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井原、森岡、宮本、長谷部、吉田麻也、サッカー日本代表W杯キャプテンの系譜を辿る

2022.11.17

サッカー日本代表・W杯キャプテンの系譜

9月の欧州遠征で笑顔を見せる現キャプテン・吉田麻也(筆者撮影)

11月12・13日の欧州リーグが終わり、日本代表の全選手が15日にドーハに集合。いよいよ本格的な臨戦態勢に突入する。彼らは16日朝には隣国・UAEのドバイに移動し、17日に最後の調整試合であるカナダ戦で最終確認を実施。再びドーハに戻って、23日の初戦・ドイツ戦までチーム状態を引き上げる構えだ。

11月1日のメンバー発表直後に主力級左サイドバック(SB)の1人である中山雄太(ハダ―スフィールド)が離脱。冨安健洋(アーセナル)も古傷を痛め、長期離脱中の板倉滉(ボルシアMG)、浅野拓磨(ボーフム)もまだ実戦復帰できていないなど、今の森保ジャパンには不安定な要素が多い。

そんな今こそ頼りになるのが、過去のW杯を経験しているベテラン勢。とりわけ、2018年ロシアW杯の後、長谷部誠(フランクフルト)からキャプテンを引き継いだ吉田麻也(シャルケ)の存在価値は大きい。

最終予選で序盤3戦2敗という崖っぷちに立たされた際も、「ダメだったら取ります」と日本サッカー協会(JFA)首脳陣でも発言できないような強烈メッセージを発信。精神的支柱として力強くチームを支えていた。

7大会連続出場権獲得後も、サッカー人気低下を危惧して、南野拓実(モナコ)や伊東純也(スタッド・ランス)、堂安律(フライブルク)ら新世代のスター候補たちに「6~7月のオフ期間は積極的にメディアに露出してほしい」と声をかけていた。

自分自身や代表のことだけでなく、広い視野でサッカー界全体のことを考えられる賢さと器の広さは過去のリーダー以上のものがあると言っても過言ではない。名古屋グランパスアカデミー時代の恩師の1人である今久保隆博氏(現アジアン・ラボ代表)から「将来はJFA会長になってほしい」とエールを送られたほどである。

カズ落選でショックを受け、負傷した井原

そこで、吉田以前のW杯キャプテンを改めて振り返ってみると、まず日本が初めてW杯参戦した98年フランス大会は井原正巳(柏コーチ)がキャプテンマークを巻いた。

筑波大学出身の井原は大学時代から代表入りし、「アジアの壁」という異名を取った日本屈指のDF。94年アメリカW杯を逃した「ドーハの悲劇」を森保一監督とともに経験している人物だ。

それだけにフランス行きを実現させなければいけないという責任感は誰よりも強かった。97年11月16日に日本がイランに勝って初出場を決めた「ジョホールバルの歓喜」の時は誰よりも安堵感をにじませていた。

ただ、本大会直前にエース・カズ(三浦知良=JFL鈴鹿)落選というショッキングな出来事が起き、ショックを受けた井原はその日の練習でひざを負傷。W杯出場が危ぶまれる事態に直面する。まさに今の冨安のような状況。実をいうと、井原はアビスパ福岡監督時代に冨安を引き上げ、大きく育て上げた指導者。2人の因縁に驚きを禁じ得ない。とはいえ、井原はギリギリで間に合い、W杯全試合に出場。日本は1勝もできなかったが、「W杯に出る」という最低ノルマは果たした。

代表キャプテン時代の森岡隆三(筆者撮影)

日韓W杯初戦で負傷した森岡。後を引き継いだ宮本

次の2002年日韓W杯は、森岡隆三(清水アカデミー・オブ・コーチング)が初戦・ベルギー戦(埼玉)でキャプテンマークを巻いた。彼は神奈川県屈指の進学校・桐蔭学園高校の普通科出身で、94年に鹿島アントラーズ入りしなければ、普通に有名大学に進んでいたであろう知性溢れる人間。今年6月に出版した自叙伝「すべての瞬間を生きる PLAY EVERY MOMENT」(徳間書店刊)も全て自分で書いたというから、その賢さには恐れ入る。

ところが、その森岡は日本が2-1で逆転した後半に左足裏の激痛を訴え、ピッチに座り込んで交代。原因不明のケガは最後まで治らず、不完全燃焼のまま夢の大舞台を終えることになってしまう。フィリップ・トルシエ監督は3バックの要として森岡に大いなる信頼を寄せ、2000年シドニー五輪の23歳以上のオーバーエージ枠にも抜擢したほどだったから、指揮官にとってもダメージは大きかった。

後を引き継いだのが、「バッドマン」で知名度を上げた宮本恒靖(JFA理事)。宮本も大阪の進学校・生野高校から学業推薦で同志社大学に進んだインテリだ。U-20、U-23と年代別代表ではつねに主将を務めていて、彼が大役を担うのは自然な流れだった。

日本が日韓W杯でベスト16入りを果たした後、ジーコ監督が就任し、2006年ドイツW杯に向かったが、宮本はキャプテンを継続。2004年アジアカップ(中国)の準々決勝・ヨルダン戦(重慶)でPKの位置を変えさせた際には得意の英語力を遺憾なく発揮。当時、国際試合で審判と対等に外国語で意思疎通を図れる選手は彼と中田英寿くらいしかいなかっただけに、宮本の存在価値は大きかったのだ。

宮本は宮本なりにチームを引っ張ったが、ドイツでは悔しい経験をした(筆者撮影)

