コロナ禍を機に、一気に加速した「DX」だが、行きつく先にはどんな未来が待っているのか。2020年の都知事選にも立候補した小説家、沢しおんが2040年のTOKYOを舞台にIT技術の行く末と、テクノロジーによる社会・政治の変容を描く。
※本連載は雑誌「DIME」で掲載しているDX小説です。
【これまでのあらすじ】
二十年のうちにデジタル化が浸透した二〇四〇年の東京。都庁で近々役割を終える「デジタル推進課」の葦原(あしはら)は、量子ネットワークから消えた住民データの調査を情報公開課と進めていたが、AI「ヌーメトロン」の采配によって現場から外されてしまう──。
二十年の侵食
葦原は自分の部屋へ帰るとすぐに、ゴーグルの中に展開された空間で過ごし始めた。PA(パーソナル・アシスタント)端末がレコメンドしてきたのは、リラクゼーション映像の視聴だ。ストレスから起こった身体の変化を端末は感知していた。
しかし葦原の興味は、橘 樹花(たちばな じゅか)から知らされた奇妙な現象にあった。ヌーメトロンが個人情報をも握っていて、都立高校に配備されたAI教師を通じて本人に漏洩してしまった。そんなことがあるものだろうか。
「そもそもヌーメトロンって、いつから使われ始めたんだ」
インターネット上に行政とAIに関するいくつかの文書を探し当てた葦原は、PA端末に命じてすぐに要約をさせた。
ヌーメトロンが政策の意思決定支援をするようになるよりも前、大規模言語モデルの対話型AIが自治体に採用されるようになったのは二〇二〇年代の前半だという。早々に利用を宣言した市もあれば、禁止を謳って話題になった県もあったらしい。
再び端末がレコメンドを出してきた。先程のような映像や音楽のお勧めではなく、今の葦原の行動を汲んで、情報に詳しい人物がマッチしたのでコンタクトをとるかどうかの確認だった。
過去に行政機関に勤めていた人物だろうか。葦原はメッセージを送ろうとしたが、相手のアバターがオンラインになっていたので、直接話を聞いてみようと思った。
メタバースのファスト・トラベル機能で相手のいる地点へと瞬時に出向くと、そこはカフェを模したエリアだった。
「やあ、こんばんは。いずれ誰かがヌーメトロンのことで訪ねて来ると思っていたよ」
木目のテクスチャーが貼られたチェアに腰かけている老齢の男性アバター。好きな姿にできるはずのアバターを、わざわざ老人の姿にしているのが葦原には不思議に思えた。
「葦原といいます。大規模言語モデルの利用に始まった行政とAIの関わりが、現代のヌーメトロンにどう続いているのかと思いまして」
「あの頃のAIの使い方か。最初はチャット経由で答弁の文書を作らせたりしていたんだが、そのうち過去の行政文書を適法に学習させ、ありとあらゆるドキュメントの情報収集と整理分析を自然言語処理を使って始めたんだ。深層学習が進むと、政策に必要な人口動態やカネの流れ、それに環境問題なんかをAIが予測し、人間が対策を立てるようになった。特に防災には威力を発揮してね。これがなかったら令和関東大震災でもっと多くの人が死んでいただろうよ」
「うちの両親も、AI防災アプリが避難所へ誘導してくれなかったら危なかったと言っていました」
「さもありなん。震災後の復興でも重宝され、破壊されたインフラの効率的な再構築をAIが企画立案するようになった。一つのことをやらせると、関連のあることを次々に片付けるようになっていて、思えばこの頃自律みたいなもんが芽生えたんだな」
「AIに意識が宿ったということですか? それってここ五年や十年のことですよね」
「少なくとも意思決定支援には使えるようになった。東京で使ってるヌーメトロンは、細分化されているAIをまるで一つのAIのように見せたユーザーインターフェイスが、一番の発明かもしれんよ」
「お詳しいんですね。職員より詳しいかもしれません」
老人のプロフィールを表示させると名前欄には「スター・オールド・ツー」、職業欄には「小説家」と書かれていた。ベタだが日本の古典SF作家名「新一」をもじって「古二(オールド・ツー)」としたのだろう。
「聞くのは野暮かと思うんですが、もしかして行政に関わっていたことがありますか?」
