老人ホームで最期の時を迎える老人たちのベッドに寄り添い、身体を擦こすりつけ、顔を舐なめ、そして傍らで静かに、おくる。一緒に暮らして最期のときまで寄り添う犬猫たち。
『盲導犬クイールの一生』の著者・石黒謙吾氏が死を看取る犬・猫たちと人間との絆を描いた『犬が看取り、猫がおくる、しあわせのホーム』(光文社)より一部抜粋し、神奈川県・横須賀市にある特別養護老人ホーム「さくらの里 山科」とそこで一緒に暮らして最期のときまで寄り添う犬猫たちのエピソードを紹介していく。
脚が曲がったタイガと2匹。猫ユニットの静かな時間
猫ユニットでは昼食を終えた入居者が個室に戻る。人がいなくなった広めのリビングスペースには、職員が仕事をこなす音がかすかに聞こえてくるだけ。天地いっぱいの大きなガラス窓から差し込む陽射しが、白い薄手のカーテンを通ってやわらかく室内を回っている。ここでしばらく、猫たちをのんびりと見渡す。
窓の横に置かれたガリガリの上では三毛猫の「ミーちゃん」が、眠るでもなくどこを見るでもなく鎮座している。僕もつられたようにじっと時をやり過ごしていると、廊下にいた白猫の「かっちゃん」がそろりそろりと部屋の真ん中に歩を進めてきた。うろうろしてから座って窓のほうを向くと、また静寂の時間が流れ始める。
すると今度は、入り口のほうにいたと思われる「タイガ」が、ミーちゃんに近づいていき、何をするわけでもなくまた離れたところに座ると、そこはかっちゃんとミーちゃんの視線が結ばれる間だった。
推定15 歳のタイガは、保護猫として10年前に来た時から、右前脚が曲がっていた。保護される前に、誰かに傷つけられたのではないかということだ。だから、歩く速度は遅い。最初その光景を見た時は、そっと右前脚を出す動きに胸が締めつけられた。でも、だからこそ、このユニットにいる人たちのタイガに寄せる思いが強くなるのではないか、そんなことを考えながらシャッターを切る。
かっちゃんとタイガが一瞬見つめ合い、そしてまた、ともにやんわりと動く。
また別の日。カメラを手にそおっと入り口のドアを開けてこのユニットに入っていく。猫ユニットは犬のユニットに比べてかなり静かなので、こちらの一挙手一投足までスローモーションになる感じだ。廊下には、車椅子に乗った伊藤博子さん(仮名)が。近くにいたかっちゃんを撫でたくて、車椅子で進み始めた。マスクをしていても口元がほころんでいくのがわかる。
伊藤さんは、飼い猫と一緒に入居してきた方ではないけれど、無類の猫好きで、いつも傍らにいる猫と遊ぶという。
推定9歳のかっちゃんもタイガと同じ保護猫で、こちらは左後ろ脚に麻痺がある。2015年にやって来て、この空間で、猫仲間、猫を愛する老人たちとしあわせな時間を過ごした。僕が秋に撮影したあと、2023年2月11日に虹の橋を渡った。まだ若かっただけに入居者や職員さんの悲しみも大きかったことだろう。6月に取材に行った際には、位牌と遺影を撮りながら、そっと合掌した。
猫ユニットは、犬ユニットよりさらに静かな時間が流れている。
うとうとする、タイガ(下左)、ミーちゃん(下右)、かっちゃん(上)。
「犬が看取り、猫がおくる、しあわせのホーム」
石黒謙吾(著) 光文社
【特報】9/25 オンエア、10月2日(月) 午後2:30 〜 午後3:00に再放送あり
NHK「ネコメンタリー 猫も、杓子も。」
文/石黒謙吾