人は説明がつかないものを神にゆだねてきた!?
数年前、電車とバスを乗り継いで半日がかりのところに、宝くじが当たると評判のお寺があると知り、興味半分で訪れた。
寺のお堂の欄干には、高額当選者たちのお礼の言葉が書かれた紙が貼られ、壮観であった。自分もその強運にあやかろうと、仏像に当選を願い、帰路宝くじ売場に立ち寄って10枚買った。
その1枚が5000円当たり、後日買った宝くじは3000円が当たった。生まれて初めて末等以外の当選である。
それからほどなく引っ越して、そのお寺には再訪せずじまいであったが、以来宝くじを買っても当選したためしがない。
やはりあの時の当選は、仏様のご加護があったからなのだろうか。それとも単に、運が良かっただけなのだろうか。時折記憶を掘り起こしては、運とは何かと考える。
■運を信じたがる人間の心理
心理学的な観点から運の説明を試みたのは、アグネス・スコット・カレッジの心理学・神経科学者、バーバラ・ブラッチュリー教授だ。
教授の著書『運を味方にする 「偶然」の科学』(栗木さつき訳、東洋経済新報社)によれば、運とは「自分の努力が結果を一切左右しない―自分のコントロールの及ばないところで出来事が起こる―」場合の理由づけだという。
宝くじの当選確率は、自分の努力ではどうにもできないが、にもかかわらず高額当選を果たした場合、われわれはそれを「幸運」と呼ぶわけだ。
一方でこれを「単なる偶然」とみなす人は、あまりいない。「直前にお寺にお参りしたから、仏様が当たるように采配をしてくれた」などと考えたがる。これは人間に備わった本性のようなものだと教授は説く。
“ある出来事の原因がわからなかったり、説明がつかなかったりすると、予測できないもの、説明がつかないものに対する支配権をたいてい神々にゆだねてきたのだ。原因があっさりとわかり、納得できるのであれば、その出来事が起こった原因は超自然的な存在にあると考える必要はない。何か説明のつかない物事が起こったときにだけ、私たちは神に頼ろうとする。”(本書42pより)
人知の及ばない所で、偶然の名を借りて感情を揺さぶるがことが起きた場合、われわれはどうしても高次の存在に思いをはせてしまう。この人間の性向が、宗教の起源だと論じる研究者もいるという。