店がそんなに偉いか?
昔の日本には、店より客のほうが偉いと勘違いしてレストランで威張り散らすダメな客が大勢いて、そういう勘違い野郎に偉そうな顔をさせないため、料理界の偉大な先輩たちは、料理人の社会的地位の向上に腐心してきました。そのために、とりわけ大きな役割を果たしたのが、1993年からフジテレビで放送された『料理の鉄人』です。が、あの番組の放送開始から30年。スター料理人が何人も誕生した今、悲しいかな、店のほうが客より偉いと勘違いして、お客様をもてなすという飲食店の基本を忘れてしまった料理人が増えているのもまた事実です。
例えば、料理は1コースのみ、スタート時間が決まっていて、客がその時間に合わせて行かなければならない店の、何と多いこと! 確かに、一斉スタートのほうが効率がいいのはわかりますが、だったら客が店の都合に合わせる分料金を下げるかといえばそうでもなく、そういう店はコース2万〜3万円のクソ高いところがほとんど。それも、19時スタートというならまだわかりますが、2回転させたいために17時半と20時半からという半端な時間の2部制だったりします。
また、これはスパイスカレーの店に多い例ですが、店主兼料理人が頻繁にイベントに参加するため、週の半分も店を開けておらず、しかも休みは不定期という店もあります。いつやっているかは客がSNSで調べて来い、というわけです(そんな店に大喜びで行列を作る客もどうかと思いますが)。
客に自分の価値観を一方的に押しつける店も増えました。以前、港区の有名なイノベーティブ・レストランで、8月のクソ暑い日の夕方に汗だくで店に着き、まずビールを注文したら、「その前に御凌ぎを召し上がっていただきます」と言われ、先に米とニョッキの熱い味噌汁を出されて、喉を通らなかったことがあります。酒の前に凌ぎで空腹を落ち着かせるのが懐石のもてなしであることはわかりますが、最近の東京の8月だったら、千利休もまずビールを出すと思います。
価値観の押しつけという意味では、ワインのペアリングも同様です。酒呑みには酒の好みというものがあり、料理と合う酒より、呑みたい酒を呑みたいものですが、そうした客の好みを無視して、酒をペアリングでしか出さない店も増えています。
しかし、何といっても多いのが、長々と料理の説明をする店です。特に3年前、『NHKスペシャル』が、人間は「共感中枢」が発達しているので、情報が付加された料理をよりおいしく感じる、ということを放送してから、説明はドンドン長くなっています(下の漫画は、日本橋のイタリア料理店で体験した実話です)。
レストランの愉しみは味だけではありません。何かおいしいものを食べながら友人と会話を弾ませようという客もいます。最近の店はそんな客の会話にも「あんたたちの10年ぶりの再会なんてどうでもいいんだよ、それより料理の説明を聞け」とばかりに、おかまいなしに割り込んできます。先に挙げた一斉スタートの店は、一組一組にいちいち説明するのは面倒と、シェフがカウンターの真ん中に立って、学校の先生みたいに大声で客全員に説明します。シェフが説明するならまだいいほうで、客より料理のことを知らない新米のバイトが、丸暗記した説明で客の会話を妨げる店もたくさんあります。
もちろん、そんな店ばかりではありません。例えば、大阪黒門市場・銀座・麻布十番の串揚げ店『六覺燈(ろくかくてい)』は、客席に塩・醤油・ソース・胡麻ソース・辛子酢の5種類のタレが用意されているのですが、どのタレが合うかを、置いた串の向きで教えてくれます。言葉で説明されると1本につき必ず1回会話が中断されるので、少量の串を何度も口に運ぶ串揚げにとっては、実にありがたいサービスです。
『六覺燈(ろくかくてい)』は1980年に大阪市此花区で開業し、1995年に浪花の台所・黒門市場に移転した串揚げの名店。2016年「ミシュランガイド大阪」で1ツ星を獲得。2004年に銀座、2013年に麻布十番、2021年に神楽坂に出店。5種類用意されたタレのどれが合うかを串先で教えるシステムは、全店共通。本場大阪の串揚げは東京人が想像するよりずっと、アッサリしています。
今年五反田にオープンした中華『彬龍華(はんりゅうか)66』は、料理の説明を書いた紙をテーブルに敷き、その上に透明の大皿を置いて、前菜を上にのせていきますが、これも説明で会話が中断されず、気が利いたサービスだと思います。
心遣いがさらに繊細な店もあります。青山の『くろ崎』とか、長野充靖が生きていた頃の『海味(うみ)』とかいった鮨店は、普通は左に傾けて出す握りを、客が左利きと見ると、持ちやすいように黙って右に傾けて置いてくれましたし、丸の内の『プルニエ』や青山の『メゾン・エラン』といったフレンチは、左利きの客には2皿目からカトラリーのセッティングを左右逆に置いていました。それだけ客をよく観察しているということです。
つい最近、三宿にオープンしたイタリアンの『Arrow』は、1人で行って前菜を3皿注文し、「1人には多すぎますかね」とフロア係に聞いたら、すかさずオープンキッチンにいたシェフが「量も値段も7がけにしましょう」と応じてくれ、しかも食べたら適量だったので、感心しました。
飲食店で一番大事なのは味だと勘違いしている人が大勢いますが、味の好みは人それぞれ。それより大事なのは人です。ソムリエはワインの作り手より先に客の顔を覚える、ギャルソンは魚がどの港で穫れたかに注意を払うより客席で誰か自分を呼ぼうとしていないかに注意を払う、シェフは自分の味を客に押しつけるのではなく客の好みに自分の味を合わせる──そうした人としての心遣いが何より大事。それさえ守っていれば、客は自然にホイホイとやって来るはずです。
『彬龍華(はんりゅうか)66』はステーキ&ハンバーグの『ミート矢澤』の経営元、(株)ヤザワミートが、今年1月、五反田の目黒川沿いの『ミート矢澤』の並びの1ブロック隣に出した46席の本格高級中華。最高顧問は『龍天門』の元料理長・陳啓明、総料理長は『チャイナルーム』の元料理長・中里卓という強力布陣。左が、前菜をのせるための下に料理の説明の紙が敷かれた透明大皿です。◆住所:品川区西五反田 2-14-13 ◆電話:03・5436・6600
『Arrow』は、三宿のはずれの突飛な場所に今年2月にオープンした、ガラス張りで真っ白な内装の明るいイタリアン。料理はすべてアラカルト。調理場はシェフのワンオペですが、満席でも皿の出がスムーズなのは手際がいいからでしょう。2人いるフロア係も料理を待つ客にマメに声をかけており、気遣い上手。客席数は19席。客席の半数は店の真ん中に置かれた10人が座れる大テーブルですが、席と席の間隔は比較的ゆったりしています。◆住所:世田谷区三宿 1-7-1◆電話:070・1250・0626
【秘訣】飲食店で一番大切なのは味じゃなくて、スタッフの人柄
取材・文/ホイチョイ・プロダクションズ