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行き過ぎたデジタルIDは本当にディストピアを招くのか?

2023.04.18PR

TOKYO2040 Side B 第23回『行き過ぎたデジタルIDは本当にディストピアを招くのだろうか?』

※こちらの原稿は雑誌DIMEで連載中の小説「TOKYO 2040」と連動したコラムになります。是非合わせてご覧ください。

 2023年3月29日に発売となりました書籍日本が世界で勝つための シンID戦略ですが、「デジタルアイデンティティを安心して預けられるのは行政だという信頼を」の章にて、メタバース、デジタルツイン、アバターといった技術の先に見えてくるデジタルアイデンティティの将来についてお話させていただいております。

 今回はその番外編として、少し違う角度から「デジタルアイデンティティ」について書きたいと思います。それは、SF作品などで未来社会への警鐘として描かれる「ディストピア」についてです。

 ジョージ・オーウェルの小説『1984』がディストピア作品として有名ですが、これは1949年に出版されたものです。映画化もされましたが、その頃は当然インターネットはありませんし、情報をセキュリティ高く扱う技術やそのための議論も行なわれていない時代です。

 とはいえ、古い作品ではありながら人々の心へディストピアの姿を深く刻み込み、1983年にApple社からMacintoshが発売された際のプロモーション映像にオマージュされたことをはじめ、現代に至るまで数多くの創作物に影響を与えています。

 そういったこともあって、数多くのディストピア作品に権力集中と情報統制が描かれるようになり、そこから連想して、行政が市民のデジタルアイデンティティを握ってしまうことへの不安が高まるのも当然だとも感じています。

 もちろん、地球上には様々な国や地域があり、安心してデジタルアイデンティティを預けられるかどうかという議論はむしろ平和な地域や時代でないとできないことなのかもしれません。ですが、できるときにしておく必要はおおいにあります。

 果たしてデジタルアイデンティティが浸透し、活用される未来に待ち受けているものは、ディストピアなのでしょうか?

ディストピアの要件とは

 まずディストピアがどのようなものかについて、イメージを合わせておいたほうが良いでしょう。

 よくイメージされる、震災や疫病あるいは核戦争後のサバイバルを強いられる世界は、単に秩序が崩壊した社会ですのでディストピアとは呼びません。それはおおよそポストアポカリプスと呼ばれることが多いです。災害によって急変しなくても、国家が緩やかに衰退した先にあるのも同様の世界でしょう。

 食料をキーワードにして例えるならば、世界が崩壊して動植物がいなくなり、合成食料を食べなければならなくなるのはポストアポカリプスで、理想社会の究極形として食糧問題の解決と最適な栄養状態に人間を置くことを達成した結果として、合成食料を食べることが当然であると思い込まされて生活を送らざるを得ないのがディストピア、ということになります。

 そしてディストピアは、理想郷としてのユートピアと表裏一体のものとして語られます。ユートピアでは社会的平等、政治的安定、経済の繁栄、教育や文化の発展、自然環境との調和、戦争や暴力の無い平和が実現されるものと定義されます。

 ですが、これらを達成するために行き過ぎた施策や強制といった本末転倒な出来事が横行すると、一気に社会はディストピアの側へと大きく振れ、人々に犠牲を強いていくことになります。

 社会を平等にする名目で少数派が切り捨てられて均され、政治を安定させるために権力の集中と民衆への監視が行われ、貧富の差を無くすために私的な経済活動が制限され、教育や文化は平等の名のもとに多様性を排除され、これらを行使するにあたっての暴力的な支配は黙認される、という具合です。

 調和の名のもとに自由が大きく奪われているというのが特徴的ですね。

 さらに、ディストピアを扱った作品では、権力者が情報をコントロールし、徹底したプロパガンダで人々の思想を誘導しているシーンが印象的に描かれることが多いです。

 ディストピアのイメージ、いかがでしょうか?

ディストピア回避に最も有効なのは?

 デジタルアイデンティティの活用が日常的になると考えたとき、最悪の事態が発生するとしたら、さきほど並べたディストピアの各要素へ向かって、人が知らず知らずのうちに加担していってしまうことが考えられます。

 これを避けるには、権力の集中を防いだり、権力におもねったメディアがプロパガンダに走らないようにするのが良いように思えます。

 権力の一極集中を避けるためには当然ながら民主主義が機能していなければなりません。デジタルアイデンティティを行政が取り扱っていくにあたって、地方議会、国会による監視と議論が常に重要になります。

 システムまで徹底して集中を避けようとするのであれば、分散型ID(DIDs)が有効と考えられます。ブロックチェーンを基盤としたWeb3の技術が活用されるでしょう。

 しかしながら、Web3の目指す非中央集権的な世界観は、そもそも中央集権である行政とは相性が良くありません。世界的にも分散型IDでの成功事例は無いと言える状況ですので、現代日本では、アイデンティティそのものは集約されつつも、民主主義的なアプローチで課題を解決していくほうが合っていると言えます。

