マスクを着けている人の表情は当然わかりにくいといえるが、そのぶん相手の目元の微妙な変化への注意力が高まるかもしれない。表情を読み取ろうとする意欲が高まるともいえるのだが、そこには落とし穴もあるようだ——。
街で迷彩柄マスクの男性とすれちがう
前から歩いてきた男性とすれちがう。グレーのニットキャップを目深にかぶったその男性が着けていたマスクは迷彩柄であった。マスクのサイズは大きめなので、顔の露出している部分はほとんど目だけである。もしこれにサングラスをかけていたら完全な“隠蔽工作”となりそうだ。
所用を終えて神田・小川町界隈を歩いていた。夕方6時を過ぎたところですでに日はとっぷりと暮れている。これが夏場だったらまだ真っ昼間という感覚の時間帯だろう。小川町の交差点から本郷通りを御茶ノ水方面へと進む。
交差点から少し離れるとだいぶ人通りも少なってきた。今まで着けていた黒いウレタンマスクを外して胸ポケットに差し込む。部屋に戻ってからまだ少し作業が残っているので飲むわけにはいかないのだが、どこかで手早く何かを食べて帰ることしにしよう。いい感じのお店があれば迷わず入りたい。
年のころは40歳前後といった感じのさっきの男性だが、迷彩柄のマスクを着けているということはやはり心のどこかで「隠れていたい」や「目立たずにいたい」という気持ちがあるのだろうか。マスクもそうだがニットキャップを眉毛が隠れるほど深く下げてかぶっていることもその気持ちを体現していそうだ。
通りの歩道を進む。すっかり冷え込むようになってきたが、本格的な冬の寒さにはまだ程遠い。街にはコート姿の人をちらほら見かけるようにはなっているが、冬仕様の衣替えは自分としてはもう少し先のことにしたい。
個人的には「隠れていたい」や「目立たずにいたい」という気持ちになったことはほとんどないとは思うのだが、さっきの男性のように顔のほどんどを隠すという意味では、バイク乗車時にかぶるヘルメットはそれに近いようにも思える。特にフルフェイスのヘルメットだ。
フルフェイスのヘルメットをかぶっている時には“世界を見る目”に微妙な変化が生じているとは思う。それはやはり、自分の表情が他人にはほとんどわからないことを自覚しているからだろう。
フルフェイスヘルメットでも透明なシールド越しに当人の目元は見えているわけだが、ミラーシールドというものがあり、それを装着してしまうと完全に顔は隠れてしまう。公の場で自分の顔を完全に隠しても不自然には思われないのがバイクのフルフェイスヘルメットなのだ。
東京に住む若い芸能人などにバイク愛好家が少なくないと思うが、それもヘルメットで顔を隠せるということの影響は少なくないのだろう。とはいえくれぐれも事故には気をつけていただきたいものである。
マスクを着けていると他者の顔の認識が難しくなる
時折コンビニエンスストアなどでフルフェイスヘルメットを被ったまま入店してきたバイク乗りに出くわしてギョッとすることがあるが、さっきの男性のように帽子を目深にかぶり大きなマスクをして、それに加えてもしサングラスをしていればフルフェイスのヘルメットをかぶっているのと顔の隠蔽の度合いは変わらないだろう。
とすれば程度の差こそあれ、マスクをしているだけでも“世界を見る目”に変化が起きていると考えても不思議ではない。
ではマスクを着けていることでどのような認識の変化があるのか。最近の研究では、皮肉にもマスクを着けていると他者の表情の認識能力が低下することが報告されていて興味深い。自分がマスクをしていると、どういうわけか他者の顔に比較的無頓着になるというのだ。
以前の研究では観察者の状態とその知覚行動との間のもっともらしい関連性がすでに実証されています。
したがって未解決の問題は、マスクの着用が顔認識能力を変えるかどうかです.
