■連載/阿部純子のトレンド探検隊
サクラマスの養殖研究からスタートアップ企業を立ち上げる
日本では魚離れが進み水産生鮮品の購入額は年々減っているが、サケ類の消費は人気を維持しており、マルハニチロの「回転寿司に関する消費者実態調査2023」でも、最もよく食べるネタは12年連続でサーモンが1位に。世界でもサーモンの人気は高まっており、この 30年で世界のサケ類の生産量は約 3.5倍に成長している。
人口増加、食文化の多様化で世界の水産物消費量は過去50年で約2倍になり水産物資源は減少、サケの漁獲量も10年前の約50%となっている。
こうした状況で、生産量維持し海洋環境や気象災害の影響を受けにくい陸上養殖が注目され、水産庁の調査では、海水の陸上養殖累計事業者数は30年で4倍に増加した。
サケ科のサクラマスは日本固有種で、現在、環境省のカテゴリでは準絶滅危惧種(NT)に分類されている。富山県の郷土料理として知られるサクラマスを使った「鱒寿司」も、移入種のニジマスで代替されるなど、天然では希少な存在となってしまっている。
2019年に設立した宮崎大学発のスタートアップ企業「Smolt」は、独自の循環型養殖技術を用いて、淡水と海水を経験する過程で環境への耐性を持つ個体を代々選抜し、サクラマスの優れた家系の育種に取り組んでいる。
Smolt オリジナルのサクラマス血統「本桜鱒」は、サクラマス本来の生態、習性を損なわず優れた種をつくり続けられるように、天然と同じく淡水で生まれて海水を経験し、再び淡水で生活するという流れで育てられている。
Smolt 代表取締役CEO 上野賢氏に、サクラマスの魅力や、Smolt設立の経緯、同社が行っている取り組みについて話を伺った。
【上野賢氏 プロフィール】
岩手県釜石市出身。2014年に宮崎大学農学部に入学し、2016年よりサクラマスの研究を始める。研究に取り組む傍ら事業化の可能性を探り、大学院在学時の2019年に、宮崎大学が確立した循環型養殖技術を用いたサクラマス養殖を行う「Smolt」を設立。
――サクラマス研究に取り組んだきっかけは?
もともと宮崎はサケ・マスにはあまりゆかりのない地ですが、私の出身は岩手県釜石市で、サケ・マスが身近にある場所で育ち、秋にはサケが産卵のために川に上り、産卵を終えたサケが川で死んでいく様子が秋の風物詩になっていました。
暖かい場所で生き物の研究をしたいと思っていたので宮崎の大学に行きましたが、そこでサクラマス養殖の研究をされている先生に出会いました。現在Smoltの取締役を務める内田勝久教授です。
故郷で身近に接していたサクラマスと宮崎に来て出合ったことに、とても縁を感じて研究を始めましたが、研究するにつれサクラマスはとても面白い魚だとわかり、事業開発という点でも非常にポテンシャルを秘めている魚だと思うようになりました。
――「Smolt」設立の経緯について
研究室は部屋にこもって研究するのではなく「現場に行け」というスタンスで、漁師さんに会って実際に話を聞いてこいという教育を受けていました。学術的な研究だけでなく、漁師さんがどのような情熱を持って取り組んでいるのか、地元の魚が全く捕れなくなってしまったことなど、水産業が置かれている状況などを肌で感じることができました。
研究を始めて1年経ったころには「研究だけをしていればいいのか?」と疑問に感じるようになり、そんな時期に大学内で「ビジネスプランコンテスト」という、自分たちのアイディアを活かした事業プランを発表する機会がありました。
当初は「事業も勉強できたらいい」という軽い気持ちでしたが、思いのほかビジネスが面白く感じ、課題に直面している漁師さんの役に立ちたいと、サクラマスを事業化するという意志が強くなっていきました。
――「循環型養殖技術」は従来の養殖方法とどう違う?
