ニクソン・ショック後の世界
金本位制の廃止は資本主義経済の基本ルールが根本から変わる大きな出来事でした。
なぜなら、貨幣の発行が金に縛られなくなったからです。
このルール変更が大きな変化として現れたのが「インフレ」です。
その要因は各国の中央銀行が金の出入りに関係なく貨幣を発行できるようになり、多くの投資家が貨幣から現物資産へと乗り換える動きが活発になったことにあります。
このとき、最も人気となった現物資産こそ「金」だったのです。
実際、1971年に金価格は1オンス35ドルでしたが、1980年には1オンス586ドルまで価格が大きく上昇しています。とはいえ金価格の上昇も永遠に続くことはありません。
その後は実に20年もの長い期間、金価格は値下がりを続けたからです。
また金価格が上昇を続ける過程で米ドルの失墜にピンと来た方もいるのではないでしょうか。
では、こうした厳しい状況を米国はどのように乗り越えたのでしょうか?
そこで重要な役割を果たしたのが当時のFRB議長ポール・ボルカーです。
FRB議長ポール・ボルカーの決断
ニクソン・ショックから10年後、1980年代初頭の米ドルの価値が金と比較すると約90%も下落しました。これによりドルに対する信頼も大きく低下します。
こうした状況下でFRB議長に就任したのがポール・ボルカーです。
ボルカー議長が最優先したのがインフレ退治のため政策金利を史上最高水準(FF金利を20%引き上げ)にしたことです。
金利が上がることで企業は投資を控え、消費者は高金利を魅力に感じて銀行に資金が集まりやすくなります。当時の物価上昇率の平均が約14%であり、銀行の預金金利が20%であるということは、実質6%の高金利であったからです。
とはいえ金利が上がると待ち受けているのは経済不況です。当然、各方面からボルカーの利上げ政策に反対の声が高まっていきます。
しかし、どんなに厳しい声を浴びようともボルカー議長は1981年の夏頃まで高金利政策を維持したことで、米国経済の問題の根幹であったインフレ退治を成功させました。
実際、消費者物価指数は80年4月の14.6%から83年7月には2.36%まで下落しています。
こうして結果的にはボルカー議長は歴代FRB議長の中でも伝説の議長として名を馳せることになったのです。
このボルカーの決断は、現在のFRBパウエル議長が昨年から続けるインフレ鈍化を目指した利上げ政策にも影響を与えているのです。