『ファイナルファンタジー』のメディアやパッケージに描かれる神話のようなアートの数々は、同シリーズのアイコニックな存在として、プレイヤーの脳裏に強く焼き付いていることだろう。それらのイメージイラストなどを1作目から手がけている天野喜孝(以下、天野)先生の『ファイナルファンタジー』に関する仕事について、たっぷりと伺った。
「お気に入りなのはどこか尖ったキャラクターです」
アーティスト
天野喜孝先生
1952年生まれ。『ファイナルファンタジー』シリーズではビジュアルコンセプトデザイン、ロゴイラスト、イメージイラストなどを担当。舞台美術や衣装デザインなども手がける。2022年には生誕70周年を記念したアートプロジェクト「金色世界」を始動。大本山妙心寺に展示された高さ約3mの円柱型からなる「金色厨子」が話題に。
天野先生にとって特に印象に残っているのが『ファイナルファンタジーⅥ』のケフカ・パラッツォ
ケフカ・パラッツォは『FF6』のキャラクターで、道化師の格好をしたガストラ帝国の人造魔導士。魔導注入における副作用によって魔力と引き換えに精神に異常をきたし、破壊の欲望に取りつかれてしまう。
20代後半から描き始めたファンタジーの世界
──天野先生がファンタジーの世界を描くようになったきっかけを教えてください。
天野 僕はもともとアニメーション業界でキャラクターデザインの仕事をしていました。当時はどちらかといえば『ガッチャマン』や『タイムボカン』のようなSF風の作品が多かったのですが、自分としては西洋に伝わるような神話の世界を描いてみたいと思っていました。アニメの仕事では自分の描いた絵がそのまま表に出る機会は少なかったこともあり、やっぱり自分の絵を発表したいという思いで早川書房に自分の作品を持ち込み、イラスト制作を請け負うことになりました。マイケル・ムアコック氏の著作などの表紙や挿入イラストを手がける仕事で神話の世界をいろいろと調べるうちに「ファンタジーが描きたい!」という意欲が強まり、のめり込んでいったんです。西洋風のファンタジーにまつわる絵の依頼も来るようになって『ファイナルファンタジー』の仕事へとつながっていきました。
ゲームの仕事を受けたのはファンタジーだから
──『ファイナルファンタジー』のアート制作依頼について、当時はどんな印象を持たれましたか?
天野 世の中的にはゲームが一般的なものではなく、私も『スペースインベーダー』やレースゲームくらいの知識しか持っていなかったので、自分が描いている絵とのつながりが全く考えられませんでした。でも『ファイナルファンタジー』の生みの親である坂口博信さんから「ファンタジーをゲームでやりたい」と聞いて「ファンタジーならおもしろそう」と思ったのを覚えています。周囲は「どんな仕事なの?」と懐疑的な反応もありましたけどね。ファンタジーを題材にした『ファイナルファンタジー』でなければ、きっと仕事を受けていなかったと思います。
──『ファイナルファンタジー』のイメージイラストを手がける際、どんな工夫をされたのでしょうか?
天野 ゲームだからといって特別なことをしたわけではありません。自分で何か新しいものを生み出すというよりも、あくまでも『ファイナルファンタジー』の世界観を自分なりにどう表現するのかを意識しました。送られてくるシナリオや設定を解釈するとともに、スクウェア(現スクウェア・エニックス)の担当者と打ち合わせをしながら、想像を膨らませてイラストを描いていたのを覚えています。最初はイラストに色をつけることもなく、下描きをせずにペンで描いていたのですが、特にモンスターのイラストはそのほうが勢いや動きが表現できた気がします。自分が描いたイメージイラストが、当時のゲームでは小さなドットでキャラクターとして表現されるので、デフォルメされていくところはおもしろいと思いましたね。「ゲーム画面だと目立たないかな」と思いつつ、シルエットを重視して描きました。