気が早いが何となく師走も意識される季節になった。今年何かやり残していることはあるだろうか。思い当たる節を探ってみると、その1つは残念ながら後の祭りであった――。
日暮里を歩きながら“後の祭り”について考える
6月末からの猛暑もようやく鳴りを潜め今年も秋がやってきた。雨さえ降らなければ過ごしやすい日々となっているが、もう少しすると急に冷え込んできたりするのだろう。秋は短い。
日暮里駅前を歩いていた。お昼を過ぎたところだ。日差しは眩しいが暑くはない。乾いた風が心地よく、天の恵みのような快晴の秋の1日だ。
駅前に聳えるタワーマンションには圧倒されるばかりだし、頭上を走る舎人ライナーの高架線路と相まってまるで未来都市といった趣だが、もちろんこの一帯は古くからある街である。
そういえば数年前、日暮里駅前にあった老舗の居酒屋で知人と酒を酌み交わしたことが思い出されてくる。まさに“昭和酒場”という風情の店構えで肉豆腐が美味しくてファンも多かったはずだ。
近くへ来たら気軽にまた立ち寄ってみようなどと思っていたが、確か4年ほど前に閉店してしまい、結局は1度きりの訪問になってしまった。まさに後の祭りである。
タワーマンションを左に見上げつつ、駅前から尾久橋通りの交差点へ向けて歩く。ちょうどお昼だし、どこかで何か軽く食べることにしようか。
閉店ということでいえば、少しばかり心残りなのが今年7月いっぱいで閉店した人気ラーメン店の“最後の一杯”が食べられなかったことだ。
閉店の告知がSNSで1ヵ月前にあり、これは絶対に1度は行かなければならない思っていた。その店には個人的にちょっとした思い出があったのだ。何なら閉店までに2、3度訪れるのもいいと楽観的に考えたりもしていた。
そして7月前半某日の夕方過ぎ、仕事の合間を縫って店に向かってみるとなんと長蛇の列。それでも列に並び10分ほど待ってみたのだが、列はほとんど進まずに残念ながら諦めた。大げさではなく並んで食べた人は2時間くらいは待ったのではないだろうか。その日はまだ仕事があったのでずっと待っているわけにもいかなかった。
シビアな現実を突きつけられ、仕切り直して開店前に並んでみるなど何か策を講じる必要に迫られたのだが、そう思いつつも日々は過ぎていく。7月も終盤になった頃に夜にもう1度店に行ってみたのだが、最初に来た日よりもさらに列が長かったのだ。確かに残された時間が少なくなればなるほど、ファンはより熱心に集まることになるのだろう。この時は並ぶことなく引き返し、個人的にはもはやお手上げとなった。
季節柄年末が意識されてくるようにもなったが、この一件は個人的に今年わずかに悔いが残る出来事ということになるだろう。今思い返してみたところで完全に後の祭りなのだが……。
残された時間が短くなると馴染みのものを選ぶ!?
「西日暮里二丁目」の広い交差点にやって来た。信号を渡って尾久橋通りを右に進んでみることにしたい。
“最後の一杯”が食べられなかったことには悔いが残るが、あのラーメンは自分にとって思い出の味ではあるものの、週に何度も食べるような馴染みの味ではなかったことも事実だ。かつてよく訪れていた時期があったのだが、そもそも最後に訪れたのは4、5年も前のことだ。
その意味では自分にはそれほどの執着はなかったといえるのだが、あのラーメンが馴染みの味だったという人々にしてみれば、せめて閉店までの間に何度も通い“食べ納め”したくなるであろうことは想像に難くない。最新の研究では我々は残された時間が短くなると、冒険して新しいことを試すよりも、慣れ親しんだ物事を選ぶことが示されていて興味深い。
妥当かつ仲介的な両方のアプローチを使用して、認識されたエンディングは親しみやすさへの好みを高めることを発見しました。
これは時限が個人的に意味のある体験を確実に成し遂げたいという人々の欲求を高めるためであり、古くからのお気に入りに戻ることは通常、目新しさを探求するよりも意味があります。
エンディングは、他の望ましい属性 (エキサイティングな刺激など) を犠牲にすることを意味する場合でも、参加者の親しみやすさへの好みを高めました。
これらの調査結果は、快楽的嗜好、時間とタイミング、および変化の動機付け効果に関する研究を前進させ、橋渡しします。
