ギャルブーム、来てますね。とはいえ今までのギャルブームとは一線を画しているので、今回は私なりの私見を記したいと思います。
まず、90年代のギャルブームといえばルーズソックスやガングロにネイルに厚底ブーツ。限定的ではありましたが「チョベリグ」や「MK5」などのギャル語などがある女子中高生の文化でした。『Egg』などの専門誌があり、そこから「読者モデル」と呼ばれる、今も説明されてもよくわかんねえ業種がバンバン出てきたり。憧れは安室奈美恵さんでしたね。
まあ、こう言ったら身もふたもないですが、お勉強が苦手なやんちゃな子がギャルになるイメージ。その他大勢の女子高生は一般的な格好をしていて、「コギャル」は異端な存在でした。
次に、00年代のギャル。渋谷を根城にするのは変わらずですが、いわゆるヤマンバ的なものは減り、日焼けもマストではなくなったようです。なんなら色白。浜崎あゆみさんや倖田來未さんが憧れであり、特にayuがつけた動物の尻尾みたいなアクセサリーとかは爆発的に広がりましたよね。ユーロビートに乗せて無表情で画一的なダンスをするパラパラもありましたねえ。『ナイツオブファイヤー』とか『ミッキーマウスマーチ ユーロビートバージョン』とか。ギャルピースとかもこのへんでしたよね。まあ、治安はいいとは言えなかったとは思いますが。
時代がギャルに追いついた?注目される「ギャルマインド」
そして、時は過ぎて2023年。ギャルブームが再燃していますが、正確に言うと「ギャルマインド」の再燃、のほうが正しいと思います。もちろんK-POPがファッションや音楽にY2Kを取り入れ始めてからビジュアル的なものや写真のポージングなどで昔のギャルマナーがスライドしている部分もありますが、それよりも注目されているのが「ギャルマインド」。
先述のヤマンバや長いジェルネイルなど、恋愛対象として相手から見られるということを全く考えていない、それどころが逆を行っているんですよね。90年代当初のコギャルに対してよくあった質問で私が記憶しているのが「こんな格好してたらオトコノコにモテないヨ〜」的なやつ。それに対してコギャルはいつも「え、誰かのためとかじゃなくて、ウチらがカワイイと思ってるからやってるしぃ〜」的な返答をしていて、インタビュアーやスタジオにいる男性タレントの失笑を買っていました。
ね、今を生きているDIME読者ならもうおわかりでしょう。この質問自体が前時代的でダサいし、その返答に対して理解を示さないのも古い。そう時代がギャル寄りになってきたのです。
「恋愛や他人の目だけが指標ではない」だったらオシャレは何のためにするの? 「自分がカワイイと思える自分になるため」究極の利己主義、もしくは快楽主義と言ってもいいかもしれません。それが「ギャルマインド」。世間の〝常識〟は、所詮〝通念〟であって絶対ではない。誰しもが幼少期から刷り込まれてきた価値観を鵜呑みにするのではなく一度自分で考えて、自分の信条と似通っていたら取り入れて違っていたら堂々とNOと言う。Z世代の柔軟な思考は昔からギャルが主張し続けたイデオロギーと近しいところにあるんですねえ。
最近〝当たり前〟がどんどん見直され始めています(ほかの先進国に比べたら引くほど遅いですが)。とはいえ、旧態依然とした上の世代、思考が凝り固まったプライド妖怪にとっては非常に不愉快。機嫌が悪くなっちゃう。そこを突破するのがやはりギャルマインド。ギャルといえば良くも悪くも立場無視してタメ口で物申す。旧態依然に対してもタメ口とまでいかなくても「え、なんで?」「は、誰が決めたん?」的なスタンスで立ち向かうとおじさん、おばさんは日和るらしいですよ。実際そういう「ギャル会議」する会社もありますし。老若男女かかわらず誰しもの心の中にギャルがいます。ウチの正義はウチが決めるし。忖度とか知らんし。シメ考えるのダルいからこの文章もここで終わるし。でもみんなのことマジで好きだから。LOVE。あーギャルって便利。
文/ヒャダイン
ヒャダイン
音楽クリエイター。1980年大阪府生まれ。本名・前山田健一。3歳でピアノを始め、音楽キャリアをスタート。京都大学卒業後、本格的な作家活動を開始。様々なアーティストへ楽曲提供を行ない、自身もタレントとして活動。
※「ヒャダインの温故知新アナリティクス」は、雑誌「DIME」で好評連載中。本記事は、DIME11月号に掲載されたものです。