サクラマスは「ヤマメ」として川で生まれて、海に降りる過程で成長し色も変わってサクラマスとなり、川に戻って産卵します。海に行くもの、川に残るものと個体によって選択するというのがヤマメ・サクラマスのユニークなところです。別種のアキザケは全部が海に行って川に戻ってきますが、ヤマメ・サクラマスはなぜ分かれるのか?しかも北海道だったらほぼ全部が海に行ってサクラマスになりますが、暖かい地域は一部のヤマメしか海に行かないといった地域差があります。
海に行く目的は大きく成長するため、餌を求めに行くためといった理由ですが、宮崎は暖かい場所なので、ぬくぬくと川での環境に満足してしまい、ほとんどが海に行きません。これを養殖によってサクラマスへと成長させてみようという研究が宮崎大学で始まり、それが今のSmoltに繋がっています。
Smoltの「本桜鱒」は、宮崎にいるヤマメでも海に出ていけるような環境に強い家系を作ることから始まりました。こうしてできたオリジナル血統を、淡水→海水→淡水と移し替え、徐々に海水の塩分濃度に慣らしていきます。海に出せるタイミングと水の慣らし方が重要になるのです。(※下記画像は本桜鱒が冬の間を過ごす海の生簀)
他社事例では、淡水のみの育成で出荷、もしくは淡水・海水で育て、淡水に戻すことなく出荷していることが大半ですが、私たちは時間と手間をかけて、サクラマス本来のプロセスを再現して育てることができます。それにより次の世代、その次の世代と繰り返していくことから「循環型養殖」と呼んでいます。
Smoltは自社設備を持たず、養殖業者さんと提携して事業を行っています。Smoltの強みは長年選抜継代した環境に強いサクラマスの家系です。このサクラマスの種と生産ノウハウ、生産管理ツールをパッケージングし、養殖生産者の方に提供しています。魚の導入から生育、出荷、販売まで、これまでに研究と経験で培った技術でサポートし、地域水産業の活性化に貢献しています。
――サクラマスの市場価値について
サケ・マス類は多くの魚種があり、メインで養殖されている地域によって分かれたり、サーモンの中でもバリエーションがあって、消費者も混同しているところがあります。
サケ・マス類は高価格から安価なものまで市場では広く出回っていますが、サクラマスは昔から鱒寿司などで日本人に親しまれてきた魚種であり、現在は希少価値が高くなっています。サクラマスはプレミアムな位置を目指せる魚種で、肉でいうと高級和牛のようなポジショニングだと考えています。
サクラマスは他のサーモン類と比べて、個体差が大きいことから養殖難易度が高く、天然でも漁獲量が少ない魚種で、国内流通量は全サーモン類の0.3%しかありません。私個人としては、個体差があるところに面白味を感じますが、均一な状態で養殖を行う業界の認識としては産業的に難しいとされています。だからこそ、希少性と品質の裏付けがあれば、成長産業になり得る可能性があると言えます。
Smoltでは完全養殖が2年サイクルで可能なため、他のサーモン類よりも生産効率が良く持続的に提供することが可能になります。
【AJの読み】希少なサクラマスの養殖を通じて豊かな食体験を届ける
Smoltは養殖だけでなく、サクラマスを使ったオリジナル商品の販売も行っている。今年8月には「FISH FARM SAKURA」としてリブランディングし、既存の「つきみいくら」「本桜鱒の冷燻製」の2商品に、「桜鱒のスモークコンフィ」「桜鱒の炊き込みご飯」「桜鱒のソフトジャーキー」の新商品をラインナップ。幅広くサクラマスの味わいを楽しめる商品群を揃えた。
「養殖は、魚を生簀の中にぎゅうぎゅうに押し込めて育てていると思っている方も多いですが、実際は餌にもこだわり、きれいな環境で育てられていることがほとんどです。Smoltのサクラマスは牛の放牧のように、自然の中でのびのびと育てていて、より自然に近い方法です。だからこそおいしいですし、サステナブルにもつながる。養殖という言葉のイメージを変え、養殖技術がここまで進んでいることをわかりやすくお伝えするため、リブランディングしました」(上野氏)
ANA国際線ファーストクラス機内食での提供や、メディアでも紹介され話題になった、黄金色の「つきみいくら」は、本桜鱒のメスから採卵したイクラを新鮮なまま味付けし、出汁の風味が香るすっきりとしたやさしい味わいに仕上げたもの。しかし、イクラといえば赤色のイメージだが、「つきみいくら」はなぜ黄色なのだろうか?
「サケ・マスのイクラは本来、黄色なんです。鶏の卵と同じで卵黄成分は黄色なので、卵黄が溜まってくると黄色くなっていきます。天然のサケ・マスはエビやカニを多く食べます。そうすると甲殻類に含まれるアスタキサンチンという赤い色素が体に蓄積され、サケ・マスは元々白身魚ですが、食べ物の色素が移って身も卵も赤くなります。
Smoltでは、生まれてから採卵するまで2年間、色素が一切入っていない自社配合の餌を与えることで魚の良さを引き出し、本来の色である黄色のままのイクラを提供することができるのです」(上野氏)
「つきみいくら」をイクラ丼にして試食してみた。一般的なイクラは塩味が強いことが多いが、「つきみいくら」は塩味を主張しすぎないバランスの良い味付けで、本来の旨味をより感じる。
ローリエや黒胡椒で味付けをした本桜鱒を桜とホワイトオークの2種類のチップで、三重県の燻製工房「魚寅」の職人が熟練の技で燻製した「本桜鱒の冷燻製」は、香ばしい風味と本桜鱒の旨味が白ワインや日本酒とのペアリングにぴったり。サンドイッチに使ってみたがこれも美味で、チーズや野菜とも相性がよい。
燻製したサクラマスの身をオイルに漬け込んだコンフィや、食べやすい食感のジャーキーは焼酎や日本酒によく合い、お酒のおつまみにうってつけ。コンフィはチーズなどと一緒にカナッペにしたり、パスタと和えてもおいしくいただける。桜鱒の炊き込みご飯は、つきみいくらを添えるとより美味に。
宮崎県延岡市にあるSmoltの養殖場「FISH FARM SAKURA」の一般開放を、来年の開業をめどに準備を進めている。体験型施設として、サクラマスが育てられている環境を見学したり、新鮮なサクラマスが食べられる施設も併設して、食育の場として提供していきたいという。
https://www.smolt.co.jp/collections/all
文/阿部純子