企業の社会的な存在意義、つまりパーパスを掲げる経営=パーパス経営が話題になることが少なくない。
この分野を扱うSMO社が東証プライム上場企業1836社を対象に行なった企業理念と、その呼称についての調査では、以下のようなパーパスを策定しているそうだ(プレスリリース)。
クリエイティビティとテクノロジーの力で、世界を感動で満たす。(ソニーグループ)
世界が進むチカラになる。(三菱UFJフィナンシャル・グループ)
世界中の人々の健康で豊かな生活に貢献する(第一三共)
タケダは、世界中の人々の健康と、輝かしい未来に貢献するために存在します。(武田薬品工業)
心の豊かさを、もっと。(日本たばこ産業)
引用元:PURPOSE STATEMENT LIST 2023
企業名は、2022年5月20日時点での時価総額順
https://www.smo-inc.com/docs/index.html
どの企業のパーパスも、さすがというものばかりで、素晴らしい。キラキラで、まぶしい。記者のように日陰がちょうど良いくらいの俗人には、まぶしすぎる。
ただ、まぶしすぎると感じている人は、記者だけではないようだ。
2022年に日経BP コンサルティングが行なった『企業の社会的存在意義(パーパス等)浸透レポート』では、自社のパーパスを従業員一人ひとりに浸透させることには課題があるという。この調査では、パーパスや(自社の)社会的存在意義を社内に周知する立場にある経営者や広報担当者などを対象に<「社会的存在意義」(パーパスや企業理念など)の社内浸透について感じている課題を教えてください。(いくつでも)>という問いかけをしたところ、「業務や行動レベルに落とせていない」(51.3%)、「なかなか認知されない」(27.5%)、「共感されていない」(27.5%)という結果だったとか。
だよね、というのが率直な印象だ。
なので、いくら日本を代表する超一流企業で働くビジネスパースンでも、「世界」や「未来」などに「貢献」といったことを日々の生活で実践しているか? と聞かれて、「はい」と答えられるというわけではないのだろう。
読者の皆さんの実感は、どうだろうか?
こうしたなかで、「哲学対話」のアプローチでマイパーパスを策定し、それを考える過程で会社のパーパスを自分事化するという試みが始まっているとか。東京大学 大学院の堀越耀介氏と、電通が開発した「マイパーパス策定プログラム」というものだ。
過日、このプログラムを体験する機会があった。
「哲学対話」とは何か?
そもそも哲学対話とは、なにか。東京大学の堀越氏は、次のように説明する。
「哲学対話というと、プラトン(古代ギリシャの哲学者)やカント(近代哲学の祖とされるドイツの哲学者)の思想を考えるのですか? と思われるかもしれませんが、そうではなくて、彼らのような哲学者たちが考えてきた道筋を私たち自身が辿ってみて、自分の力で考えてみよう、というものです」
ふ~ん。とはいえ、なんか、難しそう、と思われるかもしれないが、少しお付き合いをいただきたい。
その主なルールは、以下のとおり。
①対話=探究。会話でも、勝負でも、意見交換会でもない
②誹謗中傷以外、どんなことでも自由に話していい
③意見や立場は変わっていい
④合意や結論はなくてもいいが、それを「目指す」
⑤話すより、問い・聞く(≒話さなくても良い)
⑥自分の経験から、自分の言葉で考える
↑哲学対話のルールについて説明をする東京大学 共生のための国際哲学研究センター 上廣共生哲学講座 特任研究員の堀越耀介氏。
そして、次のように解説を始める。
「まず、対話とは、お互いが理解し合おうと向き合って探究していくことです。なので、ただのおしゃべりでもないし、論破して、勝った負けたとかいう勝負でもありません」(前出・堀越氏)
参加する人が、理解し合おうという心構えで参加する。そして、コミュニケーションそのものが目的ではないので「今日は暑いですねぇ」「そうですね」といったおしゃべりとは違う。そして、言い負かした、論破した、正論をぶつけたといった類いの戦いや、マウントの取り合いでもないそうだ。さらに堀越氏は、次のように続ける。
「哲学は、真理を見据えて、そこへ行くために、どうたどり着くかが大事なので、誰が見ても間違っているということがわかったとしたら、それは一歩前進したということです。だから勝ち負けでもないし、ディベートでもありません。
また、いろいろな人の意見を聞いて、今日はいろいろな意見を聞けて良かったです、楽しかったです、という意見交換会をしたいわけでもないんです。人を傷つけずに深掘りをしながら、何が真理なんだろうかを考えていくことが哲学対話です」
真理というと、少し大仰かもしれない。それは、「本当のこと」「大切なこと」などと言い換えられるだろう。「本当のこと」や「大切なこと」を、なぜ考える必要があるのか、どうやったら、それを大事にできるのか。そういうことを、自分だけで考えるのではなく、相手の意見や視点などに触れながら、驚きや発見をする。ときには自分が間違っていたと気づくときもある。そういうことを繰り返しながら、考えを深めていく。だからコミュニケーションが目的のおしゃべりとも、哲学対話は区別されるのだ。
以下、②~⑥までは、ざっくりと触れておこう。
哲学対話では、他者に配慮すれば自由に話をしていいし、対話を進めるなかで、意見や立場が変わっていい。むしろ、変わることを楽しむくらいでいい。
そして、「わかった」「わかりやすい」と思ったときは要注意。わかったところで思考停止しないよう、前提を疑ったり、答えを安易に求めず、モヤモヤした感じを持ち続ける。そして、そのモヤモヤから疑問を持ったり、話を聞くことを大事にする。また、誰かが言ったことや、データや統計などでマウントするのも禁物。あくまでも、自分の経験や自分の言葉で話すことを大事にするなどが哲学対話のルールだ。
この哲学対話についてより詳しく知りたい方は、堀越氏の著書『哲学はこう使う』(実業之日本社、2020年)に目を通していただくと、その雰囲気に触れることができるはず。このなかで堀越氏は、<自分自身が自分の言葉で、経験で、環境で考え語ること、そして自分の考えをどんどん変えて>(同書、8ページ)いくことを「哲学思考」とし、それを他者と行なうことを「哲学対話」と解説する。
そして、これまで哲学者が扱ってきた「学問の哲学」の問いは<簡単にいえば「ググってもわからないこと」であり、辞書や辞典で調べても、「単一の、または統一的な見解のないこと」>(同34ページ)ではあるけれど、そうしたことは、誰もが日常的に「小さな哲学」として向き合えることができる、と堀越氏は考える。
このように「学問の哲学」も「個人の中の哲学」も、実はつながっている、と考えるフレームになっているからこそ、ちょっとまぶしすぎるパーパスを、マイパーパスとして自分事化する、という活用が生まれてきたようだ。