『土耳古』とは、ヨーロッパとアジアの境目に位置する国を表わす言葉です。この表記を日常で使う機会は少ないかもしれませんが、教養として覚えておくのがおすすめです。土耳古の読み方や意味・由来、さらには英語表記の由来や関連語を紹介します。
「土耳古」の読み方は?
土耳古と書いて何と読むのでしょうか?正しい読み方を紹介します。
「トルコ」が正解
土耳古の読み方は『トルコ』です。1文字で表記する場合は『土』とするのが一般的で、『土国』などと書かれるケースもあります。
トルコとは、アジアの西端に位置する国です。正式名称を『トルコ共和国』といい、日本の約2倍の国土を持ちます。首都はアンカラにあり、公用語は『トルコ語』です。
トルコと日本はアジアの西端・東端と、物理的な距離は離れていますが、オスマン帝国時代からつながりがありました。現在、成田空港にはトルコのフラッグキャリアである『ターキッシュエアラインズ』も乗り入れており、2国間の交流は続いています。
「耳」という文字が使われる理由
トルコの『ル』に『耳』の漢字が当てられていることについて、疑問に思う人もいるかもしれません。
ルを『耳』とするのは、この当て字が中国語に由来しているためです。中国語では、耳をルに近い『アール』と発音します。ルに耳という漢字が使われていても、不自然ではないのです。
日本の外来語・外国名表記の多くは、中国語に由来します。同じ漢字文化圏でも発音や読み方は異なるため、日本人にとっては読みにくい・意味が分からないと感じる当て字も多々あるのです。
トルコが「ターキー」と呼ばれるのはなぜ?
トルコは、英語では『ターキー(Turkey)』と呼ばれます。こちらの呼び方の由来は何なのでしょうか?
「テュルク系民族」に由来
現在のトルコの礎を築いたのは、騎馬民族『テュルク系民族』です。侵略の脅威にさらされた周辺国の人々は、テュルク系民族を『強い集団』などの意味を持つ『Turks』と呼びました。英語読みの『ターキー』はこの『Turks』に由来しています。
13世紀ごろから20世紀まで、トルコを含む一帯はオスマン帝国によって支配されていました。オスマン帝国は、テュルク系民族の一派が興した国です。英語の文献では『Ottoman Empire』ではなく『Ottoman Turks』と記されるケースもあります。
トルコ革命によってオスマン帝国が滅んだ後、トルコの人々は国名にTurkeyを入れることを選びました。現在のトルコの国名『Republic of Turkey』は、トルコ人のルーツがテュルク系民族にあることを示しています。
2022年に英語表記が「Türkiye」に変更
2022年、トルコ政府は国名の英語表記を『Republic of Turkey』から『Republic of Türkiye』に変更すると決定しました。
トルコの国名は、トルコ語では『Türkiye Cumhuriyeti(テュルキイェ・ジュムフリイェティ)』です。この変更により、トルコの国名は自国の読み方により近いものとなりました。
ターキーは『七面鳥』と混同されがちな上、『ばか者、愚か者』『間抜けな失敗』などと、英語圏ではネガティブに使われるケースが少なくありません。国名としてはイメージがよいとはいえず、トルコ政府は改変に踏み切ったとされています。
今後、トルコで生産される商品には『Made in Türkiye』のタグが付けられることとなります。
日本では「ターキー」と呼ばない理由
トルコが『ターキー』を正式な国名としたのは、1923年にトルコ共和国が成立して以降です。それ以前から『トルコ』と呼んでいた日本では、そのまま同じ呼び方が使われました。
日本におけるトルコの読み方については、ポルトガル人が使っていた『Turco』をそのまま取り入れたとする説が有力です。
日本は16世紀より、ポルトガルと南蛮貿易を行っています。西洋のさまざまな知識と同様に、トルコという言葉も入ってきたと考えられます。
トルコに関係する難読漢字
『土耳古』のほかにも、トルコに関係する読み方の難しい漢字があります。『斯当歩児』『君府』は、それぞれ何と読むのでしょうか?
斯当歩児
『斯当歩児』と書いて『イスタンブール』と読みます。完全な当て字であるため、字面のみで読み方を推測するのは難しいかもしれません。
イスタンブールは、トルコ最大の経済都市です。都市はボスポラス海峡を挟んでアジアとヨーロッパをまたいでおり、紀元前から東西文化が交わる最重要都市として栄えてきました。
東ローマ帝国やオスマン帝国はイスタンブールを首都としたため、市内には歴史的に価値の高い遺物・遺跡が豊富です。例えば青の色調が美しい『スルタンアフメト・モスク(ブルーモスク)』や、歴代の帝国によって神殿・モスクとして使われてきた『アヤソフィア』は、イスタンブールの象徴として知られています。
君府
君府は、『コンスタンティノープル』の当て字です。
コンスタンティノープルは、ローマ帝国・東ローマ帝国の首都として栄えた都市です。この地を首都に定めた『コンスタンティヌス帝』にちなんで、コンスタンティノープルと名付けられました。
東ローマ帝国を滅ぼしたオスマン帝国もコンスタンティノープルを首都としましたが、名称は現在のイスタンブールに変更されています。イスタンブールという名前は、ギリシャ語の『イス・ティン・ポリン』に由来するとされます。これは『町へ向かって』という意味です。
現在のイスタンブールには、コンスタンティノープル時代の遺物や遺構も数多く残っています。例えばビザンツ帝国皇帝ユスティニアヌスによって地下に作られた貯水池や、ブルーモスクの下にあったとされる大宮殿のモザイク画などは、人気の高い観光スポットです。
構成/編集部