新連載/山田美保子のデキる接客に学ぶ人心掌握術
「もしかして、すごくお待ちになりましたか?」
珍しく都心に大雨が降っていた某日。アプリでタクシーを呼ぼうとサイトを開いた途端、「空車が周辺にいないため手配できません」との表示が出てしまった。仕方がないので大きめの傘を持って自宅を飛び出し、通りに出た途端、奇跡的に空車に出会えた。
「ありがとうございます」と明るいトーンで迎えてくれたドライバーさんに対し、思わず「こちらこそ、ありがとうございます」と言ってしまった。こんなにすぐに乗車できるとは思っていなかったからだ。
昨今、乗車のタイミングで「こんにちは」とか「おはようございます」「こんばんは」などと挨拶してくれるドライバーは少なくない。思えばタクシードライバーは「いらっしゃいませ」とは言わない職種。最初、どんな言葉で乗客を迎えるかについては会社としてもドライバー個人としても悩ましいところだろう。
そんな中、まず「ありがとうございます」と言ってくれたドライバーに会ったのは今回が初めてで、(あ、“当たり”のタクシーに乗れた)と思えた。
タクシーの場合、ドライバーの最初の一言は本当に大事だ。行先を告げた後、「今日がまだ3日目なので……、道を教えていただけますか?」と申し訳なさそうに言われたときは最悪だ。これ、なぜかいつも「3日目」。新人ドライバーには、そう告げるマニュアルでもあるのだろうか。
私は高校3年生の夏休みに運転免許を取得して以来、父のクルマを受け継ぎ、大学時代はゴルフ同好会。新卒で就いたのがTBSラジオで、いわゆるラジオカーを運転しながら各地からリポートを入れる仕事だったため、ずっと“運転席の女”である。因って都内の道にはとても詳しい。だからと言って「3日目」に寛容になれるわけでもなく、心の中で、(もっと研修してから乗ってよ!)とか、(ナビがあるだろ、ナビが!)と毒を吐いたりもする。下車するまで逐一ナビゲートするのかと思ったら、うんざり感と疲労感は否めない。
さて、大雨の日に乗った“当たり”のタクシーに話を戻そう。ドライバーが続けて口にしたのは、「もしかして、すごくお待ちになりましたか?」だった。繰り返しになるが、その日の私の待ち時間はゼロに等しかったため、 「いえいえ、すぐに乗れました」と伝えた後、「タクシーアプリで呼ぼうと思ったのですが、雨のせいか今日は近くにタクシーが居なくて…」と自然な流れで説明をしてしまった。
すると、なんと、そのドライバーさんは「御迷惑をおかけいたしました。申し訳ございませんでした」と言うではないか。驚きと共に、“当たり”だけでなく、このドライバーは“デキる”と感動した。
「それはドライバーさんのせいではないので…」と恐縮しきりだった私。当然のことながら目的地まで最高の気持ちで乗車することができた。
その後、私たちがおしゃべりに花を咲かせたかというとそうではない。そのドライバーは、大雨の中、他のクルマや歩行者らに細心の注意を払いながら運転に集中し、「本当に雨がひどいですね」でも「天気予報では一日中、雨のようですね」でも「これからお仕事ですか?」でもなく、寡黙だった。これは本当に助かった。