるほど、とにかく気遣いがあって自慢の主人でした。8年前に亡くなりましたが、今でも尊敬できる素敵な人です」
「主人は何でもできる人でしたので、わたしは縁の下の力持ちって感じでしたね。みんなが働きやすいよう、勉強しやすいように努めるのがわたしの役割。それが自分の幸せになるんです。周りが楽しく幸せなら自分にも幸せが返ってくる、そう思っています」
人生の先輩から@DIME読者へのメッセージ
美智子さんの話を聞くと、なぜかホッとする。心地の良い声と柔らかな性格、温かい人に囲まれて生きてきた雰囲気が伝わってくる。
70代でYouTubeを始め、誰よりも毎日を前向きに生きている美智子さんが@DIME世代に伝えたいこと、それは…
「仕事だけじゃなくて好きな趣味を持たれると人生が楽しくなると思います。好きなことに没頭するだけで気持ちも切り替えられますし、辛いことがあっても心に余裕が生まれるかもしれません」
「人は人、自分は自分。卑下することも羨むこともなく、自分のペースで生きていって欲しいですね。そして、あんまりくよくよしない、人と比べない。わたしはいつもそう思ってます。この歳まで元気なのも、そんな前向きな性格のおかげかもしれませんね笑」
著書
87歳、古い団地で愉しむ ひとりの暮らし
88歳ひとり暮らしの 元気をつくる台所 (共にすばる舎)
文/太田ポーシャ