2020年4月に発足した一般社団法人LIVING TECH協会。「人々の暮らしを、テクノロジーで豊かにする。」の実現を目指して住宅関連事業者やメーカー、流通・小売りに携わる企業が集い、まずは、ユーザーに心地良いスマートホームを段階的に進めていこうとしています。
2020年10月29日にはカンファレンス「LIVING TECH Conference 2020」を開催。全13セッションの中から、セッション6を3回にわたって紹介します。
登壇者は、右より少路政彦さん(パナソニック株式会社 ブランド戦略本部)、藤井保文さん(株式会社ビービット)、林篤志さん(Next Commons Labファウンダー)、青山周平さん(B.L.U.E.建築設計事務所 代表、中国よりオンライン参加)
※Session 6中編※ 海外のデジタル先進国・中国から学ぶ建築の観点とアフターデジタルの捉え方
変わろうとしている日本の街づくり
林(モデレーター):中国の場合は、お聞きする限り、決済を持っているところ、アリババなどがプラットフォームをドンと張っていますが、日本のスマートシティやの街単位のDX(※1)化が起きていくときに、日本の主たるプレーヤーは誰になるんでしょうか?
※1 DX:デジタルトランスフォーメーション。ITの浸透が人々の生活をあらゆる面でより良い方向に変化させるという概念
藤井:現状では難しく、それこそLIVING TECH協会のようなアライアンスを組む形でしか今はデータが統合されていないので、当然ゼロから作り上げていくのだと思います。
少路:日本は中国みたいにジャイアントプラットフォーマーがでないでしょうから。むしろ中間層のサービス提供会社がどこまで頑張るかですね。
藤井:仰る通りです。ただ一社単独だけでは足りないでしょう。
林:パナソニック的にはこういう流れに対してどうですか?
少路:僕らはメーカーでいるままだとダメだと思っています。住空間なら住空間のサービサーになりたい思いがある。これは日本でもそうですし、国外でもそう。お客さんに近づくほどやはりサービサー視点が必要です。例えば、アマゾンさんが来ても、住空間ならパナソニックに声をかけていただけるようなサービサーになりたいですね。
林:青山さん、建築の観点に戻りたいのですが、日本は東京であればオリンピックに向けて都市開発が進んでいて、地方都市も同じような街づくりが進んでいきます。一方で、日本全体を見渡すと空き家の数や有休施設が社会課題としてある中で、中国で実際に建築のお仕事をされている青山さんから見て、日本の建築はどのように変わっていけばいいのか? 建築だけではなく、家族の形や世帯人数など、いろいろなことが紐付いてくると思いますが、その点はどのように見ていますか?
青山:高齢化の問題や老人が活躍できる建築、都市のような話は、日本が先進しているので、その辺は学ぶところが多いです。特に、日本の若手の建築家やデザイナーの中では、新しいポスト資本主義というか、資本主義時代後の新しい街づくりとかも近年進んでいるので、まだ中国では資本主義真っ只中という雰囲気です。
日本におけるポスト資本主義の生まれ方と、中国におけるポスト資本主義生まれ方というのもあるのかと思っていて、その辺は後でお話します。
藤井:逆に私から林さんに伺いたいです。今の流れからすると日本も台湾も回られて、その中での社会変化に応じて、どんどん街が変わって、日本の街のあり方のようなものがデジタルのあおりを受けてどう変わっていくのでしょう?
もう限界?もう頑張れない!?
林:まず人口減少は非常に大きいと思います。10年位ローカルの仕事をさせていただいて、自治体とお仕事することが多いですが、例えば産業を増やしたいとか若い人たちを増やしたい、起業家を増やしたいといったニーズは昔から今もあるのですが、この1、 2年で増えているご相談は、自治体機能を縮小したいと。
地方創生的な文脈でいうと、もう限界、もう頑張れない。何でもやっていた時代とは違って、今はもう無理ですと。なので、いわゆるパブリック領域を民間で担ってもらえる方向性はないですか? という相談が増えています。この流れと、民間がスマートシティやDXに向かっている流れは、幸か不幸か、民間が関わり始めそうなのでクロスポイントになりそうです。
街づくりは、もはや自治の領域であるとか、民主主義のあり方みたいなものを行政、公が作る時代でなく、民によって動いていき、民間のプレーヤーがどのように各地域に入っていけるかどうか、地域の固有性とか多様性みたいなものを残していけるのかどうか? テンプレ化して全然面白くなくなっちゃったね、という状況が生まれかねないのは見ていて感じますね。
藤井:中国の話では、例えば、その機能をアリババみたいな大きいプラットフォーマーが持って、一定テンプレ化しても機能がそちら側に寄せられていて、青山さんがおっしゃっていたようにもっと人が集まるとか、機能ではなくむしろ「意味」にあたるものは、リアルの場で生み出していくという形で考えられて。中央集権的なところもあるのでそうなっていくよねと。
一方で、例えばデンマークやスウェーデンなど北欧になると自治や行政の形は、もう少し何か配給型、つまり中央集権で一律同様な支援を民に落とす形ではなく、みんなが思っていることだったり、みんなが成し得たいことを如何に小さくちゃんとつなげて作っていくか? というような形でやられていると認識しています。
インドに行くと国民全員にID振って、銀行口座を持たせて全部そこで一括管理できるようにはするけど、API(※2)つなげて一般の企業の人たちが何かしら金融サービスとかをやりやすいようにしてあげる構造にもなっていると僕は見ていて…日本はこうあったらいいのに、と思うことはありますか?