この問題に対処するために参加者がマスクをしていない顔(実験1)、マスクを着けた顔(実験2)、および新しいオブジェクト(実験3)を、マスクをしているかマスクをしていない間に認識するように求められる一連の実験を実施しました。
マスク着用は顔認識能力を妨げましたが、物体認識能力を調節しませんでした。
最後に、顔認識能力の低下は、識別しやすい顔の特徴にマスクを着用することに依存していることを実証しました(実験4)。
※「Springer」より引用
カナダ・ヨーク大学の研究チームが2022年11月に「Cognitive Research: Principles and Implications」で発表した研究では、マスクを着用している時には、相手がマスクをしてもしていなくても、総じて顔の認識がより困難になる可能性があることが実験を通じて突き止められている。
80人が参加した4つの異なる実験が研究チームによって行われ、参加者自身がマスクを着けたり外したりしながら、マスクを着けた人物の顔とマスクをしていない人物の顔を見せられ、その認識能力が測定された。
実験の結果は驚くべきものであった。マスクを着用すると他人の顔を認識する能力が低下していたのだ。顔の認識能力は相手がマスクを着けているかどうか関係なく、当人がマスクを着けているかどうかに左右されていたのだ。
どうしてマスクを着けると認識能力が低下するのか?研究チームによれば、マスクをして自分の顔が認識されにくくなるという自覚によって他者の視点に置き換わりやすくなるということである。この現象は「中心改変侵入(alter centric intrusion)」と呼ばれ、つまりマスクを着けていると他者の“視点”でものを見やすくなっているというのだ。
またもう1つの説明としては、マスク着用時には顔の下半分に常時触覚刺激があり他者からその部分を見られていないことを常に意識していることで、自分もまた他者の顔を認識するのがより困難になっていると思い込む可能性もあるという。
ただしこの効果は、マスクで口と鼻をしっかり覆った状態でのみ機能するという。鼻が出たマスクやあごマスクではこの現象は起こらないことになる。また人間の顔以外の物体の認識にもこの現象は起こらない。
ニットキャップをかぶり迷彩柄の大きなマスクをしていたさっきの男性は、他人から見て自分の表情がわかりにくいと自覚している一方で、当人も周囲の人間の表情に無頓着であることにもなる。人が見てわかりにくいものは自分にもわかりにくいと感じるということだろうか。
マイルドな味付けの広東家庭料理に舌鼓を打つ
少し先にカフェチェーンの店が見えるのだが、その手前のビルに中華料理店の立て看板が置かれてあった。見ればいろんな定食があることがわかる。価格も手ごろだ。地下1階にある店のようだ。入ってみよう。
マスクを着けながら階段を降りると店の入口がある。どう見ても町中華ではなく、本場の中華料理店である。店に入るとお店の人に好きな席に着くように促される。思ったよりも店内は広くテーブル席のみだ。いずれも2人連れの先客が3組いた。
テーブルに用意されているメニューを手に取って眺める。定食メニューにはそれぞれ料理写真がありわかりやすい。10種類以上ある定食メニューの中からシンガポール米粉(ビーフン)のハーフサイズと牛肉スープのセットをお願いする。こういう機会でもないと外食でビーフンはなかなか食べられないものだ。
今回はこれ以上は頼まないが、それでもメニューをいろいろ眺めていると広東家庭料理のお店であることがわかる。本場の中国料理には詳しくないほうだが、広東家庭料理というジャンルのお店に来たのはたぶん初めてのような気がする。
中華料理は嫌いではないのだが、辛い四川料理など食べるとてきめんに汗が出る体質なので外食ではやや敬遠気味だ。特に夏場は汗でかなりみっともないことになる。しかし徐々に冬に近づいてくればたまには食べてみようという気にもなってくる。
寒くなってくると衣替えも意識されてくるが、冬場にどんなに寒くても帽子はかぶらないほうである。それは単純に絶望的に帽子が似合わないからだ。防寒対策の目的でニットキャップを買ったことはあるのだが、かぶってみるとまったく似合わなくて完全に諦めている。残念ながら頭の大きさばかりが目立つことになってしまうのだ。したがってさっきの男性のような格好はできない。まぁ、ああいった格好をするつもりはこれっぽっちもないのだが……。
料理がやってきた。ビーフンはハーフサイズだがけっこう量がありそうだし、牛肉スープは肉がゴロゴロ入っていてなかなかのボリュームだ。さっそくいただこう。マスクを外して箸を手に取る。
牛肉スープは中華料理ならではのあっさりした味付けて美味しい。日本人からすると味付けが濃そうに見えたりもするのだろうが、味わってみると拍子抜けするほどマイルドだ。
ビーフンは野菜などの具が沢山入っていて食べ応えはじゅうぶんである。こちらも味付けは薄味で箸が進む。料理写真の見た目から辛さについては懸念はしていなかったものの、実際に食べてみてもまったく辛くない。ここなら夏場でも心配せずに来店できるだろう。
いわゆる“町中華”ならいざ知らず、中国の方がやっているような中華料理店になかなか入りにくいのは、辛さの懸念のほかにも、特に夜は1人で入りにくいというのもある。広い店内でテーブルに1人で座って食べるというのがある意味では落ち着かないし、賑わっている時なら周囲から浮いてしまいかねない。まぁあまり気にしなくてもいいとは思うが……。
1人でも浮かないために何かいい方法があるかと考えをめぐらせてみると、周囲から見えなくなる“透明マント”をまとって入店するというおバカなアイデアが唐突に浮かんできたが、あまりのナンセンスさに食べながらも苦笑してしまった。それだとそもそも料理の注文すらできないだろう。
文/仲田しんじ