森保ジャパンのチーム作りもいよいよ大詰め
11月23日の2022年カタールワールドカップ(W杯)の初戦・ドイツ戦(ドーハ)までちょうど2カ月となった今日23日、日本代表がアメリカ代表とのテストマッチに挑む。2018年9月に森保一監督率いる代表が発足してから丸4年。彼らの活動もいよいよ大詰めだ。
ご存じの通り、通常のW杯は欧州リーグのオフ期間に当たる6~7月に開催されるのだが、今回はカタールの酷暑を考慮し、特別に11~12月の開催となっている。
となると、これまで設けられていた約1か月間の直前調整期間はない。それどころか、欧州組はリーグ戦が11月12・13日まであるため、現地に全員が揃うのは14日以降。まさに「ぶっつけ本番」で大舞台に挑むことになるのだ。
日本にとって残された国際試合は、今回のアメリカ・エクアドル2連戦(27日)と、大会直前の11月16日のカナダ戦(ドバイ)の3試合のみ。それだけ一戦一戦の重要度は高い。4年前の16強戦士の原口元気(ウニオン・ベルリン)が「(ドイツやスペインにどう戦うか?)イメージはあるけど、結構シビアな時期に来てるので、具体的には言えないのが正直なところですね」と言葉を濁したのを見ても、彼らがすでに戦闘モードに突入していることが色濃く窺える。
デュッセルドルフには8400人の日本人が居住。日系企業も多い
そんな代表が目下、活動しているのは、ドイツ・デュッセルドルフ。2020年時点で8400人の日本人が居住する「欧州最大の日本人街」である。
日本サッカー協会(JFA)の反町康治技術委員長も15日のメンバー発表時に「日本人コミュニティのある街での開催ということで、アメリカ戦は6000枚、エクアドル戦は5000枚前売りチケットが売れている。当日は1万人近いお客さんが来られる予定だ」とコメント。19日のトレーニング初日にも、デュッセルドルフ日本人学校・日本語補習校の子供たち300人との交流も行われた。吉田麻也(シャルケ)や久保建英(レアル・ソシエダ)らと記念撮影をし、サインをもらう少年少女たちは本当に嬉しそうな様子だった。選手たちも彼らの力強い後押しを受けながら、2連戦に挑むことができそうだ。
南野拓実や伊東純也らが笑顔で子供たちと写真に納まった(筆者撮影)
そもそもデュッセルドルフが「欧州最大の日本人街」になった背景には、まずルール工業地帯との関係性があるという。第2次世界大戦前のドイツにおける日本人の拠点はベルリンやハンブルクに集中していたが、重工業地帯のドルトムントやエッセン、ゲルゼンキルヘンなどに近いデュッセルドルフが重視され、1950年代から三菱商事や東京銀行(現三菱東京UFJ銀行)ら大企業が続々と進出。日本食スーパーやレストランも数多く出店し、独特のコミュニティが作られていった。
ドイツ国内はもちろん、オランダ・ベルギー・フランスなどへのアクセスも容易
当時は東西ドイツに分かれていた頃で、西ドイツ時代の首都・ボンと近いことも重要な要素だった。さらに、オランダやベルギー、フランスなど隣国へのアクセスも容易で、経済的なネットワークを構築しやすい環境も大きかったようだ。
実際、筆者も今回、パリからデュッセルドルフまで高速鉄道のタリスで移動したが、ブリュッセル、リエージュ、アーヘン、ケルンという欧州の大都市に停車しながら5時間半で着いてしまった。陸続きの欧州は車移動もスムーズで、デュッセルドルフにいれば、ポーランドやチェコといった東欧諸国、あるいはデンマークなど北欧諸国との往来も容易。空港からは英国にも飛べる。欧州組のサッカー選手たちもオフになると日本食を求めてデュッセルドルフに来ることが多いというから、日本人にとっては拠り所。そういう土地で今回の試合が開催されるのだ。
2020年からはJFAの欧州オフィスも
JFAもこの土地柄に着目し、2020年から欧州オフィスを設置。元代表チームマネージャーで同支所を統括する津村尚樹氏を中心に、50人以上にのぼる欧州クラブ所属選手のサポートを行っている。
