「一寸の虫にも五分の魂」という言葉は、社会人にとってさまざまなシーンで活用できる便利なことわざです。本記事では、言葉の意味や由来に加え、間違えやすいことわざや似た意味のことわざ、具体的な活用方法を解説します。
「一寸の虫にも五分の魂」の意味
「一寸の虫にも五分の魂」とは、どんなに小さな虫であってもそれぞれに考えや意地を持っているため、ばかにしたり粗末に扱ったりしてはいけないことの例えです。
「一寸の虫にも五分の魂」の読み方
「一寸の虫にも五分の魂」の読み方は「いっすんのむしにもごぶのたましい」です。
「一寸」とは、尺貫法という測定方法における長さの単位で約3cmです。「五分」も同じく尺貫法で、一寸の半分の長さ(約1.5cm)を指しますが、それ以外にも「あるものの長さの半分」という意味合いで「五分」という言葉を用いるケースもあります。
由来は諸説あり
「一寸の虫にも五分の魂」の由来としては、主に3通りが伝えられています。
- 「極楽寺殿御消息(ごくらくじどのごしょうそく)」説
- 「天智天皇」説
- 「勝海舟の父」説
それぞれの説を解説していきます。
「極楽寺殿御消息(ごくらくじどのごしょうそく)」説
「極楽寺殿御消息」は鎌倉時代前期の武将である北条重時(1198~1261年)が武家としての心構えを説いた家訓で、その中で命の重さは虫も人も変わらないため大切にしなければならないことが説かれています。
「天智天皇」説
江戸時代に活躍した作家である近松門左衛門(1653~1724年)による浄瑠璃「天智天皇」(1712年)の中でも、「一寸の虫にも五分の魂」につながるくだりを見て取ることができます。小さなハエを例に挙げて、ハエであっても人の命を奪うほどの力があるのだから侮ってはいけないことが説かれています。
「勝海舟の父」説
幕末から明治維新にかけて活躍した武士である勝海舟(1823~1899年)の父親・勝小吉(1802~1850年)の言葉が「一寸の虫にも五分の魂」の由来となっているという説も存在しています。町人に切りかかった武士に対して、弱い身分の人間に対し勝手な振る舞いをしてはいけないという戒めの意を込めて、小吉が放った言葉が由来とされているのです。
「一寸の虫にも五分の魂」の由来は特定されてはいないものの、元来、戒めの言葉として用いられてきた例え話がことわざとなって今に伝わっています。
英語では「Even a worm will turn.」
「Even a worm will turn.」を直訳すると「虫でさえ立ち向かってくることがある」です。「worm」はにょろにょろとした脚のない虫を意味し、「turn」は「開き直る」や「立ち向かう」という意味です。
文化的背景の違いから、日本のことわざと全く同じことわざを英語圏で見つけることは難しいものの、ニュアンスとしては同意の表現にあたります。
「一寸の虫にも五分の魂」と似ていることわざ
「一寸の虫にも五分の魂」と間違えやすいことわざには、意味が似ているものと「一寸」という表現が使われているものとがあります。それぞれの言い回しや意味合いを確認していきましょう。
意味が似ていることわざ
「一寸の虫にも五分の魂」と同じく、弱い立場にあるものをばかにしたり、邪険に扱ったりしてはいけないことを戒める意味を持つことわざは他にも存在します。
- 蛞蝓にも角(なめくじにもつの)
弱そうに見えるなめくじでも角を持っていることから、弱そうに見えるからといって侮ってはいけないという意味のことわざです。
- 八つ子も癇癪(やつごもかんしゃく)
8歳の子どもであっても自分なりの意地や考えがあるのだから、ばかにしたりしてはいけないという意味のことわざです。
- 山椒は小粒でもぴりりと辛い(さんしょうはこつぶでもぴりりとからい)
山椒の実は、その小さな外見からは想像できないほどに非常に辛い実であることから、体が小さくても、優れた気性や才能を持っていることがあるという例えとして用いられることわざです。
「一寸」が使われていることわざ
江戸時代に主に用いられていた尺貫法による「一寸」という単位が使われていることわざは、現代にも数多く残っています。
- 一寸先は闇(いっすんさきはやみ)
3cm程度先のことも闇の中ではうかがい知ることができないことから、ほんのわずか先の未来ですらも全くわからないことの例えとして用いられることわざです。
- 一寸の光陰軽んずべからず(いっすんのこういんかろんずべからず)
漢詩の一句「少年老い易く学成り難し 一寸の光陰軽んずべからず」の後半部分にあたり、ほんの少しの時間でさえ無駄にしてはいけないという意味の故事成語です。
「光陰」とは、月日や時間を意味する言葉で、月日が過ぎる早さを、放たれた矢が戻らない情景に重ねた「光陰矢の如し(こういんやのごとし)」という故事成語にも用いられています。
- 蛇は一寸にして人を呑む(じゃはいっすんにしてひとをのむ)
たった一寸(3cm)の蛇であっても人を吞み込もうとする気迫を見せることから、優れた人物は幼い頃から平凡な人とは違うところがあることの例えとして用いられることわざです。
このように、「一寸」は単なる長さの単位だけではなく、「ほんのわずかな」という意味を表すために用いられるケースも少なくありません。
「一寸の虫にも五分の魂」の使い方
ここからはどのようなシーンにおいて「一寸の虫にも五分の魂」という言葉を使うのかについて、具体的な使用例をあげて解説していきます。
人をばかにする言動を注意するとき
【例文】
- 「一寸の虫にも五分の魂」と言うでしょう。新人だからといってあまりばかにしてはいけませんよ。
- 相手が年下だからといって足蹴にしていると後悔しますよ。「一寸の虫にも五分の魂」と言いますからね。
相手の見た目・役職・年齢や性別などを理由に一方的にばかにしたような態度をとる人というのは、現代においても見かけることは少なくありません。
ただ、目の前でばかにされている相手を助ける気持ちで使ったつもりでも、相手によっては自分を「虫」に例えられたことを快く思わない場合もあるため、特定の人物に対して用いることは控えた方がよいでしょう。
自分を奮い立たせるとき
【例文】
- 「一寸の虫にも五分の魂」で、今自分をばかにしている奴らをいつか見返してやる!
- 負けているけど「一寸の虫にも五分の魂」の意地を見せてやる!
相手を無闇に侮ることを戒める言葉として用いられる「一寸の虫にも五分の魂」ですが、上記の例のように自分自身を鼓舞する際にも用いることができます。
構成/編集部