ロスチャイルド家といえばユダヤの大富豪です。
かつて世界経済を動かすと呼ばれるほど絶大な影響力を誇り、近代ヨーロッパの歴史の中で重要な役割を担ってきました。では一体、ロスチャイルド家はどのように繁栄し衰退していったのでしょうか。
そこで今回の金融経済アルキ帳は、ロスチャイルド家の繁栄と衰退の歴史について深掘りしていきたいと思います。
ロスチャイルド家のはじまり
ロスチャイルド家は、ドイツのユダヤ人銀行家であるマイヤー・アムシェル・ロスチャイルドによって創設されました。ドイツ・ハノーバーの銀行で金融業の仕組みを学んだマイヤーは、通貨などの古いコインを買取り、販売する古銭商をはじめました。
マイヤーはカタログやパンフレットのようなものを作り、販売のために郵送していたようです。徐々に事業が拡大するなかで、マイヤーは貴族や領主との関係を深めていきます。
こういったビジネスは典型的な宮廷ユダヤ人の手法のひとつであり、貴金属などを扱う貴族の懇意となり、やがて貴族を相手に資金運用や資金貸付などを引き受けて、莫大な資産を築いていきました。
マイヤーは東ドイツ地方(プロイセン)の君主フリードリッヒ大王の皇太子ヴィルヘルム公が顧客になるほどの影響力を持ちました。ちなみにヴィルヘルム公に任されていた事業は受け取ったイギリスの小切手を両替することで、その運用でマイヤーの才覚が発揮され、ロスチャイルド家はヨーロッパでも名前を知られるようになっていきます。
マイヤーの5人の息子
18世紀当時のヨーロッパは国境を越えた物資の取引は行われていましたが、現在のようなドルやユーロのような共通の通貨は存在していませんでした。
各国に通貨があり、両替商を通じて異なる国の通貨が交換されていたのです。
しかし、当時は為替相場が整備されておらず、両替のレートは両替商の判断で行われていました。つまり両替商は各国の経済状況を分析する必要があり、いかに情報を集めるのかがポイントでした。
ここでロスチャイルド家はチャンスを掴みます。マイヤーは5人の息子をそれぞれフランクフルト、ロンドン、パリ、ウォーンに配置し、息子たちと協力することで為替のネットワークを作り、高度な情報戦略によって為替ビジネスを成功させます。
実はこれも典型的な宮廷ユダヤ人の手法でした。
ユダヤ人は紀元前にローマ帝国に敗北して以降、各地に離散しており、商売人の多くが世界中に親戚がいるネットワークを活かしてビジネスを展開しているからです。
さらにマイヤーはイギリスの小切手を両替するだけでなく、イギリス製の綿製品を仕入れてドイツで販売することで、両替よりも何倍も利益が出るルートを発見します。
こうしてロスチャイルド家は両替と貿易の両方で稼ぎ、事業の基盤を強固なものにしていくのです。