「経営の神様」と呼ばれた稲盛和夫さんが亡くなった。京セラ、KDDIを創業して育て上げ、倒産したJALを再建したという実績はもとより、「アメーバ経営(部門別採算制度)」と「フィロソフィ(行動規範)」を両輪とする稲盛経営論が多くの経営者に影響を与えた稀代の経営者だった。加えて、『生き方』、『働き方』などの著書は人生の指南書として今も広く読まれ続けている。
私が稲盛さんにインタビューしたのは9年前のことだ。社員の仕事に対する意識を変えることでJALを再生させた稲盛さんに、人生における仕事の意味を訊くためだった。
JAL倒産直後に会長に就任した稲盛さんが着任早々幹部に向かって、「仕事は楽しく」と説いたというエピソードに興味を惹かれたこと、想定読者は就活中の学生や若手のビジネスパーソンであること、など本の企画意図を冒頭で説明すると、稲盛さんは、「若い人たちに勇気が出るような本を書いてください」と大きくうなずいた。
与えられた1時間の取材時間が過ぎても稲盛さんの話は止まらず、結局2時間近いインタビューになった。その間、息子ほどの年齢の若造から視線をそらさず、身じろぎひとつせず、テーブルの上の冷たい麦茶に手を伸ばすことさえなかった。
「”人間として何が正しいかで判断する”や”真面目に一生懸命仕事に打ち込む”など、『フィロソフィ』に書かれていることは小学校の道徳のようです。大の大人が本当に受け入れたのでしょうか? ちょっと宗教臭さも感じてしまうのですが……」といった不躾な質問もした。稲盛さんはそんな問いにも決して気色ばむことなく、丁寧な口調で言葉を尽くした。
これまで経営者や政治家、スポーツ選手などさまざまな分野のトッププレーヤーを取材してきたが、これほど「伝えたい」というインタビューイ(被取材者)の意志を感じたことはない。
とくに印象に残っている言葉をあげよう。
「生きていくためにはどうしても大半の時間を仕事に費やさなければなりません。だから、楽しくなければならないのです」
稲盛さんは、「仕事はできるだけ短い時間で、できるだけ多く稼ぐほうがいい」という金銭で動機付けられた欧米の仕事観も認めた上で、「ただ、お金のためだけでは苦行になってしまい長続きしない」と仕事そのものに幸せを見つける生き方が大切であると強調した。
「今仕事が楽しくないのなら、仕事が好きになるように創意工夫してみてください。全力で取り組んでみてください。意識を変えれば成果も出て、きっと仕事が楽しくなるはずです」
仕事観は人それぞれで、正解はない。稲盛さんのそれも数ある仕事観のうちのひとつにすぎない。古い道徳観だと感じる人もいるだろうし、斜めに見れば、経営者に都合の良いきれいごとだといえるかもしれない。では、2時間ばかりとはいえ稲盛さんと対峙し、本を書き上げた私自身はどう考えているのか? 私はインタビュー最終盤に出た言葉を忘れずに今も仕事に向き合っている。
「仕事が楽しくなれば、人生もまた楽しくなるのです」
文/鍋田吉郎
【鍋田吉郎・プロフィール】
ノンフィクションライター/漫画原作者。1963年東京生まれ。東京大学法学部卒業後、日本債券信用銀行(現あおぞら銀行)に約3年間勤務。その後、90年からフリーランスのライターとしてインタビュー記事を中心に取材・執筆を行う。主な著書に『ケンリダス』『会社を変えた男たち』『グッジョブ!』、漫画原作に『現在官僚系 もふ』などがある。
『稲盛和夫「仕事は楽しく」』
「常に明るく前向きに。そして、仕事は楽しく」――稲盛和夫が破綻直後のJAL社員に説いたことばの真意とは? サラリーは減り続け仕事量は激増している中、破綻前よりも「やりがい」があると言い切り、嬉々として機内販売商品の開発にまで携わるCA。油拭き取り用に自宅から古着を持ち寄る整備担当達……。彼らはなぜ、宗教的、精神論的と揶揄されることもある稲盛哲学を受け入れ、どうやって消化したのか?
稲盛氏本人をはじめJAL社員十数名へのインタビューを通じ、稲盛和夫が掲げるフィロソフィの深淵に迫り、仕事とは人生とはを読み解く。JAL再生はあくまでも舞台装置にすぎない。その舞台の上で3万2千人の演者がどのように意識改革、とくに仕事観の改革を行ったかにスポットライトを当てたのが本書である。
「我々は仕事とどのように向き合えばいいのか!?」単純だが究極の命題の答えは、本書にある。就職活動中の学生、新人・中堅のビジネスパーソンから経営者まで、必読の1冊。
『稲盛和夫「仕事は楽しく」』
著/鍋田吉郎
発行/小学館
定価1540 円(税込)
判型:四六判・224ページ
https://www.shogakukan.co.jp/books/09388224