なりたかった自分、やりたかった仕事。これらに向き合えた人はどれだけいるんだろう
恐らく世の中の社会人の大半は、物心ついて以降に「将来これになりたい」というビジョンを描いたはず。
実際、その願い通りに人生を歩んでいる人はどれだけいるのだろうか。きっとほとんどの人は途中で現実と夢との狭間でしばし苦悩をし、やがて堅実に歩む道を選択していったことだろう。
しかし中には、早い段階から「スキルを磨いて、自分の努力と実力で歩む人生を」と決心をして研鑽を積み、実際に思った通りの立場で社会に羽ばたく人もいる。
今日はそんな人生を歩んでいるプロピアニストの大橋美帆さんに、身一つで生きていくために必要だった過去の苦労話を伺った。
と同時に「やっぱり前々からの夢が諦められない」という方に対しての、大橋さんなりの見解についても質問をしてみたので、現状、本当にやりたいことにまだ挑戦できていない方には、ぜひ一読していただければさいわいである。
大橋美帆さんの来歴
本題に入る前に、まず大橋さんの来歴についてご自身から説明を受けた。なかなか稀有なプロフィールとなっているので、まずはご覧いただきたい。
松本 はじめに、読者さんに向けて簡単で結構ですので、過去の経歴なども絡めて自己紹介をよろしくお願いいたします。
大橋さん 初めまして、大橋美帆と申します。
3歳からピアノを始め、小学生の頃にピアニストを志しました。
京都市堀川音楽高校、京都市立芸術大学を経て、ロシア国立モスクワ音楽院研究科、イモラ音楽院(イモラピアノアカデミー)にて、ロシア人ピアニストの恩師のもとで、約8年間研鑽を積みました。
留学中は、さまざまな国で演奏活動をおこなって参りました。
2019年頭にディプロマを習得し、完全帰国しました。
現在は、ピアニストとしての演奏活動、後進への指導、音楽教室Musica Merla経営、コンクールの審査員等をつとめています。
このように、かなり本格的な活動の経歴をお持ちのピアニスト。
なかなか筆者のような市井の人間には、想像もつかないスケールの半生を歩んでいるように思える。
修業期間は苦労とストレスが付いて回る…留学中、大橋さんが頼った息抜き方法とは?
郷里を離れて数年もの間、修行に明け暮れるというのは並大抵の精神力では成し得ないことと考えられるし、当然それに伴うストレスもたくさん顕在化することは容易に想像できる。
この点についてご本人に経験談と、息抜きのためにとった手段について伺った。
松本 大橋さんは8年間海外で修練を積んでいらっしゃいますが、日本を離れてピアノに打ち込む日々の中で、どういったものが息抜きになっていたのでしょうか。
大橋さん 留学中の日々はプレッシャーやストレスとの戦いでした。
ロシア人の恩師は猛烈に厳しく、門下生のレベルは凄まじく高く、世界的に有名なピアニストが多数在籍していました。そんな環境下の中で、私なりに、ピアノと必死に向き合いながら過ごしていました。
息抜きになったものは各国で異なります。
ロシアではまず、ストレス過多を解消するものは食事でした。ロシアの板チョコはものすごく分厚いのですが平気で毎日1枚食べていました。ファーストフードなども常に食べていました。体重が10キロ以上増えて、人生で初めてLサイズになりましたし、夜中に寮のルームメイトとケンタッキーをおつまみにしてウォッカを飲んでいました。
ある日の夜、寮長のおばさんが勝手に部屋に入ってきて、ウォッカを全部没収されました。
ロシア人の友人達とディスコチェカ(飲み屋さん)で飲んで騒ぐことも、息抜きのひとつでした。
要するに食&お酒です。
イタリアで助けられたのは友人の存在です。イモラは地味で小さな田舎町なのですが、ピアニストがたくさん住んでいるという環境でした。
イタリア人のみならず、ロシア人も多かったですし、欧州の人も多かったです。アジア人もちらほらいました。
私はいつも、最も気の合う友人と、時間を過ごしていました。
朝にカフェでお茶をしたり、あてもなく散歩をしたり、一緒に演奏したり、旅行をしたり、水彩で絵を描いたり……驚かすようないたずらもたくさん仕掛けました。
その友人とは常に語り合っていました。
ピアノや音楽の話から、自然科学の話、哲学の話、なんでも話しました。批評や議論もしょっちゅう行っていました。
友人とは多くのことを共有し、たくさんの共通言語を持ちました。
人生の中で、最も特別な友人です。
友人と過ごす時間こそが、息抜きでもあり、ふくよかな時間でした。あの時間が恋しくて涙する日は未だにあります。
上記のように、ロシア、イタリアでそれぞれに息抜きの手段を自身の力で見出していたことが語られている。
こういった手段を手にしていたからこそ、常人では挫折しても当然という環境で日々を送れていたのかもしれない。
緊張の瞬間は誰にでもある。プロにも当然これは訪れる…
未知の世界で手腕を発揮し、自分の実力がどこまで通用するか試したい。
