私たちは、日本という国に住んでいても、自分の居住地以外のことはあまりしらないものだ。都心部に住む人たちにとっては訪れる機会のない”離島”なら、なおさらのことだろう。
中でも「奄美」について、日本人の多くが誤解している。実際、北海道生まれ・東京在住の筆者が訪れてみて、知らないことだらけで驚いた。
コロナ禍も少しずつ落ち着きを見せ始めている今日このごろ。ぜひ連休で訪れたい「奄美」の魅力を、多くの人が抱えているである「誤解」とともに紹介する。
誤解1:沖縄県にある南の楽園
真実1:実は鹿児島県の一部
まずは以下のGoogle Mapの画像をご覧いただこう。この地図上でどこが「奄美」と呼ばれる場所か、わかるだろうか。
もう少し、近くへ寄ってみよう。
正解はこちら。
九州本土の鹿児島市よりも、かなり沖縄県寄りに位置している。
鹿児島県奄美市に属する「奄美諸島」は「奄美大島(単に大島とも)」「与論島(よろんじま、よろんとう)」「喜界島(きかいじま)」「沖永良部島(おきのえらぶじま)」など8つの島で構成されている。
鹿児島県に属しているが、沖縄県との関わりも深い。古くは沖縄とともに琉球王国の一部とされ、気候のみならず文化も沖縄本土と近かった。しかし、江戸時代後期に薩摩藩(現・鹿児島県)の直轄地となったことから、現在も鹿児島県の一部というわけだ。
それだけなら「所在地として鹿児島なだけで、文化は沖縄なの?」と思うかも知れないが、そうではない。
第二次世界大戦後、奄美群島と沖縄はともにアメリカの統治下となるが、1953年12月に奄美が先に返還された。これに対し沖縄は1975年5月と22年間のギャップが生じた。この期間は「奄美は日本、沖縄はアメリカ」だったわけなので、奄美は食料や建築資材などの輸入を鹿児島に頼っていた時代もあった。この間に鹿児島県との距離を縮めた。
このように、奄美の人たちのアイデンティティは一言では語れない。実際、取材の中でも、
「いちおう鹿児島県民だけど琉球と薩摩の両方の文化で育った。『奄美って沖縄?』って聞かれると反応に困るし説明もフクザツ(笑)」(与論島在住男性)
「テレビは鹿児島のものが映るし、子供が鹿児島に就職したから親近感は鹿児島に感じる」(大島在住女性)
など、さまざまな声が奄美群島在住の方々から聞こえてきた。
ちなみに、大島在住のバスガイドさんは「高校野球だったら、鹿児島と沖縄で強いほうを応援する」とのこと。