大手出版社3社から同月に本を出版した「長坂真護」って誰?
アートにはてんで疎い私が、「長坂真護(ながさか・まご)」というアーティストに興味を持ったのは、彼がこの9月に、大手出版社3社から同時に本を出した、という話を聞いたのがきっかけだった。
長坂氏は、2022年9月2日に小学館から(※1)、9月10日に朝日出版社から(※2)、9月17日に日経BP社から(※3)新刊を出版。人気アイドルやバズっているユーチューバーならともかく、一人の前衛画家が、この出版不況の中で、これはまさに快挙というより奇蹟だ。もしかしたら、何か裏があるのでは、という疑念がまず浮かんだ。
※1『NAGASAKA MAGO ALL SELECTION ――長坂真護作品集――』
(以下「NAGASAKA MAGO ALL SELECTION」)(小学館)
※2『長坂真護全作品2021 』(朝日出版社)
※3『サステナブル・キャピタリズム 資本主義の「先」を見る』(日経BP)
2022年9月2日に小学館から出版された作品&インタビュー集
『NAGASAKA MAGO ALL SELECTION ―長坂真護作品集―』
著/長坂真護 (小学館)
2200円
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長坂真護氏。※「NAGASAKA MAGO ALL SELECTION」より転載、以下同
元ホスト→売れない路上画家→サステナブル・キャピタリスト?
その印象は、「長坂真護」という名前をネットでググると、さらに深まる。検索して3番目くらいに「ホスト時代」というワードが出てくるのだ。どうやらかつて、歌舞伎町のホストクラブでナンバーワンだったという経歴の持ち主らしい。さらに過去のインタビューをざっくり見ると、アーティストとして世に出るまでの経歴がすごい。
1984年、福井県生まれ。
→工業高校を卒業後、歌手を目指して上京
→上京するための口実として、文化服装学院に入学
→デザインの才能が開花し、卒業制作のファッションコンテストで最終選考に残る
→デザイナーを志し、ロンドン留学費用を稼ぐためにホストに
→歌舞伎町のホストクラブでナンバーワンになる
→留学をやめてアパレル会社を設立
→会社をつぶし、莫大な借金が残る
→ホスト時代のプライドが邪魔をして普通に働く気になれず、元手のかからない路上画家に転身
→路上画家として10年間で15カ国以上を放浪
→どの画廊にも相手にされず、年収は100万円前後がやっと
これが20代のざっくりとした経歴だ。波乱万丈すぎる。
それに対して、現在の活動がまた謎なのだ。
アート作品の年間売上額は8億円!
「NAGASAKA MAGO ALL SELECTION」によると、長坂氏が注目されたのは2018年に、ガーナのスラム街に堆積している先進国の電気機器製品の廃棄物でアートを作り始めてから。たちまちトップアーティスト並みの高値がつくようになり、2021年4月に伊勢丹新宿店で開催した美術展では、近年における同店の美術催事売り上げの最高額を更新。彼の作品の売り上げは今や、年間8億円超えるという。
またこれまでに1000個以上のガスマスクをガーナに提供し、スラム街初の私立学校などを設置。さらに最近では、廃棄物処理のリサイクル工場建設や、環境を破壊しない農業の展開にチャレンジ。地元の若者のアートによる自立も支援している。そして今、先進国の人々が捨てたゴミからアートを通じてお金を作り、そのお金を廃棄地の人々へ還元する「サステナブル・キャピタリズム」(持続可能な資本主義)を世界に広めるべく、年間600点以上の作品を制作しているという。
もはや20代の時と同一人物とは到底思えないほどの落差。なぜ彼の人生にこんな劇的な変化が訪れたのか。そもそもなぜ、いきなり作品の価格が高騰したのか。そして、なぜにガーナ?
次から次へと湧く疑問の回答を探るべく、インタビュー集『NAGASAKA MAGO ALL SELECTION』を読んでみた。
現在の長坂氏の活動。作品の売上から5%だけを受け取り、それ以外をガーナのスラム街の教育や文化、人々が自立して生活できるための経済基盤を確立するために使っている
疑問① なぜ作品が急に高額に売れるようになったのか?
最大の疑問がこれだ。
長坂氏の作品が最初に高額で売れたのは2018年11月。ガーナのスラムで暮らす男の子を描いた「Ghana’s son」という作品で、1500万円もの高値がついた。
「Ghana’s son」(2018) 「ガーナ」シリーズで初めて高値で売れた作品で、長坂氏がガーナのスラム撲滅活動を始めるきっかけとなった
その高値に一番驚いたのは、長坂氏自身だったという。理由を考え続けた彼は、最終的にこう分析している。
この絵が売れたのは自分の技術ではない、スラムで暮らす彼らが深い闇から放つ希望が、1500万円という価値を与えた。
(「NAGASAKA MAGO ALL SELECTION」より)
この作品の持つテーマの価値が認められ、それに対して高額な値をつけられたということのようだ。彼の考える大胆な経済構造の改革が成功すれば、その実現のきっかけとなった彼の作品は歴史的にもはかりしれない価値を持つことになる。つまり彼の提唱する「サステナブル・キャピタリズム」による社会改革が実現することを信じている人、支援している人が、高値をつけているということなのだろう。
疑問② なぜ、ガーナの電子機器廃棄物を画材に?
