コロナ禍を機に、一気に加速した「DX」だが、行きつく先にはどんな未来が待っているのか。一昨年の都知事選にも立候補した小説家、沢しおんが2040年のTOKYOを舞台にIT技術の行く末と、テクノロジーによる社会・政治の変容を描く。
※本連載は雑誌「DIME」で掲載しているDX小説です。
【これまでのあらすじ】
二十年のうちにデジタル化が浸透した二〇四〇年の東京。都庁で近々役割を終える「デジタル推進課」の葦原(あしはら)は、量子ネットワークから消えた住民データの調査を情報公開課と進めていたが、現場から外され選挙管理委員会への応援を命じられてしまう。その頃、刑事の水方(みなかた)は失踪中の橘広海(たちばな ひろみ)がメタバース内に残したボットに迫っていた──。
それは人の形をしていない
水方は常田(ときた)への連絡に使ったメッセージウインドウを閉じると、大きなキャビネットに車輪のついた配送型ドローンの形をしたオブジェクトを目の前にして、どうしたものかと考えた。
ボットが人の形をしているという先入観を捨てられていなければ、これが橘広海の残したものだと見破ることはできなかっただろう。
*
水方がメモリアルアバターの一般的な行動パターンから推理し、橘広海のボットが集会場の講堂に現われると予測したところまでは確かに合っていた。算段では、橘のボットが現われたら特殊な尋問をして異常動作を引き出し、それをきっかけに内部処理へアクセスして、暗号化されている動作用スクリプトや会話データベースを読み取るはずだった。
しかし、メタバース講演会場へやってきた聴衆のアバターを全てスキャンしても、いずれも操作者が生身の人間であることがわかり、ボットらしいボットは会場ロビーの受付アバターくらいしかいなかった。
当てが外れた水方は、会場の周囲を巡り、他に出入り口となるポータルがないか確認したが、そういったものはなかった。
こういうイベント会場は入場を一か所に制限しているものだし、もし過去に会場から出ないまま場内の座標でアバターがログアウトした場合でも、次にログインした時は強制的に建物の外に現われることになるのが普通だ。
デジタルデータを一つ残らず消した上で失踪した人間が、唯一メタバース内に残したであろうボット。もしそれすらも見込み違いで、本当に何から何までを消し去っていたら、水方のサイバー捜査はまったく意味がなくなってしまう。
それでも、手がかりが一つでも増える可能性があるのなら、徹底して調べたい。
水方は再び会場のロビーへと移動した。
ロビーには講演会の開催を祝うフラワースタンドのオブジェクトがいくつも並べられていた。二〇三〇年代に行なわれた公職選挙法の改正をもってしても、政治家や政党への支援は何かとデリケートなものだが、メタバース上での支援は金銭を絡めることも無ければ労働力を提供するわけでもないので比較的自由度が高い。
そこへ一台の配送用ドローンがやってきた。現実世界で橘広海が失踪時に潜伏したと思われるものと同じ型式で、モデリングもテクスチャーもよくできていた。
「メタバース内での配送業など聞いたことがない。そもそも必要なのか?」と水方は違和感を持った。
メタバース内で物を受け渡すのに、実時間をかけて物品を物理的に移動させる必要はない。相手との距離がどれだけ離れていようがデジタルデータなので一瞬で送ることができる。アバターの手から手へと渡す臨場感や、何かが届けられることそのものを演出をしたい場合ならあり得るが、それでも無味乾燥な配送用ドローンの形をしている必要はない。
水方はすぐに運営会社のコンピュータへ照会をかけ、このエリア内で演出のために配置されているオブジェクトを確認した。その一覧には規模の大きなイルミネーション装置から自由気ままに走り回る犬猫のボットまで網羅されていたが、配送用ドローンはなかった。つまり、いま目の前にあるこのドローン型のオブジェクトはメタバースに備え付けられているものではなく、ユーザーが放ったものだ。
街の中にあって自動的に移動していてもおかしくない、犬猫のように誰かからみだりに話しかけられたりもしない、特別な姿。
この形のアバターに疑問を持って近づくのは、確実に意志を持って調べようとする者だ。
水方はすぐにこのドローン型のボットをスキャンしてデータ保全をし、捜査用のコンピュータにコピーを作成した。
用意周到に自身のデータを消していた橘が、用意周到に何かを残したかったとしたら、こういう手段をとるのは納得できる話だ。
