【短期集中連載 Vol.2】 カジノ&ギャンブル カジノゲーミンクの中のアレコレ『アミューズメントカジノとアングラカジノ』
ナマステ。カジノライターのかじのみみです。コインに「表と裏」があるように、カジノにも表と裏が・・・?日本のカジノについて、約32年前の出来事を筆者の体験から話したいと思います。シリーズ②のタイトルは、『アミューズメントカジノとアングラカジノ』です。
アングラカジノの実態
1991年秋。ニューヨークで過ごした3年3カ月の留学生活に別れを告げ帰国の途についた。20 代までは音楽で生計が立てられればと願っていたため、ヴォイストレーニングとダンスレッスンを受けるため渡米した。帰国して間もない頃、何かアルバイトを探そうと求人誌フロムA を購入しページを開いた。下記キャッチコピーが目に入ってきた。
『新規アミューズメントカジノ、ディーラー多数募集』
募集内容は六本木の「テンキャラット」というアミューズメントカジノでディーラー研修を行い、研修後はそこでディーラーとして働くという内容であった。時間給は研修時で1500円。高時給だしおもしろそうだなと思い、やってみることにした。
「テンキャラット」は地下鉄日比谷線・六本木駅から徒歩3 分ほどの場所に設けられていた。カジノは建物の地下1階、エントランス横にはトマトパスタが美味しい「チャールストンカフェ」が設置されていたと記憶をしている。
研修は毎日6 時間ほど。学んだゲームは「ブラックジャック」「ルーレット」「バカラ」である。オープニングの研修生は20 名程度で、毎日まじめにやってくる者もいれば、途中でさっさとリタイアした者もいた。中には現役の大学生も数名いて、学費の捻出や生活費を稼ぐためにディーラーになることを目指していた。
学生にとっても割のよいバイトだったのだろう。研修時は皆でマックポテトをつまみ、ゲームで遊びながら学んだためストレスはなく技術を習得できた。その後店舗はオープンし、残った研修生全員が「ディーラーデビュー」を果たした。その瞬間、時給は1550 円に昇給。楽しい日々であった。
しかし、半年も経たないうちに周辺の様子が変わってきた。アミューズメントカジノ(?)が次々と設置されるようになったのである。
コンラッド、909,ゴールデンナゲット、72、ミラージュ、MGM、etc.・・・
ラスベガスのカジノの名前がついた施設まで登場する始末。ディーラーたちも「〇〇ハウスは人を探しているよ」など積極的に情報交換を行う。少しでも条件のよい場所を求め、皆渡り鳥のように移っていったのである。筆者もそのひとりであった。
都内でアミューズメントカジノが増えることは、ディーラーには働き口が拡大することでもあったので、まんざらでもなかった。だが、この状況は長くは続かなかった。アングラカジノの台頭である。
1992 年頃、マンションの一室でひっそりと営業していると思われていた「アングラカジノ」が表舞台に姿を現すようになった。アングラに顧客を奪われることを危惧したのか当時のいくつかのアミューズメントは施設を〝許可店〟へと移行していった。
「テンキャラット」も時代の波にのまれたのだろうか。筆者が店を離れた後、店長の突然の辞任、その翌日には新しい責任者が現れ施設はアングラへと早変わりしたようだった。同ハウスはもう存在していない。
「Cはいいよ。ディーラーはみんなうまいからね」
テンキャラットを離れた後、音楽の有名ライブハウス「六本木ピットイン」(当時)の側に新しく設置されたカジノ「C」に行くことにした。その理由はディーラーの時給が自分の腕で決まるという「オーディション方式」を取っていたからである。入店時の最高時給は2000 円。後は100 円や50 円ずつの原点方式で給与が決まるという。おもしろい趣向だなと興味がわいた。
オーディションの科目はブラックジャック、ルーレット、バカラ。当時の主流3 ゲーム。審査員に3 人のベテランプレーヤーがついた。結果は、ブラックジャックは満点を取れたが、ルーレットの複雑配当が既定の30 秒より少し遅かったことで減点100 円、バカラのチップ処理で軽めの減点。その他の失点も含めて、時給は1800 円程度となった。
Cのディーラーは皆うわさ通りうまかった。100 枚のルーレットチップ整理を16秒台で完成させるディーラーが数名いた。技術のあるディーラーと働けることにワクワクしたことを今でも覚えている。
2 週間ほどしたある日、ブラックジャックを担当した際に、某有名歌手A 氏がテーブルにやってきた。有名人との対戦は初だったので緊張し、心臓がバクバクした!A 氏は現場慣れした様子でポーチから「20 万円」の現金をとり出し、テーブルに差し出した。正直おどろいた! これは明らかに、アミューズメントでプレーヤーから手渡される金額ではなかったからである。
状況に戸惑っていたのを見かねたのか、チーフB が「受け取って。チップを出して!」と指示を飛ばしてきた。言われるがままチップを出した。ゲームが終了すると、A 氏は早々と地下へとつづく階段を下りていく・・・
よくよく観察をしてみると、一部のプレーヤーは中央に設置された階段を下りて行くのだ。なぜだろう? 気になり別のディーラーに確認を取ってみようと声をかけた。すると、
「あれっ?知らなかったの?!うちは常連さんには地下で換金をしているよ。一見さんにはただのアミューズだけどね」と笑いながら饒舌になった。 軽くショックを受けた。
それを聞いた以上長居は無用である。店を辞める旨をチーフB に伝えることにした。
凛とした美しさを兼ね備えたチーフB。華やかで、ディーリング技術があって、ウマの合う女性ディーラー仲間であったため店舗を離れる理由に寂しさが募った。
その”アミューズメントカジノ”は、今は跡形もなく消えてしまっている。
取材・文/かじのみみ
カジノライター/ カジノコンサルタント
カジノ、ギャンブル、IR業歴31年。ディーラー歴25年。1992年より全国各地で開催された120件以上の「模擬カジノ」の企画、運営、ディーリング業に携わる。2008年から米系大手カジノ企業のVIPマーケティング・通訳・経理担当。2013年8月に同企業を離れフリーとなり、IRの誘致活動に従事。2020年以降は、カジノとギャンブル関連の執筆、スポットコンサル、通訳業に専念し、現在に至る。大阪生まれ、横浜・インドボンベイ育ち。