あえてアリを上らせてみる
一般的には、アリが花に上るのを防ぐ効果があるのではないかと言われている。
植物の花は、ハチやアブなどを呼び寄せるために蜜を用意している。ところが、アリが花にやってきて蜜を盗んでしまうのである。そのため、植物の花の中には、細かい毛をいっぱい生やして花の内部へのアリの侵入を防いでいるものもある。
ムシトリナデシコも、茎に粘着する部分を設けることによって、アリが上るのを防いでいるというのである。
本当だろうか?
ムシトリナデシコの粘着部分には、虫がよく捕らえられているが、ほとんどが小さなハエなどである。ムシトリナデシコは英語ではキャッチフライ、これも「ハエを獲る」という意味だ。
「アリを獲る」ではないのである。
もし、アリを防ぐためのものであれば、ゴキブリホイホイのようにアリがたくさん掛かっていても良さそうなものである。ところが、アリが捕まっているところを見る機会は少ない。実際に、自生地で群落を調べてみても、アリが捕まっているようすは観察されなかった。
それにもし、この粘液が、アリの忌避するようなものなのだとすれば、粘着性はなくても匂いで忌避させるだけでも良いような気もする。
本当に、ムシトリナデシコの粘液は、アリを防ぐためのものだろうか?
このテーマは歴代の研究室のメンバーにとって気になる謎であった。
しかし、「アリを防ぐためのものである」ことを確かめるだけだと、卒業研究としてはあまりに面白みがないし、「アリを防ぐためのものではない」となったとき、「じゃあ、何のために」という謎に答える有力な仮説はない。
とりあえず白根くんと、粘液がアリを防ぐためのものであるかどうか、を確かめてみることにした。
これを確かめるには、粘液を出すところをテープなどで覆ってアリが上れるようにしてみれば良い。
私と白根くんは、テープを貼った個体と、テープを貼らない個体を5株ずつ用意して、小型の定点カメラで花を撮影してみることにした。
その結果、どうだろう。
1週間撮影した映像を確認しても、アリが花にやってきているようすはない。
もう1週間、カメラを仕掛けてみたが、結果は同じだった。
粘着部分をなくして、アリが上れるようにしても、アリは花にやってこなかったのだ。
ところが、白根くんがあることに気がついた。
「先生、テープを貼った方に虫がたくさん来ているような気がします」
「本当?」
確かに、テープを貼った方が虫が多く訪れている感じもする。
「粘着物質が訪花昆虫を呼び寄せているのではないでしょうか?」
まさか、そんなことはあるわけはない……。
それが私の第一感だった。
何しろ、茎の粘着物質の話である。花を訪れる昆虫に関係するはずがない。
そうは思ったものの、
「映像を確かめて、やってきた虫をカウントしてくれる?」と白根くんにお願いした。
すると、どうだろう。
明らかに、粘着部を隠した個体の方に、ハチやアブが多く訪れたのである。
茎に粘液がある理由は敵を寄せつけないため?
本当だろうか?
そこで、ネットで囲った中にムシトリナデシコの株を入れて、ハチやアブやハエの仲間をネットの中に放した。そして、昆虫の訪花活動を観察したのである。
見ていると、粘着部を隠した個体の方に、より多くの昆虫が集まっているような感じがする。
しかし、どうもはっきりしない。昆虫たちはテープを貼った個体にだけ集まるわけではない。テープを貼らない個体にも集まる。
こうなると実験を繰り返すしかない。
たとえば、サイコロを振ると一の目が出る可能性は6分の1。しかし、2回振っても、一の目が連続で出ることはある。3回振っても一が出ることがあるだろう。まだ偶然かもしれない。しかし4回、5回と振っても一が出たらどうだろう。このサイコロは一が出やすい可能性が出てくる。そのため、実験を繰り返すことで、それが偶然に起こりやすいことなのか、偏って起こりやすいのかが、明らかになってくるのである。
その結果、やはりテープを貼って粘着部を隠した方が、より多くの昆虫が花にやってくる傾向が明らかになったのである。
花を訪れる昆虫にとって、粘液があることは何か意味があるだろうか。
ひとつの仮説としては、茎に粘液があれば天敵のクモが茎を上がってこないという可能性もある。花にやってくる昆虫にとって、警戒しなければならないのは、花に潜むクモである。そのため、ハチやアブなどは、花に止まる前に、花のまわりを飛んで、クモがいないことを警戒することが観察されている。
しかし、この可能性は低いだろう。
何しろ粘液があればクモが上がってくれないという情報をハチやアブが学習できるとは思えない。しかも、粘着部にクモが付着しているようすも、あまり見かけることはない。
また、小さなクモは、お尻から出した糸で風に乗り、空中を飛んで移動することができる。そのため、粘着部だけでクモの侵入を防ぐことはできないのだ。
そもそも、そんな面倒くさいことのために、ムシトリナデシコが粘着部を発達させてきたとは考えられない。