※2 API:アプリケーションプログラミングインタフェース。アプリケーションの開発を容易にするためのソフトウェア資源のこと
林:国としてどういう管理の方法にしていくのか。例えば、マイナンバーカードの話もありますけど、この部分は進むとこまで進んでいくんじゃないかなって思っています。ただ、どちらかというとやっぱり、僕は日本の場合って市民という概念が実はそんなに定着してないんじゃないかなって思っているんですね。
つまりヨーロッパ型の、例えば宗教をベースにした一つの神がいて、それを前提にしたものがないと。つまり、今の日本の地方自治で起きることっていうのは、何となく区切られた自治体っていう区分けの中に、ただ住民票を置いているだけ。
その中で対話もなければ自治もないっていう状況で、もう少し既存の自治体の枠組みを取っ払った所で、部族的な集団によって、例えばエネルギーインフラを自ら管理していったりとか、自分たちの再配分の仕組み、地域通貨のようなものを発行して自分たちのコモンズ(集団)をマネージメントするようなツールが出てきたりとか。もう少し分散型というか同時多発型にいろんなものが生まれてきそうな、何かそういう雰囲気は感じていますね。
林:有り難うございます。では少路さん、お願いします。
少路:「OMO(※3)」って言葉がありますよね。オンラインとかオフラインがもうシームレスにつながるという定義。そうしたときに日本の良さの一つは「おもてなし」だと思います。やはり体験価値として、日本は素晴らしいもの、歴史的に持っていますので、これはとても世界に誇るものであるし、大事にしていくべきだと思います。
※3 OMO:Online Merges with Offlineの略。オンラインとオフラインの融合
それから、これだけオンラインが進んできたらオンラインの良さをオフラインに入れていく時代が来ていると思います。オフラインでいうと三河屋さんというのはすごくいい文化だと思います。
林:サザエさんの中に出てくる三河屋さん。「醤油足りてますか?」っていう(笑)
少路:裏側ではデジタルを使って対応している三河屋さん。そろそろ醤油を届けてあげないといけないよねとか、ついでにおばあちゃんのお薬のことも心配してあげたほうがいいかなとか。だからOMOは、オンラインがオフラインをマージするということですが、だからこそオフラインがとても大事になってくるし、そこが日本の良さだと思います。
林:なるほど、有り難うございます。では中国の青山さん、「日本の勝ち筋」についてどうお考えになりますか?
弱い物への配慮、それが日本の強み
青山:タイミングの問題があると思います。今入っていかないとだんだん難しくなるという感覚があります。僕は普段、日本人として建築のデザインビジネスをしているわけですが、今僕たちのクライアントは中国の20歳以降、30歳から50歳くらいの方々です。
彼らの特徴は、日本のアニメも見て、日本はアジアの先進的な国として、憧れの中で青年期を過ごして育った。今、彼らの意識の中には、日本は進んだ国とか、いい国とか、日本製のものはいいものだとか日本人デザイナーは結構頼れるとか、全体的なイメージのパッケージがあって、日本人が中国でビジネスをやることをすごくやり易くしていると思うし、僕個人も恩恵を受けていると思います。
でも今の中国の子供たち、例えば10歳とか今後の経済を担っていくような若い人たちは、若い時に日本のアニメもそんなに見ていないし、日本と中国のGDP逆転している状況もあるし、彼らが大人になったときに日本のイメージは今の大人たちと全く違うイメージを持っているはずで、そうなったときに日本のブランドやデザイナー、プロダクトが入っていけるかというと、今より難しくなっていくのではないかという感覚があります。
ここが最後の時期になりつつあるのではないかというのは、悲観的な見方としては一つあると思っています。
日本の強みは、弱い者への配慮というか、弱さとか儚さとか不完全さとか、そういう欧米とか中国では割とネガティブな概念が、日本では解像度が高く受けられるとか、それをテクノロジーによって救い上げていくという目線、そういう小さいものとか弱い者への敏感度というのは、日本の文化とか日本人にあると思います。
中国の大陸文化で、力がものをいい、すごいスピードで圧倒的な感じで、弱いものがどんどん取り残されていきがちな文化圏においては、日本のそれは強さにできると思いますね。
後編へ続く。
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取材・文/堀田成敏(nh+)