コロナ禍を機に、一気に加速した「DX」だが、行きつく先にはどんな未来が待っているのか。2020年の都知事選にも立候補した小説家、沢しおんが2040年のTOKYOを舞台にIT技術の行く末と、テクノロジーによる社会・政治の変容を描く。
※本連載は雑誌「DIME」で掲載しているDX小説です。
【これまでのあらすじ】
二十年のうちにデジタル化が浸透した二〇四〇年の東京。都庁で近々役割を終える「デジタル推進課」の葦原(あしはら)は、量子ネットワークから消えた住民データの調査を情報公開課と進めていたが、現場から外され選挙管理委員会への応援を命じられる。その頃、教育実習に用いられる精巧なアンドロイドが失踪する事件が発生し──。
それぞれの午后
葦原が廊下を曲がると、選挙管理委員会が使う部屋の外では何人かの記者が屯(たむろ)していた。立候補者を確認するためだろう。こちらを見て職員だとわかるとまた下を向いてしまった。
「淡路(あわじ)さんも応援で来たんですか」
葦原が声を掛けると、応対用の机で書類を受け取りに来る人を待っていた淡路は眉をひそめた。
「告示日でもあるまいし、今の段階で応援なんて要ります? 選挙事務が電子化されて何年ですか。どう考えてもあの件を深追いしたからでしょう、この境遇は」
淡路も葦原と似たような理由でここへ回されたようだった。
「分庁舎(はなれ)のこと、あの後もずっと調べてたんですか」
「おかげで相当詳しくなりましたよ。分庁舎やヌーメトロンのこと。映画だったら知り過ぎたせいで消されるやつです」
淡路は冗談めかして言った。
「自分は、データ消失と失踪者の件にはもう触れなくていいと言われました」
「それは警察に任せるしかないからでしょ」
「淡路さんが掴んだこと、教えてください。自分もちょっと手に入れたドキュメントがあって、まだ読んでいないんですが」
「読んでないのに何ができるっていうんです。さっさと共有してください」
「あ、その前に、一人いらっしゃった」
書類を受け取りに来たのは初老の男性で、震災前にも立候補した経験があると言っていた。今後の日程を示すと、当時は選挙公報のデータはオンライン入稿できず、CD‐ROMに焼いて持参したのだと懐かしそうに話した。
「東京都がそのまま州都になるっていうから今度の知事選は各地から立候補が出て賑わうもんだと思っていたんだが……オンラインで立候補が受け付けできると、さすがに窓口に来るのは少数派か」
「そうでもないですよ、何人もいらっしゃるので、こうやって窓口を残してあります」
葦原が受け答える横で、淡路は「ここに記入してください、ここです、そう」と男性に必要な項目を記入するよう急かした。
「ところで、告示日まで私が出ることは伏せておきたいんだが、部屋の外の記者さん達に言い含めておいてくれないか」
すぐに答えられない質問だったので、葦原はサッと手を挙げた。すると、部屋の奥にいた選管の職員がやって来て、男性の要望を聞いた。
彼が帰った後、葦原が「あんな要望もあるんですね」と言うと「そりゃあるだろ」と淡路はそっけなく答えた。
「どこの政党にも所属している風ではなかったし、個人で出るなんて大変だなとは思うけど。この東京をどうにかしたいって気持ちに優劣があるわけじゃないだろうし、事情があるんでしょ」
***
水方(みなかた)は、モニター上のマーカーを気にしながら、次の策を考えあぐねていた。
「常田(ときた)さん、さっき呼ばれてましたよね。まさかこの前みたいに身元不明の死体ですか」
「都立高校への侵入者だ。実習生のフリして堂々と入り込んでいたんだとよ」
「どういう事件ですか。今の高校って生徒も職員も何らかのIDを持ってないと立ち入りできないはずです」
「アンドロイドの物真似してたんだとよ。だからIDがないもんだと、警備員がご丁寧にゲートを通しちまったんだ」
「そんな馬鹿な。そういうのはトラックで搬入するものじゃないんですか。この前の一日署長のアメノナツキだってそうでした」
「それだよ。最近のアンドロイドはよくできてるっていう思い込みで、教師も生徒も全員騙されたんだよ。とんでもない話だ」
「騙しきれなかった理由って何ですか。物真似に誰かが気づいたんですよね」
「オチが傑作だ。放課後にアンドロイドがトイレに行こうとしたのでそれでバレたらしい」
水方は「その前に普通気づくものでしょう」と溜め息をついた。
