米国投資家列伝シリーズ「レイ・ダリオの投資戦略」
今回の米国投資家列伝シリーズは米国を代表するヘッジファンドのひとつ、ブリッジ・ウォーター・アソシエイツの創業者レイ・ダリオの投資戦略について考察していきます。
レイ・ダリオといえば『オール・ウェザー戦略』と『オール・シーズンズ戦略』が有名であり、投資戦略のなかでも注目され続けている考え方です。
これらの戦略は投資家に長期の安定性とリターンを提供しています。
資産運用におけるポートフォリオについて、レイ・ダリオが何を考えているのか、その思考について解説していきます。
レイ・ダリオの転機は1982年の大失敗にある
1949年、ニューヨーク州ロングアイランドでレイ・ダリオは生まれました。
父はジャズ・ミュージシャン、母は専業主婦という中流階級の家庭に育ち、ダリオ少年はゴルフのキャディーや新聞配達をして稼いだアルバイト代を使って株式投資をしていたといいます。
その後、大学院を卒業したのち、証券会社で働き始めたレイ・ダリオは主に商品先物に従事しました。
経験を積んだ後の1975年、レイ・ダリオ26歳の時に独立し、ブリッジウォーターを創業します。
主に事業法人に対してマーケットの市況情報や金融商品の開発を提案するなど、経営が順調であった最中の1982年、レイ・ダリオに投資家人生最大の危機がやってきます。
当時の世界経済はメキシコが債務危機に陥り、南米諸国に金融危機が生じます。
各国の中央政府はインフレ退治に躍起になっていましたが、そんな真っ只中でレイ・ダリオがテレビに出演し、ここでの発言が大きな注目を集めます。それは「経済にソフト・ランディングはありえない、必ずハード・ランディングする」このように答えました。
ところが、レイ・ダリオの予想と実際のマーケットは大きく乖離し、経済の軟着陸を意味するソフト・ランディングに向かっていきます。このとき、経済危機を意味するハード・ランディングがやってくると信じて大きなポジションを張っていたレイ・ダリオは、大きく予想を外してしまい、あっという間に事業資金が底をつき、どん底に突き落とされてしまいます。
しかし、この出来事からレイ・ダリオは2つの教訓を得ました。
・どんなときも謙虚な姿勢でマーケットに向き合うこと
・過去の歴史から学ぶこと
こうした苦労から時間をかけて這い上がっていったことで、レイ・ダリオは顧客からの信頼を取り戻していき、やがて世界有数のヘッジファンドマネージャーへと駆け上がっていったのです。
実際、失敗を教訓にさまざまな歴史を学び直したことで、意思決定における判断基準において膨大なデータを蓄積していきました。
こうした努力によって投資家として成長したレイ・ダリオは、その後、2008年に発生したリーマンショックなどの金融危機やコロナ禍などの世界情勢に対して、どのような政策に舵を切るべきか、投資家や中央銀行などに対して度々提言するなど、米国の金融業界のなかでも大きな存在となっていきます。