経済史の世界では「ニクソン・ショック」という有名な言葉があります。
これは1971年8月15日に米国のニクソン大統領が金とドルの交換停止を発表し、それまでの世界経済のスタンダードが大きく変化した出来事を指しています。
そこで今回はなぜ米国が金本位制の廃止を決めたのか、その理由を探ることで、現在まで続く資本主義のカタチについて迫っていきたいと思います。
それでは「再発見!金融経済アルキ帖」のはじまりです!
ニクソン・ショック前の世界
世界経済の歴史において1945年から60年代にかけて歴史的な好景気が起こりました。
この時代、米国のライフスタイルに憧れた多くの消費者が白物家電と呼ばれるテレビや冷蔵庫、洗濯機などが一気に普及した「消費の時代」でもありました。
こうした金本位制の時代において、欧米などの先進国や日本は米ドルを蓄積していくのが基本方針でしたが、高度成長期を迎えて日本企業などが台頭するようになると、それまで圧倒的な競争力を持っていた米国の経済成長にも鈍化が見られるようになり、その結果、米国の経常赤字問題へと繋がっていきました。
つまり当時の米国は「流動性のジレンマ」に陥っていたのです。
この問題の根幹にあるのは、米国が金の保有以上にドルを刷り続けるしかなかったことにあります。本来、経常収支が赤字である場合、米国が保有する金は減少しているはずです。
ところが、実際には米国の通貨供給量は増加していったのです。
この構造の問題を指摘したのがフランスでした。
当時のフランス大統領シャルル・ド・ゴールは、フランスが保有するドルを金に交換するように強く要求しており、この背景には、フランスをはじめとした欧米諸国は米ドルの圧倒的な優位性に反発していたことがあるようです。
実際、1971年初頭には金価格が1オンス44ドルまで上昇し、フランスだけでなくベルギーも米ドルと金の交換を要求するようになります。なぜなら、当時の金とドルの交換レートが1オンス35ドルであり、米ドルを金に変えて売れば1オンス9ドルの儲けが出たからです。
こうした状況下で米国は2つの選択肢に迫られました。。
・金とドルの交換レートを調整すること
・金本位制を放棄すること
とはいえ、実際には金本位制を放棄する以外に米国には選択肢がなかったともいえるでしょう。
なぜなら、仮に金とドルの交換レートを調整しようとすると、金への投機的な動きが加速することが懸念されたからです。
つまりニクソン・ショック以前の資本主義世界では、通貨の供給は金の供給量に左右されていました。
ところが、次第に金の量と関係なく通貨供給がされたことで、経済全体に強烈なインフレ期待を抱かせるようになったのです。
こうして米国のニクソン大統領は金とドルの交換停止を発表し、これが経済史では「ニクソン・ショック」と呼ばれ、国際金融の秩序は新たな段階へと突入していったのです。