■連載/ヒット商品開発秘話
マイボトルを持ち歩く人にとって煩わしいのが、使い終わった後に洗うこと。水漏れ防止のために装着されているパッキンを、せんから外して洗わなければならず面倒だからだ。洗い終わったらパッキンをせんに取り付ける手間もかかるし、何より紛失する恐れもある。
面倒な洗浄を大幅に楽にしたことで支持を集めているのが、象印マホービンの『シームレスせん』シリーズである。2020年9月に発売された『シームレスせん』シリーズは、業界で初めて、せんとパッキンを一体化することに成功。ステンレスマグにはじまりタンブラーなど徐々にラインアップを増やし、国内出荷数が発売から約3年でシリーズ累計500万本を超えた。
弾けた中国バブル
同社は、せんとパッキンの一体化を実用化するまで、要素研究を含め5年の時間を要している。一見すると簡単そうに見えるかもしれないが、実は容易なことではなかった。
そもそも『シームレスせん』シリーズが企画された背景には、2015年頃から起こったステンレスマグの需要拡大が終わり、売れ行きが大幅に落ち込んだことがあった。
当時の需要拡大を支えたのが中国。インバウンド消費などにより飛ぶように売れ、「バブル」と言ってもいいような売れ行きだった。
しかし、バブルは長続きしない。2019年にバブルは弾けた。
同社はバブル終了後の対応を迫られることになる。商品企画部企画グループ マネージャーの森嶋孝祐さんは当時のことをこう振り返る。
「売上が良くなかったので原点に立ち返り、お客様のニーズに応えるものをつくろうということになりました」
変化していたユーザーニーズ
ニーズを探るためいろいろ調査をしたという森嶋さんだが、洗うときにせんとパッキンを分けて洗うことが面倒だという不満は、消費者にとっては外れるのが当たり前という認識だったことから潜在的な不満であり、調査では見つけられるものではないという。
この不満はそもそも、自身の実感だった。森嶋さんはこのように明かす。
「水筒の企画担当者ということもあり毎日ステンレスボトルを使っているのですが、使っていて一番面倒くさいことは洗うことです」
仕事柄、ステンレスマグを毎日使うだけではなく、他社のも使うほど。一般家庭より多くのステンレスマグを所有しているためそもそも洗うのが面倒くさいところがあったが、他の家庭のように1本程度しかなくても同じことを感じるだろうとみた。
それに、2019年当時の同社では、研究レベルではあったものの、せんとパッキンの一体化が検討されていた。この時点での研究の感触は、「できるかもしれない」というものだったが、実用化できたとしても商品価格が値上がり、売れるかどうかが未知数だったことから、研究は宙に浮いた状態だった。
この研究が実現できれば、洗う面倒が緩和される。ただ、森嶋さん個人の確信だけでは研究開発を推進することができない上に、確信の裏付けを取るのも容易ではなかった。
そこで森嶋さんは、同社の主力ステンレスマグのせんと、他社のステンレスマグのせんの比較を試みた。2019年2月に、120人の女性を対象に実施したところ、ほとんどの女性は同社を支持しなかった。
「他社のステンレスマグは、パッキンは外せますがせん自体は分解できず隅々まで洗えません。しかし当社のは、パッキンが外せることに加えせん自体が分解洗浄できます。この点を長年、差別化のポイントにしてPRしてきましたが、消費者には受け入れられていませんでした」
従来品(SM-JF型)のせん。パッキンが外せるだけはなく、せんが分解洗浄できるようになっている
調査結果をこのように振り返る森嶋さん。同社の商品が選ばれなかったことは、ユーザーニーズが顕著に変わったことを示す。落ち込んだ売れ行きを回復させるためは、変化したユーザーのボトルの使い方、洗い方のトレンドに合った商品を開発する必要がある。
このとき目をつけたのが、研究が先行していたせんとパッキンの一体化であった。こうして森嶋さんの確信から具体的な開発に進むことになり、『シームレスせん』シリーズが誕生することになる。