〝辰兄ィ〟と慕われ、数々の豪快伝説を残した俳優の梅宮辰夫さん。昭和の時代からサウナを愛した梅宮さんの「サウナ伝説」が、今回初めて明かされる!
俳優 梅宮辰夫
1938年3月11日生まれ、1958年に東映のニューフェイス5期生に合格。翌年映画『少年探偵団 敵は原子潜航挺』で主演デビュー。1968年から主演映画『不良番長シリーズ』が好評に。70年代からは『帝王シリーズ』など俳優として映画・テレビドラマに多数出演。料理と釣りはプロ級の腕前を誇る。2019年12月、慢性腎不全のため死去(享年81歳)。
毎朝入るのがルーティン黙って熱いサウナだぜ!
──梅宮さんは、サウナをどう楽しんでいたのでしょうか?
小山 梅宮の家にサウナがあったんです。渋谷区の松濤のご自宅には2人用、晩年を過ごした真鶴の別荘には1人用の大きなサウナがあって、ほぼ毎日入ってました。
神林 1980年に松濤の家を建てた時にサウナを設置したみたいです。真鶴は昭和の終わり頃に建てたけど、その時からサウナはありましたから。
小山 いつも朝なんですよ、梅宮がサウナに入るのは。前の日に飲んだ酒で目がむくむので、それを取るために入ると言ってましたね。映画やドラマの撮影の日は朝早くても必ず入ってました。例えば撮影開始が朝8時からだと6時には出発なんですけど、そうすると3時には起きてサウナです。自分が5時頃自宅へお迎えに行くと、いつも「おーい」とサウナから呼ばれてましたね。
──普段はどうサウナにお入りになってたのでしょうか?
小山 長いんですよ、入ると。入って出て水風呂に入って、また入ってを3回か4回くらいやってたんじゃないですかね。とにかく熱〜いサウナが好きでした。あとママ(※奥様のクラウディアさん)もサウナ好きで、梅宮が入った後によく入られてました。
──サウナではどう過ごされていたのでしょうか?
小山 自宅はサウナの目の前にテレビが置いてあったので、じっとそれを見て情報を得て、いろいろ考えて、終わったら忘れないうちに書斎へ行ってメモをしてました。梅宮にとってサウナは、いい「考える時間」だったんじゃないですかね。そこで考えたことを神林社長に電話したりしてましたよね?
神林 そうそう。ただあまり早い時間にかけると悪いと思うのか、我慢して朝7時くらいにかけてくるんだけど……こっちにしてみたらそれでもだいぶ早いですよ(笑)。
小山 夜寝るの、早かったですからね。夕方5時半か6時くらいには家族でご飯と晩酌して、テレビ見て、夜8時前には寝てることがほとんどでしたから。
──ご自宅以外によく行かれていたサウナはありましたか?
小山 西麻布の「アダムアンドイブ」。梅宮はここしか行かなかったですね。
神林 行くと必ずアカスリをするんですよ。担当者も決まっていてね。まずサウナでふやかしてからアカスリをやってました。
小山 梅宮、日焼けしてるじゃないですか。でも時々乾燥してしまって、白く粉を噴いてくるんですよ。それをアカスリで落として、またその上に日焼けするんです。アカスリは結構頻繁にやってましたね。赤くなっちゃう時もあって大丈夫かなと思いましたけど、本人は「気持ちいい」って言ってました(笑)。
ちなみに梅宮は日焼けサロンには行かず、必ず太陽光で焼いてました。天気がいいと自宅や別荘のベランダに出てましたね。
神林 梅宮さん、一切皮がむけないんですよ。あとひげ剃り後にクリーム塗ったりするじゃないですか。それもしない。でも肌きれいだったよね。サウナ効果なのかな?
小山 毛もシワもなくて、肌めっちゃきれいでした。やっぱりサウナなんでょうかねぇ。
──「アダムアンドイブ」にはどのくらいの頻度で行かれていたんですか?
小山 病気になる前は週3回は行ってましたね。行くのは朝イチです。9時に行って、11時半〜12時前くらいに迎えに行って、その後は決まって美容室でブローしてもらっていました。髪型にすごいこだわりがあったんですよ。それでスーパーの紀ノ国屋に寄って夕飯の買い物をして帰る、っていう。
神林 梅宮さんと一緒に行ったことあるけど、「アダムアンドイブ」にはヨモギ蒸しスチームサウナというのがあって、スチームがぶわーっと出て、すっごい熱いんですよ。そこでしゃべらないで、黙って入ってましたね。知り合いの方から挨拶されるくらいはありました。でもね、本当に熱くて一緒につきあえないですよ。俺はいつも梅宮さんより先に出てた(笑)。
小山 サウナへ行くと、親戚で俳優の高橋克典さんに会ったりとかはあったみたいですけど、基本はひとりです。挨拶されても誰か名前が出てこないみたいで、帰りに「おい、あのジャニーズ、誰だっけ?」なんて聞かれることがあったり(笑)。「アダムアンドイブ」へ行く時は自分はずっとクルマの中で待機しているんですけど、あそこは周りから見える外階段を2階から降りてくるつくりなんですよ。しかもサウナの目の前が中国大使館なので、いつも機動隊の人が詰めているんです。梅宮は機動隊の方に手を振りながら降りてきて、「いつもご苦労様で〜す」って声をかけて。
──まさに大スター! 主演された映画『夜の手配師 すけ千人斬り』でも、ホームサウナから出て汗を拭き、そのままシャツを羽織る豪快シーンがありました。
小山 梅宮、すごい気さくな人なんです。まあ年間100回以上は行ってましたからね、機動隊の人たちも梅宮が常連なの知ってるんです。映画は自分で演出を考えることもあったそうなので、梅宮のアイデアかもしれないですね。それから梅宮は名古屋で焼き肉店を経営していて、その時は観光ホテルなどのサウナには行くこともありました。でも松濤と、真鶴と、アダムアンドイブが定番でした。
熱〜いサウナに入るのが好きで、その後はアカスリが定番でした
事務所社長
グッデイ 代表取締役社長
神林一夫さん
実兄が経営する廣済堂プロダクション(現・長良プロダクション)に所属していた梅宮さんと「梅宮辰夫漬物本舗」を立ち上げ、後にマネジメントも担当するため同社を設立。
梅宮にとってサウナは、いい「考える時間」だったみたいですね
元付き人
小山貴士さん
役者を目指していた20代の時、弟子入り先の先輩からの引き継ぎで梅宮さんの付き人に。60代から亡くなるまで約20年務め上げた。現在は新規事業立ち上げのため奔走中。