※「APA PsycNet」より引用
シカゴ大学の研究チームが2022年10月に「Journal of Personality and Social Psychology」で発表した研究では、実験を通じて時限が設定されて意識されることで、人々は目新しさよりも慣れし親しんだものを好むことが報告されている。
人生の中で一度は体験したいことを書き連ねたリストのことを「バケットリスト(Bucket List)」と呼び、確かに我々の多くは悔いのない人生を送るために新しくエキサイティングな体験を味わいたいと望んでいることは間違いない。やり残して後悔する人生は確かに御免こうむりたいものだ。
しかし興味深いことにひとたび“タイムリミット”が設定されると、人は目新しさよりもこれまでの人生で慣れ親しんだほうを好むようになるというのである。
合計約6000人の参加者を対象とした8つの実験ではたとえば旅行最終日に何をするかや、ダイエット開始日の前日に何を食べるかなど時限が設定された状況で、参加者は新奇性のあるエキサイティングなことと、ずっと前から馴染み深いもののどちらを好むのかが検証された。結果はエンディングが近づくと、人は新奇性よりも馴染みのあるものを選ぶ顕著な傾向が見られたのである。
連休の初日は訪れたことのない場所に行きたくなったり、初めてのレストランで食べたことのないメニューを試したくなったりするものだが、確かに連休の最終日は馴染みの場所を楽しみ、馴染みの味を堪能したくなるかもしれない。これも連休の終わりが意識されているからこその現象ということになる。
とすれば閉店が決まったラーメン店に馴染みの味を求めてお客が殺到するのもある意味では当然ということになりそうだ。
地元の人気店でランチのにぎり寿司を堪能する
尾久橋通りを進む。通り沿いにビルが立ち並ぶ都会の街だが歩行者はそれほど多くない。通りの左には弁当惣菜店があり、反対側の歩道にとんこつラーメンの店が見える。もう少し先にいってみたい。
さらに進むと寿司屋が見えてきたが今は営業していないようだ。左に折れる通りを見ると、少し先にオレンジ色の看板の飲食店がある。店の前までいってみよう。
この店も寿司屋のようだが店先の黒板に記されたランチメニューを見ると定食や丼ものなどいろいろあるようだ。とにかく入ってみよう。
奥に細長い店内で、小さなテーブル席がずらっと並んでいる。ランチタイムの時間ということもあり席はお客で埋まっていたが、運よく入口近くの1卓が空いていてお店の人に促され着席する。地元の人気店であることは明らかだ。
席を見渡すと大半は定食メニューを食べているようだったが、ここは迷わずにランチのにぎり寿司をお願いした。最初の寿司屋を見かけたときから寿司が食べたくなっていたのだ。
それにしてもメニューがすごいことになっている。壁一面に料理名が記された短冊がびっしりと貼られていて、もし夜に来たならいろいろと迷いそうだ。
にぎり寿司がやってきた。じゅうぶんな量で食べ応えがありそうだ。さっそくいただこう。人気店のランチの時間帯はさっと食べてすぐに帰るのが暗黙のマナーである。気づけば店の入口には入店待ちの人が2人もいるようだ。
イカが特に美味しい。ランチのにぎり寿司はたいていは質よりも“コスパ”が求められているのだとは思うが、こうしていいネタに当たると嬉しくなるというものだ。
人生の最後の食事は何を食べたいかといった質問がされることがあるが、その答えは往々にしてありふれた家庭料理だったりする。やはり終末というタイムリミットが設定されると、より慣れ親しんだ料理のほうが好まれるということになるのだろうか。
人生最後に何が食べたいのか。なかなか決めかねるものがあるが、自分の場合はこのにぎり寿司も有力な候補にのぼってくるようにも思える。寿司ネタはイカやアジなどのありふれたものでじゅうぶんだ。
ともあれ気づけば今年もあと2ヵ月と少しだ。その意味では“タイムリミット”も意識されてくる。これまでのコロナ禍で自重していた日々を取り戻そうと無理をしてまで動くこともないが、“最後の一杯”が食べられなかった7月の自分のような後悔はこれ以上することがないように過ごしたいものだ。
文/仲田しんじ