静岡大学農学部教授として日々教鞭をとり、雑草学研究室で教え子たちと接している稲垣栄洋氏は「国私立中学入試・国語 最頻出作者」1位に連続してなる(※日能研調べ)など、小中学生にも愛読者が多い。そんな稲垣氏がライフワークである雑草と、イマドキな教え子たちを絡めてつづる『雑草学研究室の踏まれたら立ち上がらない面々』は自身を題材として描く“アンチ雑草魂”エッセイです。
頑張りすぎたり、細かすぎたり、要領が良くなかったり……不器用だけどまじめで実直な彼らとの日々は、常識に凝り固まりがちな教授のアタマと心をゆっくり溶かし、やがて気づかせてくれます。指示待ち学生が適確な指示を与えられたときに発揮する大きな力や、好きなことしかやらない学生の視野の狭さがニッチな発見を生むことに。
効率を求めムダを省くのが優先される時代に、自分の武器をどう見つけるのか?
著者は苦労している割に報われない若者に、どんな言葉をかけるのか?
生きづらさに悩むZ世代、Z世代との付き合いに戸惑う中高年へ。「立ち上がらない」という生き方戦略を伝えてくれる一冊です。今回はその中から一部を抜粋してお届けします。
「雑草学研究室の踏まれたら立ち上がらない面々」
稲垣栄洋/小学館 1540円
※本稿は、稲垣栄洋『雑草学研究室の踏まれたら立ち上がらない面々』(小学館)の一部を再編集したものです
【みちくさコラム】音楽のできる学生が持つ「プレゼン力」
ステージの上でバイオリンを演奏する満藤さんの姿を見ながら、私は「本当に彼女は成長したな」と目を細めていた。
学生の成長した姿を実感する時間は、私にとっては至福のときである。
飲食禁止の音楽ホールでなければ、コーヒーを飲みたいところだ。
600席の客席に観客はたった8人。演奏が終わると、ホールには8人の拍手が鳴り響いた。
* * *
コロナウイルス感染症(COVID-19)が世界的なパンデミックを起こした2020年、私たちの生活は一変した。
大学は対面授業が中止となり、すべての授業がオンラインとなった。
ゼミもオンラインである。研究活動も制限され、他の人と会うことのないように、時間をずらしながら、研究をしなければならなくなった。
そして、学生たちにとって最後のイベントである卒論発表会もオンデマンドの開催となった。つまり、事前に録画したものをオンラインで視聴するという形である。
これは仕方のない措置である。しかし、これでは、学生たちがあまりにかわいそうでもある。
当時は、集団感染を予防するために、密閉・密集・密接の「3密」を防ぐことが求められていた。そこで、これくらい「密」を避ければ大丈夫だろうと、私は市民ホールを借り切った。そして、研究室内で卒論発表会をしようと計画したのである。
しかし、せっかくホールを借り切るのだ。卒論発表会だけではもったいない。
そのときの私の研究室は、バイオリンや琴やギターなど、楽器の演奏を趣味にしている学生が多かった。また、コロナウイルス感染症の拡大で外出が制限される中で、ウクレレやリコーダーなどの楽器を時間つぶしに始める学生もいた。
それならば、楽器の演奏も披露しようということになったのだ。
しかし、市民ホールを貸し切りである。それだけでも、もったいない。
そこで卒論発表のない3年生は、英語で雑草を紹介するプレゼンテーションをすることになった。スティーブ・ジョブズ氏の新商品の発表会や、TED(著名人による英語の講演会)のように、ステージを右へ左へと歩きながら、オーバーアクションでプレゼンテーションをするのだ。
「雑草学と弦楽器の饗宴」と題されたその会は、学生の手によって、間違って観客が来てしまうのではないかと思うような立派なチラシが作られた。
もちろん、密を避けるために、研究室のメンバーだけの内輪の会である。
* * *
しかし、内輪の会にするにはもったいないくらいすばらしい会だった。
