何が起こるかわからない時代の真っ只中にあって、知っておかなければならないこと、知っておいたほうがいいことが増えているのかもしれない。好奇心のアンテナは常に張り巡らせておきたいものだが、その一方で過度に情報に貪欲になるのも考えものだ――。
仕事帰りに池袋の地下ショッピングモールを歩く
いうまでもないことだが、いち早く情報を知ることができれば、素早い対策が可能になる。先日、乗ろうとしていた電車の路線が事故で運転見合わせになっているのを駅に着いてから知ったのだが、こうしたこともネットの情報などで事前に知っておくことができれば、現場で途方に暮れることもなくなる。
その日はその時点で運転見合わせからけっこう時間が経っていたようで、少し待っているうちに運転が再開され事なきを得たのだが、自分の“情弱”ぶりをなんとかすべきなのかもしれないと、少しは思わせてくれる出来事ではあった。
用件を終えて帰路に乗った東京メトロ・丸の内線を終点の池袋で降りた。もう夜9時を過ぎている。どこかで何か食べて帰ることにしよう。広い駅構内を西口方面へ歩き、立教大学の近くまで続いている地下の長いショッピングモールに足を踏み入れる。
某ドラッグストアの前に40歳代くらいの女性が立っていたのだが、その連れと思われる同い年くらいの男性が買い物を終えてレジ袋を手に提げて店から出てきた。おそらく夫婦なのだろう。2人は連れだって自分の前を一緒に歩きはじめた。
歩きながら女性が何を買ったのか尋ねていて、男性がレジ袋の口を広げた。袋の中を覗き込んだ女性は、これなら○○(近くにある別のドラッグストア)で買えば今なら10%引きだったと指摘しているのが聞こえてきた。
男性は「なんで先に言ってくれなかったの」と少しうなだれる様子を見せていたが、おそらくそれほど高価なものでもないらしく、後を引くほどのショックではないようで、立ち止まることなく2人並んで先を歩いていく。
男性にとって女性が指摘しなければ何の問題もない買い物であったし、割引やセール情報を普段から常にチェックするというのも、普通はなかなか難しいことだろう。逆に言えば少しでもお得な買い物をしようと思うのなら、常に最新の情報に目を光らせていなければならないのだ。
しかしそうはいっても常にお得な情報を見逃すまいと広域にレーダーを張り巡らせるのも何だか疲れそうだ。認知機能のリソースを常にそこに割いていることで、何かネガティブな影響もあり得そうにも思えてくる。例えば割引情報に釣られてつい余計な買い物をしてしまうことなどだ。
スーパーマーケットのテナントを過ぎた所の通路を右に折れる。人気の立ち食い寿司のお店が左手にあるのだが、残念ながらもう閉店時間が過ぎていた。寿司屋を通り過ぎ地上に出るエスカレーターに乗る。ゆっくりを上がっていくにつれて外の熱気がじわじわと皮膚を覆う。熱帯夜の街で汗ばむ前にどこかの店に入ることにしよう。
欠落感からくる好奇心に潜むリスク
エレベーターを上がりきって地上に出るとそこは西口五差路だ。むっとする熱気に全身が包まれる。早くどこかへ入ろう。どの信号も渡らずに劇場通りを左に進む。
割引情報やセール情報だけでなく、目下のコロナ禍や東欧での戦争はもちろんのこと、自然災害や隣国のミサイル打ち上げなど、世界はまさに何が起こるかわからない事態を迎えている。そうであればこそ、世の中の最新の動向について誰もが無関係というわけにもいかない。「知らなかった」では済まされないことが増えているともいえるのだ。
多かれ少なかれ、最新の情報にいち早くアクセスするために常に好奇心を持ってアンテナを張り巡らせておかなくてはならないのだが、それに際して我々には2つの態度があるという。それは興味関心からの好奇心と、欠落感を埋めようとするための好奇心である。そして最新の研究では、欠落感を埋めようとするための好奇心には大きなリスクがあることが報告されていて興味深い。欠落感を埋めようとして情報を追い求めていると、“フェイクニュース”に欺かれやすくなるというのである。
知識への好奇心は、学習とイノベーションに関連しています。
この研究は、好奇心のダークサイドを明らかにしています。
興味関心からくる好奇心は、知識、正確さ、識別力と関連しています。
欠落感からくる好奇心は、エラー、混乱、謙虚さの欠如に関連しています。
欠落感からくる好奇心を持つ人は、でたらめやフェイクニュースに惑わされます。
※「ScienceDirect」より引用
カリフォルニア大学の研究チームが2022年4月に「Journal of Research in Personality」で発表した研究では、欠落感からくる好奇心は好奇心旺盛ではあるのだが識別力がなく、不正確な情報に対する過度の開放性と関連しており、フェイクニュースを信じやすい傾向にあることを報告している。
