「薫なら17歳でプロデビューし、2018年ロシアW杯も行ける」と恩師が認めた才能
それは髙崎氏ら指導者にとっても同じ。日本にいながらにして、少年たちに日々、世界基準を求めるのは容易なことではない。特に子供は一度、インパクトの大きな経験をしても、数日経過すると日常に戻ってしまいかねない。いかにして高い意識を持ち続けさせるべきなのか…。それを模索したという。
「私自身も『どうしたら世界基準を身につけさせられるか』と考え、トライを続けました。
1つ取り組んだのが守備。『間合いゼロ』という言葉を掲げ、相手とぶつかるくらいまで、激しくボールを奪いにいくことを要求しました。『敵とぶつかって痛いと思わなかったら守備じゃない』『バチンと音がしないと持って行かれるぞ』といった声掛けをしながら、奪い切る仕事を磨いていったんです。
攻撃でも判断スピードや駆け引きを意識させました。薫に対しては、トップ下やボランチなどいろんなポジションで起用したり、『パスばっかりじゃダメだ』『もっとシュートを狙いに行け』などと口を酸っぱくして声掛けをするなど、本当に多くのことを求めましたね。薫なら『17歳でプロデビューし、2018年ロシアW杯メンバー入り』も十分可能だと私は本気で考えていた。だからこそ、特に強く要求したんです」
髙崎氏が語る通り、世界を見渡せば、「17歳でプロデビュー・21歳でW杯出場」というケースは珍しくない。2022年カタールW杯に参戦していたスペイン代表のペドリとガビ(ともにバルセロナ)、イングランド代表のベリンガム(レアル・マドリード)などはその筆頭だろう。
指導者が本気でその領域を目指してこそ、スーパータレントは出現する。周りの大人が志を高く持つことはやはり重要なポイントなのだ。
20代の急成長を支えた三笘の「論理的思考力」
しかしながら、三笘の場合は必ずしも思惑通りには行かなかった。川崎U-18の段階でトップ昇格の打診をされながら、筑波大学進学を選択。22歳になった2020年にプロサッカー選手のキャリアを歩み始めることになったのである。
「薫はもともと人見知りで、ユース年代の頃は自分に自信を持てないところがあったので、成長曲線は想像通りにはなりませんでした。
けれども、彼は新たな環境に馴染んで、どんどん成長できる選手。筑波に行っている頃、薫には『海外へ行っちゃえ』とよく言っていましたが、本人は先生や仲間からサッカーや運動に関する知識を得て、成長の糧にしていた。それは意味あることだと感じました。
そういう吸収力や適応力があったから、プロ入り後に凄まじい勢いで飛躍できた。筑波がなければ、今の彼はなかったと思います。来季もブライトン残留を公言したそうですが、
そこから一歩一歩、確実に進んでいくところは実に薫らしい。彼は堅実な男なんです」と髙崎氏は教え子に最大級の賛辞を送っていた。
三笘はメディアの前でも「まだまだ全然ダメ」「もっと改善しないといけない」と厳しい自己評価を口にすることが多いが、それだけ冷静に自分を分析できるという見方もできる。「論理的かつ客観的に考える力はサッカー選手にとって重要だ」と髙崎氏も語るが、三笘はそれだけの知性と思考力を併せ持っている。それが非常に大きいのだ。
「サッカーの練習と試合というのは、エンドレスなルーティン。プロになる選手は何十年もそれを続けていくことになります。プレーの善し悪しを分析し、自問問答し、解決策を見出して次に進むという地道な作業をコツコツと繰り返せないと先には進めない。その力がない選手は高いレベルには到達できない。それは一般社会においても同様で、偉大な業績は残せないと思います。
薫は小学生の頃からそういう取り組みを厭わずやっていましたし、我々もわざと考えさせる問いかけを意識しました。
『なぜ忘れ物をするの?』『なせ掃除が必要なの?』『グランドにゴミが落ちていることにどうして気づかないの?』といった細かい疑問を提示することによって、彼らは些細なことでも考え、改善するという習慣が身につく。そういったベースが将来につながるんです」と髙崎氏はしみじみと語っていた。
論理的思考力、コミュニケーション力、そしてここ一番の場面で行動を起こせる勇気と大胆さ…。三笘がグッと伸びたのは、この3要素を兼ね備えていたことが大きい。それは本人の生まれ持った能力によるところが大だろうが、小学校時代の貴重な国際経験や仲間との競争、指導者のアプローチも影響しているはずだ。
三笘のようなスーパースターをあえて育てようと思っても難しい。ただ、彼の成長過程から学べるところは少なくない。子供を持つ保護者、若手の育成に悩む指導者、管理職、経営者の人々にとって、髙崎氏の話はどこか参考になる部分があるはず。ぜひとも前向きな一助にしてほしいものである。
2020年1月にJリーグ新人研修会で旗手怜央とカメラに収まる三笘薫(右=筆者撮影)
取材・文/元川悦子
長野県松本深志高等学校、千葉大学法経学部卒業後、日本海事新聞を経て1994年からフリー・ライターとなる。日本代表に関しては特に精力的な取材を行っており、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは1994年アメリカ大会から2014年ブラジル大会まで6大会連続で現地へ赴いている。著作は『U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日』(小学館)、『蹴音』(主婦の友)『僕らがサッカーボーイズだった頃2 プロサッカー選手のジュニア時代」(カンゼン)『勝利の街に響け凱歌 松本山雅という奇跡のクラブ』(汐文社)ほか多数。