けれども、天性のリーダーも2度目のW杯では苦しみを味わった。ドイツ大会の日本は初戦・オーストラリア戦(カイザースラウテルン)で1-3の衝撃的敗戦を喫し、そのまま崩れてしまった。引退を賭けて戦った中田英寿とそれ以外の選手に温度差もあり、溝を埋めきれなかった宮本は責任を感じていた。

「ザルツブルクの同僚だった元クロアチア代表のキャプテンだったニコ・コバチ(現ヴォルフスブルク監督)は強引に仲間を引っ張り、同じ方向を向かせるタイプだった。自分もそうすればよかったのかな…」とのちに語ったこともある。日本人は調整型のリーダーが好まれるが、W杯のような異様な空気が生まれる大会では、多少の強引さやカリスマ性は必要。そのあたりはここまでの3人には少し足りなかった部分ではないか。

2010年南ア直前にいきなり抜擢された長谷部は稀代のリーダーに

そういった経験を踏まえ、2010年南アフリカW杯を率いた岡田武史監督(JFA副会長)は大会直前になって長谷部を指名したのかもしれない。当時の長谷部は26歳。上には34歳の川口能活(U-19代表GKコーチ)や32歳の中澤佑二(解説者)、31歳の中村俊輔(横浜FC)ら年長者がいて、しかも中澤が直前合宿地のザースフェーに入るまでは中澤がキャプテンだった。そこで急な変更が生じたのだから、長谷部も困惑して当然だ。

「僕は単にマークを巻いているだけで、キャプテンは佑二さんですし、能活さんもいますから」と本人も事あるごとに気を使った発言をし続けたほどだ。

とはいえ、2008年1月からドイツ・ヴォルフスブルクでプレーし、08-09シーズンにはリーグ制覇も経験した長谷部は「年齢や実績に関係なく、やるべき時はやらなければいけない」ということを身を持って知っていた。ゆえにピッチ上では年長者にも要求し、当時若手だった本田圭佑や長友佑都(FC東京)らを鼓舞した。欧州スタンダードを貫いた初めてのキャプテンだったと言っていいだろう。

我々メディアに対しても配慮を欠かさなかった。特筆すべきは、駒野友一(今治)のPK失敗で敗れたラウンド16・パラグアイ戦(プレトリア)後の取材対応だ。キャプテンのコメントを取るため、ミックスゾーンには大変な人垣ができ、一番前に陣取った筆者らは後ろから押されて息ができなくなりそうだった。それを見かねて、長谷部が「みなさん、押さないでください。大きな声で後ろまで聞こえるように喋りますから」と一声かけてくれたのだ。そんな対応をした選手は後にも先にも彼1人。「岡田さんはいいリーダーを選んだ」と評判になったほどだ。

自身最後のW杯となった4年前のロシア大会直前の長谷部(筆者撮影)

次のアルベルト・ザッケローニ、その後のハビエル・アギーレ(マジョルカ監督)、ヴァイッド・ハリルホジッチ、西野朗と2018年ロシアW杯まで長谷部は8年間、キャプテンに指名され、日本の看板に矢面に立ち続けた。2011年には代表合宿に遅刻してきた森本貴幸(台湾Futuro)に苦言を呈し、自分流を押し付けてくるハリル監督に「自分たちはこうしてほしい」と訴えかけるなど、言うべきことは言うというスタンスを示した長谷部はやはり素晴らしいトップだったというしかない。

その8年間には「キャプテンを変えた方がいいのでは」と言われた時期も何度かあった。が、長年の盟友・川島永嗣(ストラスブール)が「マコの後釜は難しい。非常にハードルが高い」と神妙な面持ちで話したように、彼を超える人材は出てこなかった。

「どうあがいても長谷部にはなれない」と号泣してから4年。吉田の真価が問われる。

だからこそ、彼が代表引退を発表した時、吉田は「僕も7年半、彼と一緒にやってきましたけど、本当にあれだけチームのことを考えてプレーできる選手は少ないでしょうし、彼の姿勢から学ぶことがたくさんあったので」と涙ながらに語ったのだ。

加えて、「どうあがいても長谷部誠にはなれないので。自分のスタイルで代表チームを引っ張っていかないといけないですし、ああいう選手の後をやるのはやりづらいと思うので…」と戸惑いながらも、後継者としての彼なりの決意をにじませたのである。

あれから4年以上の月日が過ぎ、吉田は吉田で素晴らしいキャプテンになった。それは誰もが認めるところだ。自身はサウサンプトンからサンプドリア、シャルケとプレー環境が変わり、今夏から在籍するドイツの名門ではリーグ7連敗と苦境の真っ只中にいる。ベテランゆえに低迷の責任を背負わされ、風当たりは日に日に強まっているし、代表でも「レギュラーは厳しいのではないか」と言われることも多くなった。それでも、彼には長谷部ら先人から託された仕事を果たさなければいけないという強い意思と覚悟がある。それをカタールの地で示し、日本を8強以上へと導いてこそ、ここまでの努力が報われる。

日本のW杯・5人目のキャプテンには心から納得できる戦いを見せてほしいものである。

取材・文/元川悦子
長野県松本深志高等学校、千葉大学法経学部卒業後、日本海事新聞を経て1994年からフリー・ライターとなる。日本代表に関しては特に精力的な取材を行っており、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは1994年アメリカ大会から2014年ブラジル大会まで6大会連続で現地へ赴いている。著作は『U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日』(小学館)、『蹴音』(主婦の友)『僕らがサッカーボーイズだった頃2 プロサッカー選手のジュニア時代」(カンゼン)『勝利の街に響け凱歌 松本山雅という奇跡のクラブ』(汐文社)ほか多数。

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