東京タワーのふもとには確かに行ったことがある。しかし上にはあがっていなかった。いったいその時の自分はどんな心境だったのだろうか——。
季節の移ろいにあまり感傷的にならなくなった
それほどセンチメンタルな人間ではないが、若い時には夏の終わりや秋の終わりには感傷的な気分になっていたことを思い出す。十代や二十代の頃は季節の移ろいに敏感に感情を揺さぶられていたが、齢を重ねるほどにそうした感傷からは縁遠くなっているように思う。
所用を終えて南新宿駅界隈に来ていた。夕方6時を過ぎたところだがすでに完全に日は沈み冷え込んできた。なんだか心細くなってもくるし、きっと若い頃だったならじんわりとした寂しさに襲われていそうだ。“エモい”ということだろうか。だがそれなりに齢を重ねた今、不思議なことにそれほどの心細さや寂しさは感じてはいない。歳を取って“鈍感”になってしまったのか。
駅前の通りを進む。小田急線には乗らずにJR代々木駅まで歩くことにする。一車線の細い通りで周囲はほぼ住宅街だ。私鉄沿線ならではの佇まいといえるだろう。某通信会社のタワーの先端近くがカラフルにライトアップされていて夜空を彩っている。
このタワービルを訪れたことはないし、そもそもこのビルには展望台などもなく一般人の入館も許されてはいない。観光施設の要素はまったくないのだ。
そこで思い浮かぶのは東京タワーと東京スカイツリーだが、個人的にはどちらもまだ訪れたことはないままだ。子どもの頃から東京に住んでいるが、東京タワーについてはふもとにある土産物屋の売店に1、2度訪れたことはあったが展望台まではまだ1度ものぼったことはない。
東京スカイツリーは東京の人混みが苦手な自分には行ってみようという気すら起こらなくて今日に至っている。インバウンドが再開されて再び多くの観光客が訪れているのだとは思うが、考えてみれば入国規制中は訪れてみるいい機会であったのかもしれない。今気づいても後の祭りだが……。
決して高所恐怖症ということではない。サンシャイン60の屋上にも上がったことがあるし、横浜ランドマークタワーや福岡タワーの展望台を訪れたこともある。あまり高くはないが札幌のテレビ塔や通天閣も上っている。しかしどういうわけか東京タワーとスカイツリーは訪れる気にならない。
つまるところとは訪れる理由やきっかけがないのだ。旅先であれば観光の一環でそうしたランドマークを訪れたくもなるが、東京在住の自分には東京タワーも東京スカイツリーも特に訪れる理由が見当たらないのである。サンシャイン60展望台も取材仕事で訪れていたのだ。
自分の中で何か理由やきっかけを作り上げることができれば訪れようという気にもなる。自分から進んで新しい体験を求めていく気持ちがなければ、いつまでたっても訪れることはないのは明らかだ。
タワービルを横目に通りを進む。帰宅のラッシュアワー時ということもあるのか、進むほどに人通りは案外多くなってきた。
現在の幸福感の度合いが過去の記憶に影響を及ぼす
さらに進む。住宅街然としていたが徐々に商店が多くなってきていた。道端に立つ街灯には「代々木商店街」の標識が架かっている。
帰宅してからも少し作業が残っているが、この辺で何か食べてから帰ってもいいのだろう。いい感じの焼き鳥居酒屋も見えるが、今はノンアルコールで済ませることにしたい。
……決して新しい体験をしたくないわけではない。今回のコロナ禍の“行動制限”をくぐり抜けてきて、むしろ新しい体験に前向きな自分もいるように思える。
何が人を新しい体験に前向きにさせているのか。最新の研究によれば、新しい経験に対してよりオープンになるポイントは、過去よりも現在が幸せに感じられていることにあるという。今がハッピーに感じられていると、新しい体験に心が開かれてくるというのである。
平均して人々は時間の経過とともに幸福度が向上したことを過大評価し、過去の幸福を過小評価する傾向がありました。しかしこの集計値には深い非対称性が隠されています。
幸せな人は自分の人生の展開が以前よりも良くなったことを思い出しますが、不幸な人は自分の人生の否定的な展開を誇張する傾向があります。
したがって今日の幸福感は、昨日よりも気分が良くなることを意味するようです。この想起構造は、動機づけられた記憶と学習に影響を与え、幸せな人々がより楽観的で、リスクが低いと認識し、新しい経験に対してよりオープンである理由を説明することができます。
※「SAGE Journals」より引用
英・オックスフォード大学、仏・ソルボンヌ大学の合同研究チームが2022年10月に「Psychological Science」で発表した研究では、我々の現在の感情は、過去の幸福の記憶を妨げる可能性があることを指摘している。現在の感情が過去の幸福の記憶に相応の影響を及ぼしているというのである。