*
「おう、やってるか。どれだ、橘広海のボットっていうのは」
PA端末からメタバースにログインしてきた常田が、水方に声をかけた。
「常田さん、講演会場からのアクセスですよね」
「休憩時間がもうすぐ終わる。音声で話せるのは今くらいだ」
水方は頷いてから配送用ドローンを指し、「これです」と言った。
「俺はてっきり人型のアバターにおまえが、砂漠で亀をひっくり返す質問をしてるんじゃないかと思ってたよ」
「自分はそうするつもりでした。フォークト=カンプフ・テスト、古いSF映画の手法だ」
「中身は?」と常田はドローンのガワを叩くジェスチャーをした。
「データなら保全してあります」
「違えよ、箱の中身だよ。それこそ本人のアバターが隠れてるんじゃねぇのか?」
「ざっとチェックしたところ、外観しか作られていない。移動するカラの箱です」
「何もなし、か。現実でこいつに橘広海が潜んでたってことを知らなきゃ、メタバースでもこの箱を捕まえられなかっただろうな」
「はい。だからこのボットは、彼の失踪を追って辿り着く人を待っていた」
「そうだな。で、こいつをどうする。人が操作するアバターと違ってログアウトしねぇんだから、座標を縛って拘留ってわけにもいかないだろう」
「まだ全て解析はしていませんが、この箱に埋め込まれているスクリプトは設定に従ってメタバースの中を行き来する。コースに意味があるかもしれない」
「刺激を与えたら、動きが変わるんじゃねぇのか? こうして俺たちに見つかったことをきっかけに変化すことだってあり得る」
「ひとまずコピーはとってあるので、これにはマーカーをつけてモニタリングして泳がせます」
「じゃあ俺は現場へ戻るよ。俺のほうには……橘はいねぇかもな」
そう言うと常田のアバターは水方の前からログアウトし、消えた。
***
秘書官の鷹見(たかみ)がデジタル推進課の大黒に会った翌朝。知事の草薙(くさなぎ)は鷹見から報告を受けていた。
都立高校で教育実習用のアンドロイドが紛失し、代わりに変質者が潜り込んでいたという珍妙な事件についてだ。
「……内容はわかったが、その変質者がアンドロイドを盗んだのではないというのが気にかかる」
「捜査中なのでこれから新たな事実が出てくると思いますが、メーカーでもアンドロイドの位置情報は掴めていないそうです」
「電源が切れているのか」
「今回配備したのは新型で無充電で何日も動けますし、予備電源で位置情報やセンサーのデータをクラウドに上げ続けられるものです」
「第三者に盗まれ、電源や電波を完全に遮断されたと考えるべきか」
草薙はしばらく腕組みをしていたが、「時間だ」と言っておもむろに立ち上がって歩き出し、ドアノブに手をかけながら鷹見に言った。
「選挙管理委員会で立候補の書類をもらってくる」
草薙はこれまで州都知事選の話題を避けていたが、鷹見は「やっとですね」と呟いた。
「ご自身が行ったら待ち伏せてる記者たちに事実上の出馬表明を伝えることになります。端末から書類申請できますし、待たれては」
「己の手でしないと実感が湧かないというものだよ。対面の窓口をゼロにしていないのは、こういうアナログな人間をこぼさないように、だ。それに彼にも挨拶しておかないとな」
ドアが閉まってすぐ、鷹見は草薙の言った〝彼〟が葦原のことだと気づいた。
(続く)
※この物語およびこの解説はフィクションです。
【用語・設定解説】
公職選挙法の改正:この物語では、行政DXの流れを受けて2030年代には選挙事務、立候補、そして投票の三つの分野での電子化が一層進んだ。初回立候補時のみアナログな書類が必須だが、二回目以降は各種届け出のネット申し込みや供託金のキャッシュレス支払いなどが可能となる。
新型で無充電で何日も動けるアンドロイド:「AI・ドロイド規制法」のもと限られた業種で用いられていた人型アンドロイドだが、ハードウェアや電源技術の目覚ましい進歩によって人と同様の活動時間を得たことにより、さらなる活躍分野の拡大が見込まれており、人手不足が著しい教育分野への適用が試みられている。
沢しおん(Sion Sawa)
本名:澤 紫臣 作家、IT関連企業役員。現在は自治体でDX戦略の顧問も務めている。2020年東京都知事選にて9位(2万738票)で落選。
※本記事は、雑誌「DIME」で連載中の小説「TOKYO 2040」を転載したものです。
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