研究チームは知識欲を伴った好奇心は2つに分けられると説明しており、その2つとは、興味関心からくる好奇心(interest curiosity)と、知識の欠落感からくる好奇心(deprivation curiosity)である。
興味関心からくる好奇心は、新しいことを学ぶ一般的な動機と知的探索の喜びを指し、欠落感からくる好奇心は、将来の不確実性に関連する不快な感情を減らしたいという欲求から生じている。
合計で2000人以上が参加した一連の4つの研究で、研究チームは欠落感からくる好奇心の度合いが高い人は、知的謙虚さの測定値が低くなる傾向があることを突き止めた。たとえば「答えを知らないままでいることはできないので、1つの問題に何時間も費やすことができる」などの記述に同意する人は、「誰かが私の最も重要な信念と矛盾する場合、それは個人攻撃のように感じます」などの記述にも同意する可能性が高かったのだ。一方、興味関心からくる好奇心は逆のパターンの結果となった。
また欠落感からくる好奇心が強い人は、一般的な知識があまりなく、既存の概念とでっち上げられた概念を混同する傾向が高いため、記憶認識タスクでは、以前に見た情報と新しい情報を正確に区別できなくなっているという。
つまり本当は知らないのに「それなら知っている」と知ったかぶりをしたり、実際には意味のない文言に含蓄のある深淵な意味があると信じやすくなったりするのである。そしてこの傾向によってフェイクニュースや陰謀論に欺かれやすくなるということだ。欠落感からくる好奇心が旺盛な人々は情報に対して過度にオープンであることが原因であるという。
まだ自分か知らないお得な情報があるのではないかという、ある種の欠落感からくる情報収集にはこうしたリスクがあることを知っておいてもよいのだろう。得をするはずの割引情報に釣られ、安く買えるからといって余分な消費をしてしまうとすれば本末転倒になる。さっきの男性のように、安く買える店を知らなかったならば、知らないままでいても特に大きな問題はないだろう。
ハイボールを飲みながら七輪で焼いた肉を急ピッチで食らう
通りを進む。すぐ先にあるビルの1階には某ファミレスが見え、その地下には某焼肉チェーン店もあるようだ。
ここは手ごろな価格の店であるし、焼肉でいいかもしれない。入ってみることにしよう。ファミレスのドアの右隣にある階段を下る。
9時半近いがけっこうなお客の入りだ。テーブル席しかない店なので、1人で来てもテーブル席に通される。店内はかなりの広さだ。
さっそくお店の人がテーブルに七輪を運んでくる。注文はテーブルにあるタッチパネルから行うことになっていて、さっそくパネルを操作して肉の盛り合わせメニューと塩だれキャベツ、ハイボールを注文する。
夜遅くになっても普通に外食ができるようになってなによりだが、長く続いた“行動制限”でお店のほうもお客のほうもすぐにコロナ前に戻るかといえば、大勢はまだそんなこともないようだ。お店のほうも多くは閉店時間を完全にコロナ前には戻せず、お客のほうも夜10時過ぎまで飲み歩いているのはまだ一部であるように思える。そして首都圏の各路線の終電が早まったこともあり、気づけば繁華街の夜は夜通し遊ぶ人を除きだいたい30分から1時間ほど短くなってしまったといえるだろう。
肉がやって来た。どんどん焼いて行こう。長居は無用である。
会社勤めの頃、仕事が終わって夜10時前後によく同僚と安い焼肉屋に入って終電に間に合う時間まで酒を飲み、肉を食らっていたことが懐かしく思い出されてくる。自分にとってアルコールは仕事とセットになったものであって、今日は頑張れたなぁと思えた夜ほどお酒が美味しいのは今も変わりはない。
ひと昔前までは肉もお酒も安くて気に入っていた個人経営の焼肉屋やホルモン焼きの店がいくつかあったのだが、この10年ほどで次々となくなってしまった。家賃や人件費のことを考慮すればそういう店は都内の西側ではもう存続は難しくなっているのかもしれない。安く気軽に食べられるのがホルモン焼肉だと思うので、メニューの価格を上げるとお客がどれだけ残るのかという問題もある。
そして最近は牛肉の仕入れ価格も高騰しているというし、肉好きには逆風が吹いているといえるだろう。それも強風だ。ホルモン焼きなら豚の内臓肉だけでも満足できるが、焼肉となれば少しは牛肉も食べたいとは思う。今後、牛肉の焼肉がすべからく高級料理になってしまう日が来るのだろうか。
毎月29日のいわゆる“肉の日”などのセール情報をチェックしつつ、少しでもお得に焼肉を楽しむことを心がけたい気もするのだが、ドラッグストアのセール情報じゃあるまいし、肉をお得に食べることを日々一定の割合考えて過ごすというのも何だが妙なことだ。そんなことをしていれば結果的に店に行く回数も増えて食べ過ぎてしまうことにもなる。やはり焼肉とアルコールは、仕事終わりのタイミングで余計なことを考えずにあくまでも自分本位で堪能したいものである。さて、休むことなく食べて飲んで店を出ることにしようか。
文/仲田しんじ