円滑な代表活動を行おうと思うなら、選手所属先との良好な関係構築は不可欠。クラブ側に「選手を出さない」と強硬姿勢を取られたら、代表チーム強化は成り立たないからだ。特にW杯や五輪のような国際大会前は過密日程の中でもスムーズに選手を派遣してもらわなければいけない。日頃からの下地作りは必要不可欠だ。津村氏や定期的に現地を訪れる森保監督ら代表スタッフは、この拠点を軸にそれを進めているのである。
今回の欧州遠征2連戦前にケガをした板倉滉(ボルシアMG)、浅野拓磨(ボーフム)のようなケガ人の後方支援も欧州オフィスの大きな役割の1つ。というのも、欧州の場合、メディカル体制というのはクラブによってかなりの差があるからだ。
2020年に引退した内田篤人(JFAロールモデルコーチ)を例に取ってみても、2014年2月のひざ負傷以降、彼はシャルケを通してあらゆる名医を訪ねて治療方法を探し続けた。が、最終的に古巣・鹿島アントラーズのチームドクターを受診し、手術を選択した。結果的には完全復活には至らなかったものの、本人としては言葉の通じる日本でしっかり治療方針を理解し、納得してから、手術に踏み切りたかったのだろう。
JFAの欧州オフィスがあれば、彼のように困っている選手の相談に乗れるし、欧州・Jクラブの橋渡しもできる。最良の医療体制を提供すべく、最大限の努力も払えるのだ。メディカルの問題で悩む選手は想像以上に多いだけに、信頼できるスタッフが近くにいるというのは、やはり大きいことなのだ。
デュッセルドルフに近いシャルケ所属の吉田。いざという時も安心だ(筆者撮影)
ハーフ選手発掘で次世代の代表強化も
同オフィスのもう1つ重要な仕事は、欧州在住の日本人とのハーフ選手の発掘。反町技術委員長も以前、「いわゆるハーフの選手は男女問わず海外に沢山いる。彼らには日本国籍を選んでもらように働きかけていく必要がある」と強調していたことがあった。
実際、今年6月にU-19日本代表が参戦したモーリス・レベロ・トーナメントには、日本人の母と英国人の父を持つ前田ハドー慈英(ブラックバーン)、日本人の母とアルゼンチン人の父を持つ髙橋センダゴルタ仁胡(バルセロナ)が参戦。彼らに日本代表を目指してもらう最初のステップとなった。
サッカー選手の場合、最終的にA代表でどこの国を選ぶかによってW杯出場可能性も変わってくる。前田や髙橋にしてみれば、イングランドやアルゼンチンを選ぶより、日本を選んだ方が確率は上がる。そういうこともあって、JFAは彼らを後押ししているのだ。
バルセロナで少年時代を過ごした久保も沢山のハーフ選手を見てきたはずだ(筆者撮影)
自国の代表候補の発掘というのは、トルコなども熱心に行っていること。ドイツには約300万人超のトルコ移民がいると言われ、有能なサッカー選手も少なくない。そんな彼らをリクルートし、成功につなげたのが2002年日韓W杯だった。日本で女性人気が沸騰したイルハン・マンスズもドイツ生まれのトルコ人。彼のような選手は本当に多い。トルコが20年以上前から着手していたことを、日本はようやくここへきてスタートさせたということになるのだろう。
いずれにせよ、デュッセルドルフという土地は我々日本人、日本サッカー界にとって極めて重要な拠点。その事実を再認識したうえで見るアメリカ・エクアドル2連戦は一味違ったものになる。開催地にも目を向けつつ、森保ジャパンを応援してほしいものである。
取材・文/元川悦子
長野県松本深志高等学校、千葉大学法経学部卒業後、日本海事新聞を経て1994年からフリー・ライターとなる。日本代表に関しては特に精力的な取材を行っており、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは1994年アメリカ大会から2014年ブラジル大会まで6大会連続で現地へ赴いている。著作は『U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日』(小学館)、『蹴音』(主婦の友)『僕らがサッカーボーイズだった頃2 プロサッカー選手のジュニア時代」(カンゼン)『勝利の街に響け凱歌 松本山雅という奇跡のクラブ』(汐文社)ほか多数。