アイデアノミカタ「茶の湯のこころ」
表現や考え方のミカタにふれる「アイデアノミカタ」。
第6回のテーマは「茶の湯のこころ」です。
今回は千利休や古田織部をはじめとした茶道の歴史だけでなく、時代とともに変化していった茶の湯のスタイルと変わらない茶の湯のこころ、茶道ならではのコミュニケーションなどにも注目し、日本ならではの美意識について深掘りしていきたいと思います。
茶の湯のはじまり
茶道の始まりは鎌倉時代のことです。禅宗の栄西によって、禅の広まりとともにお茶がもたらされました。その後、室町時代に入るとお茶は禅から離れ、お茶の葉の種類を当てたり、茶道具の趣味を競うなど、徐々に「闘茶」と呼ばれる娯楽になっていきます。
ちなみに当時の茶道具の中心は中国から輸入された青磁などの「唐物(からもの)」が中心であり、日本国内の道具は「下手物(げてもの)」と呼ばれ、足利幕府を中心に娯楽として飲む「書院の茶」が茶の湯でした。
この流れに異をを唱えたのが、室町幕府8代将軍・足利義政の茶道の師範である村田珠光(しゅこう)です。珠光は茶は娯楽ではなく、美学であり、その美学こそ不足の美である「侘び」でした。
実際、珠光は茶の湯が本来持っていた禅の要素を取り戻し、焼け損ないの茶碗や量産品の茶碗に美を見出しました。
実は現代で生きる私たちが欠けているものに味わいを感じるのは、珠光による美意識によってもた感覚が大きいのです。さらに珠光は茶の湯の場所も書院作りの広間から四畳半ほどの小さな場所へ移した「侘び茶」を作り出した人物でもあります。
とはいえ茶の湯の面白いところは、現在まで書院の茶と侘び茶が両輪のように続いていることでもあります。
その後、国内や朝鮮半島の雑器のなかに美を見出して茶碗に見立てる、この「見立ての文化」を作り出した人物が武野紹鴎(じょおう)です。
そして、この紹鴎がお茶を教えた人物、それがあの「千利休」なのです。
千利休と茶の湯の人生
18歳で武野紹鴎に弟子入りした千利休ですが、紹鴎に利休は他とはモノが違うといわしめたエピソードがあります。
ある日、利休は紹鴎に茶会に誘われた際、1日待って欲しい旨を伝えます。利休はその1日の間に頭を丸めて、新たに法衣を新調しました。利休は頭を丸めることで、禅の心を体現して参加したということです。
こうした感性を持っていた利休のことを最初から見抜いていた人物が紹鴎ともいえるでしょう。
織田信長との関わり
その後、利休の茶の湯を認めた人物が織田信長でした。信長は「名物狩り」といって、茶道具を各地から蒐集していました。信長は賛否はあれど、古い伝統を次々と壊す革新的な人物として知られていますが、茶の湯に対しても新しく創造できる人物を求めており、利休は最適な人材でもあったのです。また信長は茶の湯を巧みに政治利用しており、千利休が認めた茶道具の価値を上げるブランディングをして、茶道具を一国と同じ価値があるものとしたのです。
こうして国土の狭い日本において、貢献した家臣には国ではなく、一国と同じ価値がある茶道具を与えたのです。
また信長は茶会も許可した家臣のみに開くことを認める許可制としたため、茶会を開くこと自体がステータスの象徴となったのです。そして信長が開く茶会の茶頭(さどう)が千利休であり、多くの武将が千利休に弟子入りしました。
ちなみに信長は本能寺で亡くなりますが、そこでは信長が購入した茶道具を披露する会が行われていました。しかし、その日の夜に家臣の明智光秀による謀叛が起こり、信長の死と共に多くの名物といわれる茶器が焼失しました。
豊臣秀吉との関わり
信長の時代に名物が焼失しため、名物不足となった秀吉の時代において、引き続き茶頭でもあった千利休は、名物そのものをプロデュースするようになります。また侘び茶の完成形として、千利休はかがんで茶室に入る「にじり口」を発明します。この「にじり口」から茶の湯に入ることで、そこに小宇宙を誕生させたのです。
また茶道具を定番化させたのも利休でした。たとえば今では当たり前のように見る竹で作られた節のある茶杓も利休によるものです。つまり利休が定番させたことで、現代でも私たちは利休の美に触れているのです。
また利休のことを最も理解していた人物こそ秀吉であったともいわれており、両者にはこんなエピソードがあります。
ある日、利休の自宅の庭に美しい朝顔が咲き誇っていることを聞いた秀吉は、朝顔を愛でるために利休に茶席をお願いします。しかし、いざ秀吉が利休の家に行くと朝顔が一つもありませんでした。実は利休は秀吉が来る前に朝顔を全て摘み、一輪だけ茶室に生けたのです。
野に咲く朝顔ではなく、選りすぐった一輪だけを見せた利休の美意識に対して、秀吉は面白いと絶賛したそうです。
つまり秀吉は利休の美意識をすぐに理解する美の直感力があったのではないでしょうか。
その後、秀吉が開催した北野天満宮で開催された「北野大茶会」でも、両者がタッグを組み大成功をおさめます。
しかし、利休が秀吉という最大の理解者の協力を得ながら美の神に近づいていくことで、皮肉なことに利休と秀吉の関係も徐々に悪化していきます。なぜなら、秀吉自身も人間の神を目指しており、結果的に両雄並び立たず、秀吉は利休に切腹を命じることになるのです。