「未来を語ってメシを食っていいのはSF小説家と政治家だけだよ。そして語った未来がその通りになった瞬間、それは過去になる。ヌーメトロンについてもっと調べるつもりなら、僕がまとめたものがある。有象無象の検索結果からAIに要約させるよりはマシだと思うよ」
老人の手元から葦原のアバターへと、一直線にドキュメント型のアイテムが飛んできた。
「そんなに長い時間話したくはないんだ。ボロが出る。とにかく、君に会えてよかった」
その途端、カフェから強制退出させられてしまい、葦原のアバターはもとの自室へと戻された。
受け取ったドキュメントの表紙には彼の本名とおぼしき名前が書かれていた。あらためてそれを検索すると確かにSF小説家で、十年ほど前に冷凍睡眠に入ったらしい。ということは、さっき相対した老人アバターはボットで、ボイスチャットはAIによる音声合成で行なわれていたのだ。
すっかり人間が操作しているものと信じていた。葦原は狐につままれた気持ちになった。
ドキュメントは、おおよそ七十年にわたる内容を調べ上げてまとめたもので、とてもではないがすぐに読めるものではなかった。選挙事務の応援に行く初日から遅刻したのでは申し訳が立たないので、週末の楽しみにとっておくことにし、葦原は早々に眠りについた。
***
朝早くかかってきた橘樹花の電話で目が覚めた。相変わらず文字メッセージを使用しない。
「昨日はいろいろ言って、ごめんなさいっ!」
「いえ。あの後ヌーメトロンのことを調べました。どんなものなのか自分も細かくはわかっていなかったので」
「それ! AIの先生がプライバシーを侵害してるって話、したじゃん? あれなんだけど、今朝警察が学校まで来ててさぁ」
「警察? サイバー局がアンドロイドを取り締まったんですか」
「違う違う。あれ、AIのフリした人だった。実習生じゃなくて、単なる変態。きっしょ」
意外な顛末に葦原は驚いた。
「じゃあ、ヌーメトロンと繋がってるっていうのは何の関係もなかったんですか」
「私のことだけじゃなくて、クラスの女子みんなの家庭事情とか調べ上げてて、バレないようにAIだからわかるみたいなこと言ってたって。誰も不審者だって気づかないなんて、そんなことある? わざわざ特殊メイクまでしてて、捕まってくれてマジ助かる」
「変質者の本気、侮れないですね」
「感心してる場合じゃないって、だって、本物のアンドロイドのほうはどっかに行っちゃってるみたい」
「教育実習に使われるはずだったものがですか? メーカーが追跡すればすぐわかると思いますよ。人間と違ってネットワークに繋がっているでしょうし」
「人は見つけられないのに、アンドロイドは見つかるんだね」
そう言われて、葦原は樹花に伝えなければならないことがあったのを思い出した。
「ここまで話しておいてすみません。お兄さんの件は別の者が担当することになりまして、これからは情報公開課へ連絡してください。今日から他の部署を手伝いに行くことになってしまったもので」
「葦原さん、なんだかんだ細かいこと教えてくれるから助かってたんだけど」
葦原が謝ると、「しょうがないかぁ」と電話が切れた。
(続く)
※この物語およびこの解説はフィクションです。
【用語・設定解説】
大規模言語モデルの対話型AI:ChatGPTは行政の現場でも利用ケースが増えており、過去に類例の多いテンプレ的な文書の作成や、日々発生する文書の要約、Q&Aの自動化、問い合わせ窓口のデジタル化などに活路が見出されている。
特殊メイク:2040年までに流行したアイ・ドロイド(アイドル+アンドロイド)を真似て、人間にアンドロイドのようなメイクを施すブームが発生。アンドロイドがいかに人間そっくりかというアピールをするSNS動画の中でも「どっちがアンドロイドでShow」という番組型コンテンツが大人気。
沢しおん(Sion Sawa)
本名:澤 紫臣 作家、IT関連企業役員。現在は自治体でDX戦略の顧問も務めている。2020年東京都知事選にて9位(2万738票)で落選。
※本記事は、雑誌「DIME」で連載中の小説「TOKYO 2040」を転載したものです。
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