この四半世紀で人気急上昇
今やオーストラリア中で大人気の「寿司」だが、もちろん何十年も前からこうだったわけではない。今から23年前、筆者がオーストラリアに移住してすぐのことだ。
当時小学2年生だった長男の担任が私の妻に「学校の教室で何か日本食を実演しながら作って児童たちに試食させられないかしら?」と依頼してきたことがある。移民が多くマルチカルチャリズム(多文化主義)を標榜し、かつ時間割やらカリキュラムも結構大雑把なオーストラリアの小学校では珍しいことではない。
さて何を用意しようか?当時はブリスベンに日本食を出す店などほとんどなかった。日本食を口にしたことがあるオーストラリア人も少なかった。
妻と出した結論は「かっぱ巻き」である。まったくわけがわからないものを出されたら子どもたちも困るだろう。だから名前くらいは知っている寿司がいい。だが生魚などもってのほか。ツナ缶だって食べられない子もいるはず。でもキュウリなら……と考えた末だ。
「日本人は……こんな黒い紙を食べるんですか?」
「いや、それは海苔と言って海藻を乾燥させたものよ」
最初はビビッていた子どもたちだが、チャレンジ精神旺盛な子もいる。そんな子が「あっ、おいしい」と言えば、別の子がチャレンジをした。試食会は大盛況だ。
そんなとき教室の片隅からこんな会話が聞こえてきた。
「ダメです。私はやっぱり食べられません」
「だいじょうぶよ~。クラスのみんなは食べたじゃない」
「はい、がんばります。……でもやっぱり怖い」
「だいじょうぶ、だいじょうぶ。あなたならできるわ」
初めてのスシを怖がってなかなか口にできないある女子児童と担任の先生の会話だ。
「だいじょうぶよ。日本人はみんな毎日これを口にしているんだから、あなただって食べられないわけはないわ」
多少の事実誤認はあるが水を差すのもどうかと考え、二人の様子を見守った。というかすでに自分の割り当て分のかっぱ巻きを食べ終えて手持無沙汰になった児童たちが、最後まで口にできないその女子のまわりに集まってきている。
「だいじょうぶ。食べられるよ」
「ぜんぜん平気だよ~」
「私も最初は怖かったけど、がんばって食べてみたらおいしかったよ」
最後にはみんなでその子の名前はコールする始末。意を決した彼女はようやくかっぱ巻きを口にした。
「やった!できたじゃん!」
「よくやったわ!」
「すごいぞ!」
クラスメートたちの拍手喝采を浴びながら、未知なるスシのハードルをクリアした彼女は目から大粒の涙を流していた。実話である。
あれから20余年。「中巻き寿司」がオーストラリア中を席巻するとは夢にも思わなかった。そして世界や日本を席巻するのも夢ではないと思うのだ。
文 柳沢有紀夫
世界約115ヵ国350名の会員を擁する現地在住日本人ライター集団「海外書き人クラブ」の創設者兼お世話係。『値段から世界が見える』(朝日新書)などのお堅い本から、『日本語でどづぞ』(中経の文庫)などのお笑いまで著書多数。オーストラリア在住