廃材を使って美を表現しようとするアート作品は特に珍しくない。長坂氏の作品が注目されたのは、あくまでもガーナのスラム街に廃棄された電子機器廃棄物を使った作品だったからだ。ではなぜ、長坂氏は、そこに着目したのか。
売れない路上の絵描き時代として海外を放浪していた時代、長坂氏は経済誌「Forbes」に掲載されていた、1人の子供がゴミの山に佇んでいる報道写真に目を奪われたという。それは、ガーナにある世界最大の電子機器廃棄物処理場・アグボグブロシーの現状を伝える記事だった。
背景にあるゴミの山は、先進国の人間が使った電子機器の廃棄物。東京ドーム32個分もあるアグボグブロシーの土地に、数千トンもの電子機器廃棄物が捨てられている。住民の多くはその廃棄物を燃やすことでわずかな賃金を得ているが、発生する有毒ガスで深刻な健康被害にさらされているという。そのことに衝撃を受けた彼は、たまらずに現地を訪れた。
それまで僕はパリやニューヨークなどに行き、日本未発売のタブレットやスマートフォンを転売して軍資金を稼ぎつつ、路上で絵を描いたり、画廊に売り込んだりしていました。が、自分が売った電子機器が、回り回って彼らの命を縮めているかもしれない、と思ったら平常心でいられず、事実を知りたい、思いはただそれだけでした。
(「NAGASAKA MAGO ALL SELECTION」より)
長坂氏がそこで見たのは、富裕な先進国が出したゴミの後始末を、貧しい国に押し付けているという、資本主義の残酷な真実の姿だった。
日本はきれいな国だといわれていますが、日本を含む先進国が出したゴミの後始末を貧困国に押し付けているだけ。
(「NAGASAKA MAGO ALL SELECTION」より)
長坂氏は「この真実を世界に知って欲しい」という想いから、ゴミを画材に作品の製作を始めたのだという。
電子機器廃棄物を燃やす劣悪な環境の中、ガスマスクも支給されず作業をする人々
疑問③ なぜアーティストなのに、「お金」にこだわる?
一般にアーティストといえば、寡黙で、言葉ではなく作品を通して自分の想いを伝えることを重視し、金銭には無頓着というイメージがある。だが長坂氏は違う。「2030年までに100億円以上集める」ことを公言し、そのために年間600以上の作品を制作。自身の名を冠したギャラリーを国内外に11店舗(2022年8月)運営し、NFT(非代替性トークン)アートにも参入するなど、ある意味、お金の亡者のような貪欲さだ。
それは、世界最悪といわれるガーナのスラム街に最先端のリサイクル工場を建設し、公害ゼロのサステイナブルタウンへと変貌させることを目標として掲げているからだ。彼にそれを決意させたきっかけは、現地の一人の青年の言葉だったという。
アグボグブロシーは公害のすごさもさることながら、犯罪者の巣窟でもあり、ガーナ人でも行くことを拒む危険地域。訪れた当初は、長坂氏も恐怖心があった。だがある時、帰国しようとしている彼の肩を、一人の青年がつかんだ。
何をされるのかと思って身構えると、「MAGO、また来るんだよね? 次に来る時はガスマスクを持ってきてほしい。僕はまだ死にたくないんだ」 と切実な目で言われたのです。
(「NAGASAKA MAGO ALL SELECTION」yり)
自分のことばかり考えていたことに気づかされた長坂氏は、帰国後、わずかな自己資金から支援活動をスタートさせる。これまでに1000個以上のガスマスクをガーナに届け、2018年には完全無料のスラム街初の学校「MAGO ART AND STUDY」を設立。「2030年までに、ガーナのスラム街に100億円規模のリサイクル工場を作る」と宣言する。
一刻も早くガーナのスラム街にサステナブルな社会を提供したい。だから、作品を買ってもらうために手も口も動かし続けます。
(「NAGASAKA MAGO ALL SELECTION」より)
ちなみに長坂氏がこの活動を開始した頃は、日本でSDGsという言葉がほとんど浸透していなかった時期。女性誌「FRaU(フラウ)」(講談社)が出版界で先鞭をつけ、初めて1冊丸ごとSDGsを特集したのは、2019年1月号だ。その前年の調査では、日本人のSDGs認知度はわずか15%前後だったという。
「Ghana’s son」が売れたお金で、スラム初、完全無料の私立学校「MAGO ART AND STUDY」を設立
「僕が詐欺師かどうかは、10年後にわかる」
現在、上野の森美術館では、長坂氏初の美術館での個展を開催中(11月6日まで)。そのプレス向け内覧会で、長坂氏はポスターに採用された「真実の湖Ⅱ」の原画を前に、報道陣に以下のように訴えた。
「皆さん、この絵に使用しているVHSのテープとかレコーダーとかパソコンとか、なじみが深いものありませんか? 1回でも使ったことがある物があれば、あなたが使った物がスラムを作っている可能性があります。これは紛れもない事実です」
「僕は100億円集めて、ガーナに最先端のリサイクル工場をプレゼントします。絶対にやるけれど、1日でも1秒でも早く実現したいから、ガーナに向けたラブレターと称して毎日、作品を描いています」
「僕ら先進国の人間が100億円を集めることは、絶対できる。そのためにもぜひ、この作品展に足を運んでくださるよう、声を大にして、多くの人に伝えてください」
そんな彼の活動に、疑いの目を向ける人もやはり、一定数はいるのだろう。
「僕が稀代の詐欺師かどうかは、10年後にわかりますよ」――あるインタビューで長坂氏はそう断言している。
彼は果たして、世界の経済改革に挑む天才アーティストなのか、稀代の詐欺師なのか。次回の後編では、そんな彼の代表的な作品を紹介する。
現在、上野の森美術館(本館1F 本館2F ギャラリー)で開催中の美術展「長坂真護展 Still A “BLACK” STAR Nagasaka Mago Exhibition 「Still A “BLACK” STAR」。
※9月10日 ~ 11月6日
文/桑原恵美子 撮影/中筋純、藤岡雅樹