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誰でもマネできる!世界一の投資家ウォーレン・バフェットに学ぶ人生哲学

2023.02.12

日本でも2024年からNISA制度が大きく改正されるなど、投資の機運が高まりつつありますが、これは国が人口減少社会を迎える国民を支えることが今後難しくなるため、個々で資産運用を促すために設けられた優遇制度ともいえます。

つまり投資などを含めた金融リテラシーが必要不可欠な時代ともいえるでしょう。

とはいえ資産運用をするためには何から学んだ方が良いか分からない、という方も多いのではないでしょうか。

こうした投資初心者の方だけでなく投資に親しんでいる方にとっても、資産形成や資産運用をする上で学びたい投資家といえば、世界一の投資家と呼ばれるウォーレン・バフェット以上に適した人物はいないのではないでしょうか。

なぜならバフェットの投資哲学は「誰もがマネできる投資手法」であるからです。

そこで今回はバフェットがどんな考え方を実践してきたのか、投資だけではなく人生哲学についても深掘りしていくことで、少しでも投資に役立つ考え方を解説していきます。

少年時代のバフェット

1930年、世界恐慌の真っ只中の時代にバフェットは生まれました。

父親は株式のブローカーであり、幼い頃からビジネスの世界にふれていたといいます。

たとえば祖父が経営する雑貨屋で仕入れたコカ・コーラを訪問販売するところからバフェットのビジネスは始まり、そこで売れ行きの傾向を知るために王冠を集めて市場分析もしていました。また10代の頃に株式投資も経験し、その他にも新聞配達や切手販売、安い土地を購入して農夫を雇い農業ビジネスをするなど、いくつかのビジネスで成功体験を重ねていきます。

そして1947年、17歳になったバフェットはピンボールマシンを理髪店に設置して売上を折半するビジネスを始め、このビジネスを1200ドルで売却します。

そして高校を卒業する頃には5000ドルまで資金が増えていたといいます。

バフェットは当時からビジネスにおいて重要なことは、雪の玉を転がして大きくするように、試行錯誤しながら時間をかけて成長していくことだと気付いていたのです。

受け取った利子を元本(事業資金)に組み入れて、元本+利子に対してさらに利子が付いていきました。これが投資の世界でいう「複利の効果」です。

このように少年時代から優れた投資家としての片鱗が芽を出していたともいえるでしょう。

投資家人生に影響を与えた3つの出会い

グレアムとの出会い

バフェットが19歳の頃に投資に対する影響を受けた1冊の本と出会います。

それがベンジャミン・グレアムの「賢明なる投資家」です。この本のなかで解説されている「定量分析」という考え方にバフェットは深い感銘を受けます。また20歳の頃にコロンビア大学のビジネススクールに進学し、教鞭をとるグレアムの講義を受講します。

バフェットはグレアムの講義を受けた生徒のなかで唯一のA+の評価をもらうほど優秀でした。しかし卒業の際にバフェットは保険会社ガイコ会長でもあったグレアムに働きたいとお願いしたものの、ユダヤ系であるグレアムは、当時の金融業界で締め出されていたユダヤの同胞のためにポストを残すことを優先しており断られてしまいます。

結局、卒業後にバフェットは故郷オマハに戻り父親の証券会社で働き始めます。

しかし1954年に今度はグレアムからスカウトがあり、バフェットは念願叶ってグレアムの証券会社グレアム・ニューマンに証券アナリストとして働くことになります。

そこでは年間約1万8000ドルの利益を出すなど目覚ましく活躍します。

こうしてバフェットは大学〜社会人になっても一貫して師と仰ぐグレアムから「バリュー投資」を学んだのです。

当時の同僚のなかには、その後バリュー投資家として有名になるウォルター・シュロスもいました。しかし1956年に師匠のグレアムは突如引退します。バフェットはグレアムの後継者としても有力でしたが、グレアムがいない会社に残る気がせず、バフェットは再びオマハに戻り、投資ファンド「バフェット・アソシエイツ」を立ち上げたのです。

マンガーとの出会い

オマハに戻ったバフェットは旧友に誘われたディナーパーティで運命的な出会いを果たします。それがビジネスパートナーであり投資にも詳しい弁護士のチャーリー・マンガーです。1966年にはバフェットらと持ち株会社DRCを設立し、1979年にはバークシャー・ハサウェイの副会長に就任しています。

こうして世界一の投資家と呼ばれるバフェットとマンガーのコンビが現在まで続いてい句のです。

フィッシャー理論との出会い

バフェットが35歳の頃にバークシャー・ハサウェイを買収します。しかしグレアムから教わった「まずまずの企業を素晴らしい価格で買う」という「シケモク理論」に対して限界を感じ始めていくのです。なぜなら買収したバークシャーは当時繊維業を営んでいましたが、営業不振で工場が閉鎖していきました。多くの資産を投じたものの業績は好転せず、買収から20年後の1985年に紡績工場は閉鎖し、それ以後のバークシャー・ハサウェイは投資会社1本に絞って再挑戦していきます。

また買収直後からバークシャーに限界を感じていたバフェットは友人から教えてもらった「フィッシャー理論」への関心を強めます。これは「素晴らしい企業をそこそこの価格で買う」というものです。このフィッシャー理論を実践したのがバフェットが42歳の時に決断したシーズ・キャンディーズの買収でした。後にこの買収で巨額の富をバフェットは得ることになります。

このようにバフェットはグレアムと同じく数値に基づいて株価を判断する「定量分析」からフィッシャーの投資スタイルである経営者の資質や企業の姿勢を評価する「定性分析」を重視する投資スタイルに変化していきました。

後年バフェットは「私の85%はグレアムから、15%はフィッシャーからできている」と発言するほど大きな影響を受けたのです。

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