せめて親御さんたちを招いてあげたいとも思ったが、それは学生たちに頑なに拒絶された。確かに親御さんが見ていたら、あれだけ思い切ったパフォーマンスは実現できなかったかも知れない。
本人たち自身は気づいていないかも知れないが、私たち大人から見れば、若い人たちはものすごい勢いで成長していく。本人が気づかないうちに老いていく私とは大違いだ。本当にうらやましい。
とはいえ、学生の成長した姿を実感する時間は、私にとっては本当に至福のときである。
もうコーヒーでは物足りない。今夜はきっと、お酒も美味しいことだろう。
ただ、今回は市民ホールの使用料をケチって暖房が使えなかったので、客席はとっても寒かった。今夜は熱燗にしておこう。
* * *
私は、まるで楽器を弾くことができない。
だから、楽器を演奏できる人は本当にすごいと思う。
あくまでも私の偏見だが、音楽のできる人は、プレゼンテーションがうまい。
楽器を演奏するということは、単にドレミの音が出れば良いというものではない。
音楽ができる人は「伝える技術」を持っている。音を大きくしたり、小さくしたり、テンポを速めたり、ゆっくりにしたり。楽譜にはそんな記号が書かれているし、楽器を演奏する人たちは、単なる音符が並んでいるだけのものをドラマチックに仕立てる。そして、聴衆を魅了するのだ。
もっとも、楽譜を忠実に再現しただけの演奏が、人の心を打つとは限らない。
素人が聞いても下手な演奏なのに、なぜか心を打たれることがある。それはおそらく、演奏している人の思いがその演奏にあふれていて、思いも私に伝わってきたときだ。
演奏している人が、感動を味わっていなければ、感動が伝わるはずがない。伝えるべき感動がないからだ。そして、演奏している人が感動していても、その感動を伝えたいと思わなければ、その演奏は独りよがりなものになってしまう。
感動を伝えるには、自分が感動することと、伝えたいという気持ちが大切なのだ。
楽譜には、感動を伝えやすくするためのテクニックが書かれている。
プレゼンも同じである。伝えるためにはテクニックが大切である。しかし、テクニックだけでは伝わらないものがある。
「伝えたいもの」を持っていることと、「伝えたい気持ち」がプレゼンには必要なのだ。
音楽をやっている学生は、私のそんな話をすぐに理解して、見る見るプレゼンが上達していく。
* * *
それにしても……楽譜も読めないし、楽器もまったく弾けない私が、初見の楽譜で楽器を演奏し、絶対音感を持つような学生たちにこんな説教をするのだから、私の度胸も大したものだ。
教師というものは、どんなに能力が低くても、立場が上というだけで、何でも偉そうに言えるのだから本当に怖い。
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いかがでしたでしょうか?
雑草に生き方を教えられたと語る稲垣氏。「雑草学研究室の踏まれたら立ち上がらない面々」の中で頑張りすぎて心がポキンと折れてしまった学生に、氏がかける言葉は「人生で何が大切なのか」を教えてくれます。
図鑑や教科書には載っていない、雑草のスゴい生存戦略も必見です。
「雑草学研究室の踏まれたら立ち上がらない面々」
稲垣栄洋/小学館
文/稲垣栄洋(いながき ひでひろ)
静岡大学農学部教授。静岡県出身。岡山大学大学院農学研究科修了。博士(農学)。農林水産省、静岡県農林技術研究所等での勤務を経て現職。
『面白くて眠れなくなる植物学』(PHP文庫)、『生き物の死にざま』(草思社文庫)、『はずれ者が進化をつくる』(ちくまプリマー新書)、『大事なことは植物が教えてくれる』(マガジンハウス)、『子どもと楽しむ草花のひみつ』(エクスナレッジ)、『面白すぎて時間を忘れる雑草のふしぎ』(王様文庫)、『植物に死はあるのか』(SB新書)など、著書は150冊以上にのぼる。「国私立中学入試・国語 最頻出作者」1位に連続してなるなど(日能研調べ)小中学生にも愛読者が多い。