「問題は本来配備されるはずだったアンドロイドのほうだ。忽然と姿を消しちまった。変質者は〝誘拐〟はしていないと言っている」
「アンドロイドを盗んだ別の共犯者がいる可能性は」
「指示役が強盗を唆したんならわかるが、アンドロイドに化けて高校に侵入する役割ってのはどう考えても意味がねぇ」
「メーカーは追えてないんですか。無線ネットワークで遠隔監視するはずだ」
常田は首を横に振った。
「データがなくなった人間、ネットワークから見えなくなった人そっくりのアンドロイド。どうして俺らはそんなものばかり追うことになるかね」
***
昼下がり、新庁舎近くのカフェで橘樹花(たちばな じゅか)は櫛田が来るのを待っていた。入り口のドアが開く度に視線をやり、期待が外れると元のようにスマホの画面に目を落とした。
次に顔を上げた時に樹花の目は、櫛田の顎から頬にかけて余計な凹凸のない輪郭を捉えた。何度見ても綺麗な顔だと見惚れそうになる。
「お待たせ」
急いで来てくれたのか、少し息が上がっているように見えた。
「呼び出したりして、ごめんなさい」
樹花が緊張しながら謝ると「それよりお昼もう食べた?」と櫛田は壁の品書きを指した。
「まだです。お昼休み、一時間くらいですよね」
「何食べたい? 好きなもの、いいよ。何かあったんでしょ?」
まるで何でもお見通しとばかりに櫛田は言った。注文をする端末の画面を滑る指も白くて長くて、いつまでも見ていられそうな気がした。
「それ、お勧めのだったら、同じのがいいかも」
櫛田はランチの数を+(プラス)して2にした。
「警察に色々聞かれて、嫌になっちゃって。だから学校、早退した」
「お兄さんのこと、まだ手がかりなさそうなんだ?」
「それとは違って……実習生になりすました変質者がいたって言ったら、信じられる?」
「学校に……大丈夫?」
「話しかけられただけ。でも私のこと調べてたみたいで、他の生徒のもなんだけど、ストーカーみたいで気味悪くて」
「きっと怖かったよね。もう捕まったの? その変な人」
樹花は黙って頷いた。
「昨日捕まった。アンドロイドの実習生、結局アンドロイドじゃなかったんだけど……」
「ちょっと待って、アンドロイドの実習生って、何?」
櫛田に尋ねられ、樹花は昨日から今朝までのことを話した。
「だとしたら、教育庁の人事部かな。きっと大慌てしてる。あとで野次馬しにちょっと寄ってみようかな」
櫛田が何気なく言った「野次馬しに」がおもしろく思えて、樹花の頬が少し緩んだ。
「あと葦原さんが、兄の件は違う人が担当するからもう連絡してきても話はできないって」
「そんなことになってたんだ、知らなかった」
注文した冷製パスタが運ばれてきて、櫛田は「食べよっか」とカトラリーの箱からフォークとスプーンを取り出して樹花に渡した。
「昨日と今日で色々ありすぎてマジでしんどいから食べて忘れる! いただきます!」
頭の中のもやもやを振り切るように食べ始める樹花を見て、櫛田が微笑んだ。
「ちょっとは楽になった? 連絡来た時に辛いことがあったのかなって思ったんだけれど、今は大丈夫そう」
樹花のフォークが勢いを止める。
「樹花ちゃんはお兄さんがいなくなったり変な事件に巻き込まれたりしても、しっかりしてる。弱気になっても、きちんと誰かを頼ろうとして、偉い。それができなくて潰れてしまう人、たくさんいるから」
樹花は無言で頷いた。今にも泣いてしまいたい、そんな気持ちになっていた。
「……あの、お仕事終わるまでここで待っててもいいですか」
(続く)
※この物語およびこの解説はフィクションです。
【用語・設定解説】
選挙事務の電子化:この物語の世界では電子投票よりも早く、選挙事務のDXが進んだ。震災の復興後に各地の公共施設や学校に据え付けられた電子掲示板は選挙期間中は電子ポスター掲示板になったほか、選挙運動用の交通機関パスも紙の定期券からICカードへと変更された。そのほか、電子ビラの配布やメタバース演説会の開催などの各種規定が作られ、ボランティアを多く動員できない候補でも十分な活動ができるようになった。これによって、今回の話に出てきた初老の男性のように、一人でやり抜こうという人にも道が開かれた。
沢しおん(Sion Sawa)
本名:澤 紫臣 作家、IT関連企業役員。現在は自治体でDX戦略の顧問も務めている。2020年東京都知事選にて9位(2万738票)で落選。
※本記事は、雑誌「DIME」で連載中の小説「TOKYO 2040」を転載したものです。
過去の連載記事一覧はコチラ