 また、いくら日本の行政が信頼できたとしても、いわゆる「公益無罪」が通るとは思っていませんので、行政がデジタルアイデンティティの取得と目的やその利用について説明責任を果たすことが重要です。

 市民も、悪用はもちろんのこと、不要なデータまで集められたり、目的外の利用には敏感になっておく必要があります。同様に、利用や保管が適切に行われているかといった運用状況についてアクセスできる環境を整え、透明性を確保しておくべきでしょう。オープンにすることで防げることは多いのです。

 さらに、もう一つの社会での大切な役割についてですが、メディアが独立性を保って権力を監視し、市民へ情報提供をしている状態が必須となります。

 ディストピアでは情報統制が民衆にとっての身近な脅威になりますから、じわじわと「そういうものなんだ」と思い込まされていくと、正常な判断が失われてしまいます。

……と、ここまで読んでお気づきかと思うのですが、これはデジタルアイデンティティに限ったことではありませんね。

 ディストピアを回避するために、デジタルアイデンティティの運用においても民主主義的な観点は不可欠である、と言えます。

デジタルアイデンティティで陥りがちな罠

 権力集中を避け、メディアが公正な立場で動けたとしても、まだ課題はあります。

デジタルアイデンティティは、当然のことながらプライバシーの課題を内包しています。ディストピアでは監視や暴力によって個人の自由は抑圧されてしまいますが、そうならないためにはプライバシーが保護されなければなりません。

 プライバシーというと、住所氏名や家族構成や職歴といったような「履歴書に枠がありそうなデータ」をイメージしてしまいがちですが、デジタルデータとして蓄積されていくのはそれだけではなく、AIによって導き出され可視化されてしまう、趣味嗜好や本人さえも自覚できていない癖、無限ともいえる人生の行動履歴そのものです。

 こういったもの、最終目的から関連性の低い情報の不要な取得を、私たちは意識して拒んでいかなければなりません。

 DXによってデータ利活用が進み、各種行政サービスが連携できるようになればなるほど「統計的差別」の発生もまた、危惧されるのです。これがプライバシーと結びついて問題化することは容易に予想できます。

 古今東西、謂れのない差別が発生していますが、そもそも謂れのなかったものに加えて、合理的なデータの名のもとに新たな差別を引き起こしてしまうのでは意味がありませんからね。

 だからこそ、前述したような行政の説明責任や透明化が必須なのです。

こぼれ落ちても大丈夫な社会を目指して

 そしてもう一つ、デジタルアイデンティティが活用されるにあたって考えなければならないことに、そこからこぼれ落ちるもの、はみ出る人の存在があります。

 日本がデジタルアイデンティティにおいて先進国となるには、マイナンバーと、その認証に必須かつ利便性の高いマイナンバーカードの普及がキーではあります。

 ですが、「マイナンバーカードを持たない自由」も行使できなければ、それこそディストピアです。

 持たない自由を人が行使できる社会というのは、画一的なユーザーインターフェースが提供され得ない場合のコストも呑み込める豊かな社会ということでもあります。

 私は仕事柄、行政サービスの現場に直面することが多いのですが、DXが進めば進むほど、これまで業務を担ってきた人間の万能さ、柔軟さ、コストの高さ、それをブン回してきた社会の豊かさを感じます。

 文明社会の先端のように見えるデジタルアイデンティティやDXですが、これから日本人口が減っていき、明らかに豊かではなくなっていくという現実を前にすると、実は「仕方なく行わなければならない苦肉の策」なのではないかとも思えるのです。

 コストダウンとサスティナビリティ。このためだけであったとしてもDXは急務ですが、DXを済ませなければ、こぼれ落ちるもの、はみでる人を、引き続き豊かに柔軟に包み込むことは、難しくなっていくでしょう。

 デジタルアイデンティティの活用やDXが遅れたことで「緩やかに訪れてしまったポストアポカリプスよりも、行き過ぎたディストピアのほうがマシだったかも」というようなことを将来後悔することがないように、今のうちからしっかりと取り組み、課題解決にあたっていくべきです。

 少々暗い話になってしまったのですが、これからの時代を戦い抜くための橋頭保として、デジタルアイデンティティを多方面から浮き彫りにする『日本が世界で勝つための シンID戦略』を、是非お読みいただければと思います!

https://www.shogakukan.co.jp/books/09389106

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文/沢しおん
作家、IT関連企業役員。現在は自治体でDX戦略の顧問も務めている。2020年東京都知事選に無所属新人として一人で挑み、9位(20,738票)で落選。

このコラムの内容に関連して雑誌DIME誌面で新作小説を展開。20年後、DXが行き渡った首都圏を舞台に、それでもデジタルに振り切れない人々の思いと人生が交錯します。

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