そう思う人は多いけれど、いざ大舞台に立ったら立ったで、緊張しきりでその力が発揮できないという可能性も考えられるし、人によってはそれがトラウマになって挫折することもある。
大橋さんは、緊張する舞台でどういった身の振り方を選んだのか。
これについても質問を投げかけてみた。
松本 不躾ですが、プロのピアニストとして活動してきて、これまで一番緊張した瞬間に遭遇したのはどんなときだったのでしょうか。
大橋さん 緊張の瞬間というより、”瞬間の連続”と表現するほうがしっくりくるのですが、一番緊張したのは、帰国記念リサイタルです。長年の留学の成果を披露する場所であり、日本での恩師の先生方、日本でお世話になった方々、友人、批評家、様々な方の前でお披露目をしました。
自信を持って演奏すれば良いのでしょうが、これほどまでに緊張した本番は無かったです。
あのリサイタルの演奏時間の全てが、自分が人生の中で最も評価される”瞬間”であったと思います。
……自分の修行の集大成を、母国で披露するとなると、それはもう緊張やむなしである。
同じような重圧がわが身にのしかかってきたら耐えられるのか。ちょっと想像するのもいいかもしれない(筆者は耐えられません!)。
「身一つで食べていくことは、技能に命を捧げること」
余談になるが、筆者は子供の頃から物書きになりたいと思っていた。
ただし九州のド田舎の貧乏長男だったので、ひとまず高卒で就職を経験している。もっともやりたいことから目を背けていたため、長続きはしなかった。
20代の終わりごろ、遅まきながら文章を作る仕事を細々とやれるようになったが、思えば「あと10年早く行動していれば、まだ色んな可能性に若い感性のまま触れ合えた」と後悔もある。
やりたいことがあるなら、ある程度のバイタリティがあるうちに動いてしまうべき。というのが筆者の考え。
ではプロのピアニストの意見はどうか。自分の技能一つで社会と渡り合うには何が必要なのか……ということについても、大橋さんにインタビューしてみた。
松本 何か身一つで技能を身に着け、それで食べていくことに憧れる人って多いはずですが、ただいろんな理由があってなかなか踏み出せないということもまた多いんじゃないかと思うところです。
今、そういう人がこの記事を読んでいるかもしれません。そうした方に向けて、メッセージをいただけますでしょうか。
大橋さん 身一つで技能をつけて、食べていくということは、その技能に対して、命を捧げるということです。
私の生涯は、ピアノと、敬愛する作曲家達と、演奏表現や音色や奏法の追求にすべてを捧げます。
ピアノが1台あれば、本当は、何も要らないのです。
私にとってのピアノは、いちばんの幸せでもあり、いちばんの悲しみでもあります。
ピアノを通して、数えきれないほどの経験をしました。喜びや楽しみばかりではなく、深い絶望と挫折を何度も何度も味わい、ピアノを辞められたらどれだけ楽になれるか、人生の中で何回も考えました。
別の道に進まれる方への助言としては、「命を捧げる覚悟を持てない…」と弱音が強くなってしまうようであれば、やはりやめたほうが良いと思います。
余談ですが、生まれ変わったら私はお天気お姉さんになりたいです。
「生まれ変わったらお天気お姉さんになりたい」と話しているが、逆を言えば大橋さんは今世ではピアノと向き合う生き方をする覚悟を決めているということなのだろう。
恐らくは想像も難しいほどに人生の色んな局面をピアノを起点として味わい、乗り越えてきたはずなので、発言には重さを伴った説得力を感じてしまう。
自分がやりたいこと、やるべきこと。
そう信じている何かを生業にして生きていくことは、果たして幸せなのだろうかと考えることが度々ある。
傍目には天職に就いているように見える人も、掘り下げて質問をしてみると決して才能一つで成り上がってばかりではない。
むしろそう見える人ほど、努力に次ぐ努力で、血涙を流しながらことを成し遂げていることのほうが多い。
「なりたい自分になったらいいよ」という言葉って、投げかけられると何となく気楽にはなる。
だけど、この言葉って大抵、発している側も気楽に使っているもので、本当になろうとした自分になっている人からすると、それこそ覚悟をどれだけ決めているかというところが焦点になるというか、重視すべきポイントになっているように思えた。
なりたい自分になることが幸せなのか。
夢は惜しいけど、現実を俯瞰し、安定した人生を歩むことが幸せなのか。
現状そんな二択に悩んでいるという方は、ぜひ十分に悩んで、悩んで、悩み抜いて、それから自分の意思で答えを選択していただきたい。
ただ個人的な感想を述べさせてもらうと「ピアノを辞められたらどんなに楽か」という思いと「ピアノが1台あれば、本当は、何も要らない」の2つの相反する本音をさらけ出せる大橋さんのような人には人間になりたいという欲が、筆者にはある。
文/松本ミゾレ
【取材協力】
大橋美帆