「槙野さんのポジティブな声かけてチームが明るくなった」
監督初勝利となった4月16日のFC Girasole(ジラソーレ) 戦にしても、品川CCセカンドは最終ラインから丁寧にボールを組み立て、ゴールを狙うという組織的なサッカーができていた。守備に関しても前から精力的にプレスをかけにいき、高い位置で奪ってカウンターという形も目立った。それが奏功し、最終的には5-0で完勝。槙野は試合前から選手を盛り上げ、ハーフタイムには「もう1点取りに行こう」と鼓舞し、ボードを使いながら的確に戦術を伝えていた。
この日、キャプテンマークを巻いた右SBの伊藤啓佑も「槙野さんが非常にポジティブな声掛けをしてくれるので、チームがすごく前向きになりました。僕らはそんなにうまい選手が揃うチームではないんですけど、ミスをしても『OKだよ』『次、またチャレンジしてみよう』と言ってくれるので、みんなが明るく意欲的になりましたね」と手ごたえを得ている様子。それが5-0という結果となって表れたと見てよさそうだ。
試合前夜は解説2本で深夜3時帰宅。采配後も自身のビジネスへ
この日に向けて、槙野は時間を効率よく使いながら準備を進めたという。
「平日2回の練習の後、金曜日の夜にスタッフでオンラインミーティングを行って、スタメンや戦術、戦い方の確認をしました。その前に対戦相手の映像もチェックしてスカウティング作業も進めておきました。
そして当日ですが、僕は前日(15日)にJ1・浦和レッズ対コンサドーレ札幌戦と深夜のイングランド・プレミアリーグ・チェルシー対ブライトン戦の解説が2本入っていたので、自宅に戻ったのは深夜3時。早く起きて2時間前には横浜の会場入りし、FCギラソル戦に挑みました。
しかも試合後にはハルテンの仕事もある(苦笑)。タイトなスケジュールではありますが、できる限り選手たちを伸ばしたい。目の前で選手が成長していく姿を見るのは本当に嬉しいし、やりがいがある。この経験は本当に貴重ですね」と新米指揮官は寝る間を惜しんでピッチに立ち続ける覚悟だ。
試合後も笑顔で選手と語り合っていた(筆者撮影)
それを選手たちも理解し、限られた時間で最大の成果を上げようと一致団結している。
「槙野さんも忙しいですけど、僕らも仕事と練習を掛け持ちしているので、1時間半や2時間を大切にする意識をみんなが高めています。僕はIT系の営業をやっているんですが、平日は朝9時から17時まできっちり仕事した後、サッカーをするので本当に効率よく時間を使わないといけない。品川CCセカンドは昨季、神奈川県1部から落ちてしまったので、1年で復帰しなければいけない。そうなるように頑張ります」と伊藤も槙野とともに一歩一歩、進んでいく構えを見せている。
妻・高梨臨さんに負けないバイタリティ。
サッカーへの意欲と向上心の高い選手に囲まれながら、指導者キャリアをスタートさせた槙野。5月の大型連休明けにはJFA公認A級ライセンス講習会参加のため鹿児島にも赴く予定で、品川CCの采配は1カ月後になるが、Jリーグ指揮官の夢を実現させるために、彼は貪欲に高みを目指していくつもりだ。
まさに「バイタリティの塊」とも言うべき槙野。4足の草鞋を履くのはそう簡単なことではないが、解説・タレント業でサッカーの裾野を広げ、経営者としての視点に磨きをかけながら、最も重視する現場指導の場数を踏むという理想的なセカンドキャリアを構築しているのは確か。本人は妻・高梨臨さんに刺激を受けながら切磋琢磨している。
引退会見では貴重な夫婦2ショットも披露した(筆者撮影)
引退直後からこれだけ幅広い活動のできる人材は槙野以外には考えられない。だからこそ、期待が高まる一方だ。彼の八面六臂の活躍がッカーの地位向上、後に続くプロ選手の第2の人生の選択肢増加につながれば理想的。「お祭り男」の本領発揮はここからが本番と言っていい(本文中敬称略)。
取材・文/元川悦子
長野県松本深志高等学校、千葉大学法経学部卒業後、日本海事新聞を経て1994年からフリー・ライターとなる。日本代表に関しては特に精力的な取材を行っており、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは1994年アメリカ大会から2014年ブラジル大会まで6大会連続で現地へ赴いている。著作は『U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日』(小学館)、『蹴音』(主婦の友)『僕らがサッカーボーイズだった頃2 プロサッカー選手のジュニア時代」(カンゼン)『勝利の街に響け凱歌 松本山雅という奇跡のクラブ』(汐文社)ほか多数。