研究チームは4つの縦断的調査のデータを分析して、現在の感情が過去の幸福の記憶にどのように影響するかを調査した。
研究の1つでは1万1056人のドイツ市民の2006年から2016年の間の幸福について継続的に調査したドイツ社会経済パネルのデータを分析した。参加者は毎年10点満点で生活の満足度を評価したのだが、2016年にはこの10年間の生活満足度の軌跡を最もよく反映する9つの折れ線グラフから1つを選択するよう求められた。
収集した回答データを分析した結果、現在の生活の満足度が高いと報告した人は、継続的な改善を示すグラフを選択する可能性が高くなった。
現在の満足度が中程度の人は、わずかな改善を示すグラフを選択する可能性が高く、現在の生活の満足度が低いと報告した人は、幸福度の低下を示すグラフを選択する可能性が高かった。
つまり過去十年の各年の生活の満足度はあまり思い出せずに二の次の要素となり、現在の生活の満足度が過去に強い影響を及ぼしていることが判明したのである。
イギリス、フランス、アメリカのデータを使った分析でもおおむね同様の結果が見られ、やはり現在の生活の満足度が過去の生活の満足度に影響を及ぼし、ある意味で記憶が書き替えられている実態が明らかになったのだ。
そしてもし、現在の生活の満足度を高く評価している場合、当人の人生は年々向上していると感じられ、より楽観的でよりチャレンジングになり、新しい経験に対してよりオープンである傾向が高まるのである。
ある意味では過去の人生を“誤解”していることになるのだが、現在幸せを感じていて新しい体験に前向きであることは総じて好ましい結果に繋がるのかもしれない。逆にいえば新しいことに積極的になれるということは、今が幸せということにもなる。
東京タワーや東京スカイツリーを訪れる考えがわずかであれ生じてきた自分は今、少なくとも自分が不幸だとは感じていないということだろうか。とはいえ今がハッピーだと手放しで喜ぶ気には到底なれないが……。
町の洋食店で生姜焼き定食をいただく
店先に黄色い電光看板が置かれた可愛らしいレストランが右手に見える。町の洋食屋さんのようだ。店名から生姜焼きを売りにしているお店であることがわかる。入ってみよう。
店内はそれほど広くはないが、赤のギンガムチェック柄のテーブルクロスが敷かれた小さな2人掛けのテープルが所狭しと配置されている。満席近くになればけっこうな人数が入れそうだ。ディナー営業がはじまったばかりのようで、先客は1人でまだ料理を待っていた。
お店の人に席の1つを案内される。壁に貼られているメニューをざっと眺め、ポーク生姜焼き定食を注文する。肉を2倍にできるオプションもありそれもお願いした。アルコールは飲まずガッツリと肉を食らうことにしたい。
代々木に来るのは久しぶりだが、かつては仕事関係でけっこう来る機会があった街だ。某アニメーション学校が文字通りまだ代々木にあった頃にも何度か仕事で来たことがあったことを思い出す。
そういえばもう10年以上前の話になりそうだが、JR代々木駅東口側になかなかお得で賑やかな立ち飲み屋があってその時期はけっこう通っていたことを思い出す。人気店だったと思うが営業していたのは2年間くらいだっただろうか。
お酒も料理も安いのに美味しくて文句なしにお得だったが、それだけにお店側にはあまり利益が出ていなかったのかもしれない。難しいものである。
あとは同じく東口の駅前に今はなきローカルチェーンの牛丼店がかつてあった。今は茗荷谷に別の経営会社になって微妙に店名を変えた店舗が1軒だけ残っている。近くに行った際には久しぶりに入ってみたいものだ。
生姜焼きがやってきた。小ぶりのフライパンの上に肉が山盛りになっていて食べ応えがありそうだ。サラダがついているのも嬉しい。さっそくいただこう。
豚肉は文字通り生姜が効いた味付けでご飯がすすむ。肉と米を交互に味わいながらゆっくりと食べることにしよう。
何か自分にとって新しいことをするにしても、腹が減っていては戦はできない。“胆力”をつけるためにもまずはしっかり食べてから事に臨みたいものだ。
そういえば旅先のホテルでモーニングビュッフェを食べるというようなことも久しくしていない。普段は朝食を食べることはめったにないが、旅先では朝食も楽しみの1つになる。
ひょっとすると旅先ではその日の朝にホテルで朝食をとって身も心も満たされているからこそ、福岡タワーやテレビ塔に上ってみようという気にもなるのかもしれない。だとすれば近い将来に東京タワーを訪れるその日の朝には、朝食を食べてみてもよさそうだ。
文/仲田しんじ