印象派の絵画が明るく感じる理由
印象派は、1860年代に興った芸術運動です。現実をそのままキャンパスに写すことを重要視し、鮮やかで明るい色彩を用いた風景画が多く誕生しています。
モネやルノワール、セザンヌやゴッホなど、数多くの印象派の画家がいますが、なぜ印象派の絵が明るく感じるのかというと、緻密に計算された色彩を配置しているからです。
たとえばゴッホは弟テオに宛てた手紙のなかで、たびたび色彩に言及しています。
「2人の恋人たちの愛を2つの補色の結婚によって表現すること、その混合や、対立や、近接して置かれた色調の神秘的なふるえによって表現すること」
こうした文章を見る限り、ゴッホは緻密に色彩を計算していたことがわかります。
たとえばゴッホの作品「モンマジュールの夕暮れ」をみると、空を描いた「青」と画面手前の水面を描いた「青」によって、画面の奥行きを効果的に創り出しています。
炎の画家とも呼ばれるゴッホですが、作品を見れば、絵に対する情熱はあれど、いかに冷静に醒めた頭脳で色彩を配置していたのかを知るはずです。
ゴッホのように、印象派の画家の作品は、色のついた色彩の混色ではなく、画面に配置された色彩の効果によって、私たち鑑賞者の目のなかで色と色を混色する効果があり、絵画がより明るい印象を持つのです。
再びマーク・ロスコの絵画の前に立つ
DIC川村記念美術館にある「ロスコ・ルーム」に久々に足を運んだときのことです。
そこには、画面が赤に塗られた、それも濃い赤や薄い赤など、ムラのある塗り方の作品が7点収蔵されています。
この部屋に入り、作品をずっと眺めていると、最初の鮮やかな赤の印象がガラリと変化し、もっと深く暗い深淵の赤の世界、それも生と死が近くにあるような、そんな命のリズムを感じました。このとき、私の目は「赤をみる」体験をしていることを理解していたので、初めて作品を見たときの衝撃や不安を感じることはありませんでした。
その代わり、ロスコの生命に触れたような、あたたかな眼差しに包まれる時間を過ごすことができました。
これこそ絵をみつめる、見つめ続けることで得られる色彩とアートの世界ではないでしょうか。そんなことを私は再び訪れた「ロスコ・ルーム」で感じたのです。
おわりに 色彩と網膜と脳の冒険
実は網膜も三原色の世界が広がっています。
網膜には錐体(すいたい)と桿体(かんたい)という2種類の細胞がありますが、錐体は色を感じる機能があり、網膜の中心にあります。
桿体は光を感じる機能がありますが、錐体には色を見るときに偏りがあり、
比率にすると赤40、緑20、青1となります。
日中、色のなかで最も明るく感じた赤の鮮やさも、夕暮れになって赤の色が最もモノクロに感じるもの、こうした網膜の特性によるものです。
つまり色彩とは、赤にはじまり、赤におわるといえるのです。
今回のアイデアノミカタは「色彩」について解説させて頂きました。
今後もさまざまな色彩表現の作品が生まれていくことを、とても楽しみにしています。
文/スズキリンタロウ(文筆家、ギャラリスト)
<参考資料>
https://kawamura-museum.dic.co.jp/architecture/rothko-room/
ゴッホの手紙 上中下 (岩波文庫)
ゴッホが挑んだ「魂の描き方」(小学館)
光学 (岩波文庫)
ランボー全詩集(ちくま文庫)